次女の柔美が生まれたのは、静岡県の三ヶ日でした。
五人目ですから、嫁さんが入院してる間は
四歳の長女三歳の長男二歳の次男、一歳の三男を面倒見ながらの生活です。
当時はまだ若かったので大変だなと思うよりも「よしやるぞ」という気持ちしかありませんでした。

ここが旦那力の発揮どころだと思ったり、同時に嫁さんからの評価の得どころだとも思い隣町の産院までのお見舞いにも毎日必ず行きました。

何よりやはり、子供が喜びますからね。

柔美が生まれたのは調度昼時でしたので、連絡があり駆け付けて出産直後に会うことが出来ました。
長女のあとに息子が三人続いたあとの女の子なので、何となくひと安心したものです。

柔美は家事は殆どしませんが、下の子の面倒はよくみてくれる娘です。
奄美時代には紬美の世話をほぼ任せていた時期があったので、今でも紬美は本当によく懐いています。
間が三歳しか離れていない都美も柔美によく面倒をみてもらいました、柔美が小学校一年の時に都美が三歳ぐらいなんですが安心して任せられましたね。
柔美の有り難いところは子守りをしていて飽きないので、注意力が散漫にならないところです。
そして感情的にならずに怒ることが出来ます。

今は奄美高校の家政科に通っていますので、保育士さんなんて道もいいと思いますけどね。
向いてると思いますが、将来について本人がどう考えているのかはまだ解りません。

ちなみに中学生の頃は
「その辺を歩いている石油王を逆ナンして、結婚する」
そう言ってみんなに
「石油王はその辺なんか歩いてないよ」
と、突っ込まれてました。

とにかく、一度はリタイアした高校生活にまた戻ってくれたことを本当に有り難いと思っています。
しかも、中学の同級生から二学年遅れて妹と同級生で同じクラス…
なかなか並大抵ではないと思います。

(柔美もついに柔道部へ)

前の学校を辞めたいと、六月に言われましたが
「一年生は最後まで続けろ」
という吾輩の言うことを、ギリギリ守ってくれました。
本当はその間に何とか考えが変わって欲しかったのですが、それでも約束は果たしてくれたので止める時も特には責めませんでした。
そして今こうして再び高校生活をおくってくれているのを見ながら、益々あの時に責める必要はなかったなと実感しています。
我が子ですから…
「今はダメだが、いずれ…」
と、いずれちゃんと頑張ってくれることを願い信じてサポートするべきだとあらためて実感しています。

まだまだ子供に教えられることの多い親稼業です。

はい、左様なり♪

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