今朝、高知県で桜が開花したと

ニュースでありましたガーベラ

 

まだまだ三寒四温の日が続きますが

春は確実にそこまで来ているのですねハチ

 

私の住む大阪はここ2~3日

雨がしとしとと降る日が続いています。

みなさんの地域ではいかがでしょうかニコニコ

 

お天気はそんな具合の大阪ですが

私は春から新しくみなさんにお届けする

 

SBTメンタルコーチ資格講座3級

 

の準備で毎日ワクワクしています!

 

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そもそもどうして私がSBTに出会ったのか。

 

パート1からパート3に分けて

お話をさせてくださいね。

 

 

2023年の1月の朝。

実家の母から電話がありました。

 

 

「病院から電話があってお父さんが良くないみたい」

 

 

父は前年11月から入院し、

もうすぐ退院を迎えるはずでした。

 

けれども急に状態が変わり

その日、亡くなりました。

 

すぐに病院に駆けつけましたが

すでに息を引き取ったあとでした。

 

看護師さんたちも気づかない深夜、

亡くなっていたということです。

 

 

私は子どもの頃から

「いつか両親とはお別れの日が来る。

その日が耐えられるだろうか?」

と考える子どもでした。

 

とうとうその日が来た。

 

 

当時はまだコロナ禍の影響で

入院患者との面会が許されていませんでした。

 

入院の日から2ヶ月が経ち、

筋量が落ちて痩せ細ったご遺体に会うと

本当に切なく・悲しく

言葉では言い表せない気持ちになりました。

 

 

父は医師で教師でした。

 

 

仕事が生きがいで

「生涯現役でピンピンコロリで逝きたい」

が口癖でした。

 

けれども最後の職場を引退した頃に

コロナ禍が始まり

家にいるだけの生活になりました。

 

その頃からどんどん身体が

弱っていったと思います。

 

よく転ぶようになり

外を散歩することもなくなりました。

 

運動が好きで柔道も七段まで極めた

強い父が弱っていく姿は

見ていて本当に辛くせつないものでした。

 

 

実家の菩提寺:雲雀丘花屋敷にある満願寺

 

 

自宅に戻り、

主を無くした父の書斎を見ると

悔しくて切なくて。

 

子どもの頃は父はいつも忙しく

顔を見ずに1日が終わることもしばしば。

 

休みの日は机に向かって書き物をしているか

本を読んでいるか。

 

そしていつも

「人のために」

と尽くしてきた人でした。

 

そもそも医師になろうと決意したのが

小学校三年生の時。

足が生まれつき悪い17歳年上の姉の足を

治したいと思ったから。

 

そこから医師になるべく猛勉強を始めたそうです。

 

そんな父が誰にも看取られず

病院のスタッフにも気づかれず

一人で逝ってしまうなんて。

 

 

一人で父の書斎を見渡しながら

スッと心の中に思いが浮かびました。

 

 

この生を精一杯生きよう!

 

親からいただいた身体を大切に

生まれ持った性質を活かして

私も思いっきり生きよう!

 

自分はこの世にたった一人!

もう「自分なんて」って思うのはやめよう!

 

そうして慌ただしく父を見送り、

初七日を迎えた夜に

 

子どもの学校からお電話をいただきました。

 

「PTA会長を引き受けて下さいませんか?」

と。

 

 

パート2に続きます。