自分のコンプレックスというものを考えてみた時に、探せば
「少々コンプレックスかな」
と思いあたることがある程度です。

子供の頃からそうだったわけではないような気もしますが、いつからそうなったのかはともかくお陰さまでその類いの悩みはないですね。

まあ、だからこんな人間のままなのでしょうが(汗

子供の頃から自己嫌悪におちいることはあっても、自分の何かが嫌で嫌でたまらないと感じたことはないのかも知れません。
もちろん他人を見て自分より秀でているなと思うことは多々多々ありますが、せいぜい
「たいしたものだ」
と感心して終わりです。

岩手県北の農村で産まれ育った自分は県庁所在地である盛岡市の高校に進学した際には田舎者扱いされる時もありましたが
「田舎出身であることは間違いない」
と思う以上に特に感じることはありませんでした。
特に生来与えられた環境には、コンプレックスを感じる意味もわからないぐらいですね。
何か努力が足りなかったから田舎者であるわけでもなく、何か優れていたから都会に生まれたわけでもありませんからね。

160cmにも充たない身長についても、同様に特にコンプレックスはありません。

身長については… 
高校生の時にいつも穏やかでそして包容力に満ちた笑顔だったクラスの女子との仲をひやかされた時に、その子が困ったように
「だって林下君、背が低いもん」
そう、やんわり否定されたことがありました。
その時も
「高校生女子だもの、そりゃ背が高い方がいいだろう」 
と思ったぐらいです。
ただ、あんなに寛容そうな女子でも背の高い低いは重要なのだなという現実も知りましたけどね。

よく言えば博愛心みたいなものかも知れませんし、逆に言葉も含めて他人にあまり興味がない人間なのかも知れません(笑

尊敬する偉人も座右の銘も、強いて言えばという程度です。
(文章とは一切関係ありません

それでも、そんな自分にも強く影響力のあった人間は各年代にそれぞれおります。
幼少から青年期にかけては何と言っても母親であり、そして20歳離れた兄であったと思います。
11人兄弟の10番目の6男で生まれた自分には、兄が五人姉が四人妹が一人おります。
その中でも歳の離れた長男はとにかく豪放であり、またよく本を読む人でもありました。

自分が恐怖のあまりに失禁した記憶は、きっと小学五年生の時に長男に胸ぐらを掴まれて持ち上げられた時が最後です。
長男にはよく殴られましたが決して不機嫌な故に手をあげるようなことはなく、いつも殴られるようなことをして殴られていたという自覚はあります。

時に横暴な兄貴でもありましたが、それを踏まえても周囲から慕われる存在でもありました。

コンプレックスという言葉を聞いた時に、思い出すとすればいつもこの兄であり母親です。

自分が二十代後半の時に姉と長男の話をしていて
「でも清志はたいしたもんだよ、兄貴に言い返したことあるもんな」
と言われて驚いたことがありました。
恐怖の対象でしかなかった長男に自分が言い返したことがあるとか、まったく想像も出来ないことですし記憶にもなかったからです。
「いつそんなことが?」
もちろん確認しました。
「四、五歳の時だったかなー、清志が兄貴に叩かれて転がった後に兄貴に向かって“お前なんかに叩かれても、痛くねーよ!”って言ったんだよ」
更に
「そしたら兄貴が“こいつはたいしたもんだ”と笑って、怒るのをやめたのさ」
と聞かされたのです。

これは…
自分の中ですごく衝撃的でしたね。
 
たかだか四、五歳の時とはいえ、あの兄貴にモノ申したことがあるなんて…
それまでは並べるとも並ぼうとさえも思わなかった兄貴の存在が、重しのように自分の成長の何かを押さえ付けていたような気がしていたのが一瞬にして解放され、背伸びして大きく深呼吸したような気持ちになりました。

大袈裟に言えばそこから、ひと皮剥けたような気がします。
コンプレックスが劣等感ということであるのであれば、この瞬間まではそれを抱えていたのでしょう。

コンプレックスは乗り越えるとか克服すると考えるよりも、解放されるとか気にならなくなるという方向を見つけることが大事なのかもしれませんね。