「非日常」を求めて旅をするのはその対比に依って「日常」を確認するのだと言いますが、人生そのものを旅に例える人もいます。

では人間は何を確認する為に、人生という旅をするのでしょう。

そして、その旅には限りがあります。

「何の為に自分は存在するのか」
肉体的にも社会的にも健全を維持する日々を重ね、しかし確実に迎える老いとその先に…
いったい何を求めれば救われるのでしょうか。

その答えの、せめて手掛かりでも掴みたいと思った若い頃もありました。

自分という人間を見つめた時に…

何もたいしたことが出来そうもない気がして、焦燥感と劣等感に押し潰されそうになったこともあります。

誰かと比べたり何かと比べる。

その必要があるとかないとかではなく、人は常にそれを判断基準として身に付けているような気がします。
そうだとすると、その結果落ち込む人に対して
「比べる必要はないよ」
というアドバイスは根本的な解決には成り難いということになりますよね。

比較対照しての判断を身に付けているわけですから、その上で救われなければなりません。
御批判を承知で言えば、あの大隈重信と吾輩とでは何が違うのか。
日本史に名を刻んだ人間とこのただのオッサンとの個々の比較を、延々と語れる人がどれだけいるのでしょう。

世間の認識なんてそんなものです。

ましてや、自社ビルを二つ建てたとか三つ建てたとか高級車を何台所有したなんてことはもっと些細なことです。
誰もが成し得ることではないのでそういう意味では感心はしますし、御自身が満足されるのも当然です。
それだけのことをされたのだから、自慢するのもいいでしょう。
もしかしたらそれを見て奮起する後進が出現すれば、人の為ににもなります。
しかし…
その評価を世間に委ねたり自負心に収めるにとどまらず「すごいだろう」と発信すると反発もあるわけで、自分のような輩は「じゃあそれは教科書に載るんですか」なんて思うわけです。

人間そう大差はないですよ。
何が違ってもそれはただ「それだけのこと」です。

とは言え、若い頃はそう思えずに随分と精神を浪費もしました。
ですから歳をとるって、本当に有り難くも愉快なんですよね。


(写真と本文は一切関わりはありません)

人生そのものが旅だと言うのなら…

人は生まれてから死ぬまで故郷に戻らず終えることになります。
ですから、どんな生き方をしても寂しい生き物なんでしょうね。

なのに、寂しさに拍車をかける生き方はしたくないですね。

吾輩の旅はただゆらゆら「さすらう」ぐらいですが、さすらいもしなかったなんて思いながら死ねませんよ。
(パクってないパクってない)

はい、左様なり♪

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