買いたいレースはしばらくないので、ちょっと政治的な話でも。
最近よく思うのは、この国はいったいどこへ向かっているんだろうか、ということ。例えば、米軍基地移設問題について。確かに基地なんて、自分の住んでいるところにない方がいい。一方で、基地がないときにこの国をどう守るか、ということは非常に重要な問題であるし、沖縄だけに基地負担が集中していることに問題がないとは言わない。しかし、この国をどう守るか、という点は明らかに国政の問題であって、一市町村の首長が反対を掲げて当選したからといって、それがどうこうなる問題ではない。が、首長としては、やはり地元の意見を声高に叫ぶことは重要であろう。住民の意思を表明する、という仕事は首長の重要な職務の1つであると考えられる。だからといって、この国の代表者が「地元の意見を尊重して…」というようなことは、口が裂けても言ってはいけないのではないだろうか。地元の意見を尊重したら、基地だけでなく、原発などもどこにも作れなくなる。大切なことは、まず、この基地は必要か否か、という点。基地というのはあればよいわけではなく、その立地も戦略上の重要なポイントであろう。そういった観点からの説明がほとんどなく、沖縄に基地が多いのはおかしいと叫ぶマスコミもどうかしているが、それに振り回されているこの国の政治家もどうかしている。懇々と基地の必要性、何故必要なのか、どうしてこの場所なのか、ということについて語り、それでも地元の理解が得られないとしても、そこは強行的にでもやらなければならいのではないか、と思う。所得税の増税議論についてもそうだ。最高税率70%。そんな国で誰が一生懸命稼ぐのだろうか。確かに一定の富の再分配は必要であると自分も思う。しかし、現時点で最も必要な富の再分配は、団塊の世代以上の年代から若年層へといかに再分配するかであって、団塊の世代以上の社会保障をいかに若年層に支えさせるか、という点ではないように思われる。しかも、子ども手当て、年金の最低補償額と、政権与党が掲げた政策の実施に必要な金はどこから生まれるのか、と考えてみたとき、そういう類の増税で賄うか、国債で賄うか、という選択肢しかない。その選択肢のどちらを選んでも、もう団塊の世代以上の多くの定年退職した人々には痛みは伴わない。しかし、痛みの原因を突き詰めて考えていけば、急速な戦後の復興以降の高度経済成長の影で積み重ねられてきた彼の世代が残した負の遺産がその正体ではないかと思えてならない。確かに我々の世代は豊かな中で生きてきた。しかし、我々の世代が経済の成長というのを如実に体感した、ということはほとんどない。バブル崩壊以降に社会に出てきた世代にとっては、社会自体が暗澹たるものであったと思われる。経済の成長、豊になっていくという体験のない世代に、今度は貧しくなれ、という。果たしてそれが正当か、ということは非常に疑わしい。世代別の支出を見ても、団塊の世代以上の消費だけが増えているという実態がある。彼らには使う金がある人が大半なのである。貧困の連鎖を止めるために必要なのは、所得税の増税ではなく、例えば贅沢品に絞った消費税の増税や、相続税の増税などではなかろうか。若干補足すれば、何が贅沢品かという点については、地域事情もあろう。例えば、東京23区に住んでいる人については車自体が贅沢品であるかもしれない。しかし、地方に目を向ければ、公共の交通機関がない地域も多数あり、そこでは車が生活必需品である。ここでの一般的な車が贅沢品とは言えない。そういう、もう少し踏み込んだ形での増税議論が必要ではなかろうか。子ども手当てという点についても、果たして何のための政策化、という点がほとんど見えてこない。少子化対策なのか、低所得層への補助なのか、はたまた選挙対策なのか。確かに子どもの教育というのは、子どもがいない人々も負担すべき大人の義務であろう。そこにかかる費用を負担するということに論理的に何か疑問を感じるわけではない。しかし、だからといって金を配ればいいではないか、という結論では、何が何やらわからない。少子化対策だというなら、その金をもっと他に使い方があるのではないか、低所得層への補助というなら、やはり所得制限は必要ではないか、と思われるのである。
何故にこのようなことが起こっているのか、ということを、最近、よく考えてしまう。その元凶は、政治家が自身の政治的な信念、あるいは哲学といっていい、ある種のイデオロギー的なものを持たず、選挙にしか目を向けていないからではないのか、と思う。マニフェスト、大いに結構。しかし、個別具体的な政策の根源に流れる政治的な理念を、抽象的な言葉ではなく、どういう国にしたいのか、という視点から語ってもらいたい。この国の、あるいはこの国で生きる人間の明日は勿論大切であるが、それと同様に、この国の、あるいはこの国で生きる人々の10年後、20年後、100年後といったことも同様に大切なのである。
