お裁縫をするのは一体何年振りなのでしょう。

どうやら記憶を辿ってみても思い当たらない程、縫い針など持っていなかったようです。

吾輩、かつては…
マスコットを作りバッグにぶら下げたり、セーターを編みあげたこともある男子でありました。

誤解のないように説明をしますと、特に趣味嗜好が女子に近かったというわけではないのです。
マスコットは“柔道着を着たへのへのもへじ”をつくり、柔道着を入れるバッグにぶら下げていたのです。

そしてセーターは、まだまだ修行中の身であり収入がなかった頃に
「セーターを編むには途方もなく時間がかかる」 
そういう先入観から
「でも毛糸さえありゃ、出来ることだろう」 
と時間潰しに始めてみただけです。

双方ともに共通するのは、お金がなかったからということですね。
お金さえあればマスコットも市販のものをぶら下げたでしょうし、時間があれば遊びに出掛けていたでしょう。
 
自分が“骨接ぎ”の修行に入った頃は、まだ師匠と弟子という関係があった時代です。
身近で技術から立ち居振舞いまで勉強をさせて頂く弟子は、ちゃんとお給料があるいわゆる従業員とは一線を画す立場なのです。

国家資格を取得して修行に入った一年目は月に三万円頂き、二年目は六万円三年目は九万円を頂いていました。
ですが住み込みで寝るところと食事は保証されていましたので、格段の不便はありませんでしたが…

その頃に、経済的な時間の使い方として裁縫とか編物を覚えました。

このコロナ渦の中でマスクも縫おうと思わなかった自分が、今回久々に針を持とうと思った理由はこいつです。

ごらんの通りデニム素材のボロボロのパンツです。

これは前によく履いていたものでなかなか思い出が深いのですが、しかしこの四年ほど全く見掛けていなかったものです。
それがこの数ヵ月続け様に引っ越しをした中で、ひょっこりと出て来たのです。
今まで、探したというほどのこともない存在だったのが目にした途端に
「うわっ、懐かしい」
となり、到底捨てるなんて選択肢はなくなりました。

それで早速履いてみようとしてところが、ボタンがなかったわけです。

それはさすがにこのボロ加減と相まって
「やっぱり捨てよかな」
となるのですが…
何気にポケットを探ったら、なんとボタンが入っていたわけですよ。

そりゃ「裁縫セットを手に入れよう」となりますよね。

ボタンを付けるだけですから、百均です。

自分は別に“物を大事に”なんて意識があるわけではなく、単に我が身にまとうモノにこだわりがないのです。
(上手に出来ました←自己評価)

まだ機能的でさえあれば、基本的に不満はないのです。 

それが経済的に余裕がないからかどうなのかは、余裕がある生活をしたことがないので解りません。

なんか…
ボタン付け、楽しかったなあ。



はい、左様なり♪