名瀬港からはバスです。
始発を待って、目指す大和村大棚地区までの30分ほどを移動します。

奄美には五月の末に一度部屋探しに来て、住まいも決まっていましたが……
子供達が夏休みに入るタイミングを待っての移住でした。
それは学期変わりでの転校が都合がいいこともあったり、借家が相当修理が必要だったこともあったりでの判断です。

バスに揺られながら、初めて見る南国の風景に様々なことを思い出していました。

第八子である四女が一歳になった月からの父子家庭生活でしたが、その娘もこの春から小学校にあがりました。
「この子が高校を卒業するまでは、何とか元気でいなきゃ」
と、改めて決意したのはもう五年以上前のことです。

離婚した当時、母親がたまに家に来ると…
まだ一歳になったばかりの四女は〃ハッ〃とした表情で、しかし駆け寄りもせず真顔でずっと母親の顔を見ていました。
ろくに子供に声も掛けずに、用事を済ませるとまた出て行く母親を最初から最後まで見つめている娘を不憫に思いました。

大人の都合で生きていくしかないのが子供の立場ではありますが、ものの道理として小さな子供には母親が必要です。

ですがその形はそれぞれであって仕方のないものでもあります。
我が家はむしろ母親とは別に暮らしていたからこそ、保たれた関係というのがあったと思っています。
遠く岩手に越してからも、子供が長期の休みの時には母親のところに遊びに行かせていました。
普段でも母親から電話があれば、みんな並んで順番待ちをするほど話したがりました。

たまに会いたまに話すから恋しい、という関係が親子間に成り立っていたのでしょう。

親の離婚に限定せずとも、子育てをする上での不備と配慮の無さはあるものです。
それは、やがて子供が一人前になり自分で生きていけるようになったら
「至らない親で申し訳なかった」
と、その時に頭を下げようと思っています。
それで済むのが親子ではなかろうかとも、救いを求めています。

子供が親に全幅の信頼を寄せている、幼い時期には
「仕方ないだろう、うちはうちだ」
そう言って、押し付けていくしか仕方がないのですから……
幼い子供には、親の迷う姿は見せたくありません。

その将来に……
果たして子供が許してくれるかどうかは解りませんが、そこまでに出来得る限りの気持ちを子育てに向けていくしかありません。

気が付くと、長旅に疲れた子供達はみんなバスの中で爆睡しています。


ひとりひとりの寝顔を確認しながら……

新しい土地での生活に、静かにしかし固く
気持ちを引き締める自分がいました。


はい、左様なり♪

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