三女が産まれた時に付けようと思った名前は、最初は澤美(たくみ)でした。
当時ものすごく恩を受けた方に、同じタイミングでお孫さんが出来たんです。
その子が「たくみ」という名前だったので、我が家は娘でしたが音は同じ名前を付けさせて頂こうと思いました。

沢山(たくさん)とか光沢(こうたく)の「たく」でもあるし美の上にのせる字として意味合いもいいですし、気に入ってもいました。
すっかりそのつもりで市役所に届けに行ったのですが
「旧字体は使えません」
と言われ、その場で「詩美」に変更して受理されたというわけです。

その数年後に、旧字体も名前に使えるようになったんですよね。

詩美が奄美での高校生活を希望してくれたお陰で、柔美もまたすんなりと高校入学を希望してくれました。
それはとても有り難いことですが、我が家にとって吾輩にとって大異変だったのは…
一緒に暮らす子供らが、一度に少なくなってしまったことです。


しかも賑やかだった女子陣が急に誰もいなくなり息子だけになると、まるで学生の下宿先のような雰囲気です。

ひとことで言うと、むさ苦しい家になりました。
それはそれで楽しめるのですが…

子供達が小さかった頃は、何をするのにもみんなが一緒でした。
御飯は必ずみんなで食べましたし、寝るときもみんなでしりとりをしながらとか駄洒落大会をしながらとか…
休みの日は公園に行ったり釣りに行ったり、日が長い夏は夕飯後に毎日々々ゴムボール野球をしました。
いつもいつも、みんな一緒にいました。

でも、あの頃に望んでいたことは
「早く子供から手が離れる」
ことでした。
それは子育てが大変だからとか、そういうことではなく…
吾輩のような人間に親が出来ていることが不思議であり奇跡で、いつか責任放棄をしてしまうかもという不安もあったからです。
しかし、そういうこともなく何とかここまでやって来ました。
その有り難さを考えると……
子供達が同じ生活空間からいなくなる寂しさなんかよりも、遥かに感謝の気持ちの方が上回ります。

子供の存在は偉大です、吾輩のような人間にも何とか親をさせますからね。
愛知県に出稼ぎに出ていた間、月々のお給料は手付かずで奄美に送金していました。
御飯二食付きの寮にいたから出来たのですが、それでも子供の為でもなければ自分の給料を全額振込続けられないと思います。

あと少しだけ頑張って、奄美組が高校を卒業するところまで頑張れれば最低限良しだと思っています。
そうすればもし吾輩に何かあっても、みんなで助けあってやっていけると思います。

そしてその一年後に都美も高校を卒業します、その辺りから感謝の気持ちは加速していくのかなと思っています
「都美まで世に出せた」
「三つ子まで世に出す手伝いが出来た」
「紬まで出来た」
「蓮まで…」
その節目節目に感慨深いものがあると思います。

親としての努めを全うしたいのは山々ですが、しかし人生はどのようなアクシデントがあるかわかりません。
ですからまずは「ギリギリ良し」のところを目指します。
そのラインが我が家は奄美組の卒業ぐらいかなと、思っているところです。

はい、左様なり♪

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