先日、祖母が93歳の誕生日を迎えました。
僕と祖母は、僕が中学生から高校生まで一緒の
家に住んでいました。
僕の面倒は祖母がみてくれていたといっても
過言ではないし、僕もおばあちゃんっ子でした。
そんな祖母の現在は父と暮らしているのですが、
先日父と電話をしていたら、
祖母が
「祖母の母が枕元に立つ。死ぬ前に会いたかったなー」
とよく話しているそうで、
祖母の母は亡くなっているのですが、
どうやらお墓参りに行きたかったという意味っぽい。
祖母の母のお墓は山口県にあり、
僕が住んでいる関東のお墓には入っていません。
というのも、お墓も祖母が関東で建てたもので
まだ誰も入っていません。
僕は祖母が今の状態では山口県に行くのは無理と
わかっていたので、
誕生日だし(祖母の)、恩返しできるとしたら
今しかないなー。
と思い
墓守をしている人と、山口県のお寺の住職と
コンタクトを取り分骨の許可を取りました。
分骨の許可がとれたので
速攻で飛行機のチケットを取り、レンタカーを借りて
分骨をしてもらってまた速攻で帰って、
祖母に分骨してもらった骨壷を渡しに行きました。
そしたら、祖母が
「生きているうちに会えると思ってなかった」
と とても感動してました。
その祖母が言った「会える」という言葉に
僕は日本人の心って素晴らしいな と思ったわけです。
冷めている人や現実的な人からしたら
「いやいや骨だし」ってなるでしょう。
でも、分骨をしてもらって
その骨を見て
「会えた」と表現することも出来るんですよね。
祖母には僕に見えないものが見えてるんでしょう。
会えたという表現ってその人の心を表しているし
祖母の顔を見ると飾りじゃない言葉っていうのもわかる。
何度も枕元にたった祖母の母。
祖母もどうしても会いたかったんだと思います。
僕も心の底から
「会えて良かったね」と思えたし
少しでも恩返しが出来て良かったと一人安心しました。
そんな1日でした。
HAYATO 拝