最近よく思うのは、この国はいったいどこへ向かっているんだろうか、ということ。例えば、米軍基地移設問題について。確かに基地なんて、自分の住んでいるところにない方がいい。一方で、基地がないときにこの国をどう守るか、ということは非常に重要な問題であるし、沖縄だけに基地負担が集中していることに問題がないとは言わない。しかし、この国をどう守るか、という点は明らかに国政の問題であって、一市町村の首長が反対を掲げて当選したからといって、それがどうこうなる問題ではない。が、首長としては、やはり地元の意見を声高に叫ぶことは重要であろう。住民の意思を表明する、という仕事は首長の重要な職務の1つであると考えられる。だからといって、この国の代表者が「地元の意見を尊重して…」というようなことは、口が裂けても言ってはいけないのではないだろうか。地元の意見を尊重したら、基地だけでなく、原発などもどこにも作れなくなる。大切なことは、まず、この基地は必要か否か、という点。基地というのはあればよいわけではなく、その立地も戦略上の重要なポイントであろう。そういった観点からの説明がほとんどなく、沖縄に基地が多いのはおかしいと叫ぶマスコミもどうかしているが、それに振り回されているこの国の政治家もどうかしている。懇々と基地の必要性、何故必要なのか、どうしてこの場所なのか、ということについて語り、それでも地元の理解が得られないとしても、そこは強行的にでもやらなければならいのではないか、と思う。所得税の増税議論についてもそうだ。最高税率70%。そんな国で誰が一生懸命稼ぐのだろうか。確かに一定の富の再分配は必要であると自分も思う。しかし、現時点で最も必要な富の再分配は、団塊の世代以上の年代から若年層へといかに再分配するかであって、団塊の世代以上の社会保障をいかに若年層に支えさせるか、という点ではないように思われる。しかも、子ども手当て、年金の最低補償額と、政権与党が掲げた政策の実施に必要な金はどこから生まれるのか、と考えてみたとき、そういう類の増税で賄うか、国債で賄うか、という選択肢しかない。その選択肢のどちらを選んでも、もう団塊の世代以上の多くの定年退職した人々には痛みは伴わない。しかし、痛みの原因を突き詰めて考えていけば、急速な戦後の復興以降の高度経済成長の影で積み重ねられてきた彼の世代が残した負の遺産がその正体ではないかと思えてならない。確かに我々の世代は豊かな中で生きてきた。しかし、我々の世代が経済の成長というのを如実に体感した、ということはほとんどない。バブル崩壊以降に社会に出てきた世代にとっては、社会自体が暗澹たるものであったと思われる。経済の成長、豊になっていくという体験のない世代に、今度は貧しくなれ、という。果たしてそれが正当か、ということは非常に疑わしい。世代別の支出を見ても、団塊の世代以上の消費だけが増えているという実態がある。彼らには使う金がある人が大半なのである。貧困の連鎖を止めるために必要なのは、所得税の増税ではなく、例えば贅沢品に絞った消費税の増税や、相続税の増税などではなかろうか。若干補足すれば、何が贅沢品かという点については、地域事情もあろう。例えば、東京23区に住んでいる人については車自体が贅沢品であるかもしれない。しかし、地方に目を向ければ、公共の交通機関がない地域も多数あり、そこでは車が生活必需品である。ここでの一般的な車が贅沢品とは言えない。そういう、もう少し踏み込んだ形での増税議論が必要ではなかろうか。子ども手当てという点についても、果たして何のための政策化、という点がほとんど見えてこない。少子化対策なのか、低所得層への補助なのか、はたまた選挙対策なのか。確かに子どもの教育というのは、子どもがいない人々も負担すべき大人の義務であろう。そこにかかる費用を負担するということに論理的に何か疑問を感じるわけではない。しかし、だからといって金を配ればいいではないか、という結論では、何が何やらわからない。少子化対策だというなら、その金をもっと他に使い方があるのではないか、低所得層への補助というなら、やはり所得制限は必要ではないか、と思われるのである。
何故にこのようなことが起こっているのか、ということを、最近、よく考えてしまう。その元凶は、政治家が自身の政治的な信念、あるいは哲学といっていい、ある種のイデオロギー的なものを持たず、選挙にしか目を向けていないからではないのか、と思う。マニフェスト、大いに結構。しかし、個別具体的な政策の根源に流れる政治的な理念を、抽象的な言葉ではなく、どういう国にしたいのか、という視点から語ってもらいたい。この国の、あるいはこの国で生きる人間の明日は勿論大切であるが、それと同様に、この国の、あるいはこの国で生きる人々の10年後、20年後、100年後といったことも同様に大切なのである。