フィールドワーク・リポート その1 スタート [第72号 06.12.15] | ビフリュオレ通信<BIFLUORESQUEMENT VOTRE>

フィールドワーク・リポート その1 スタート [第72号 06.12.15]

 イッサンジョー?どこやねん、それ。
 我が愛するグループ、シャンソン・プリュス・ビフリュオレから、当初予定していたストラスブール郊外でのライヴが中止になった、とわざわざメールで連絡があった。この9月の休暇を利用して4年ぶりに会いに行きます、とサイトを通じて伝えてあったのだ。滞在可能な日程からして、残る可能性は9月2日のYssingeauxのみ。
 4年前に比べて一段と発達したインターネットで、それがオーヴェルニュの山中、標高800mを超える所に位置する小さな町だ、ということぐらいはすぐ調べがつく。列車なんか通ってないことだって。近くの大きな町といえばLe Puy en Velay かSt Etienne。ここらからのバスがあるのかな?あった。この2つの町を結んでいる路線、時刻表まで出ている。朝夕1便ずつか…。本当に辿り着けるのか?
かくして大いに不安を抱いたまま、4年ぶりのフィールドワークに乗り出した。今回はこのChanson Plus Bifluoréeを皮切りに、あとは…着いてからのお楽しみ。ネットで調べてもどうも目ぼしいのが出てこない。ヴァカンス明けのこの時期は、秋のシーズンとの端境期になるらしい。しかしパリに行きさえすれば、何もやっていないということはあるまい。幸い9月15日から3日間、共産党系紙『ユマニテ』のお祭りFête de l'Humaがパリ郊外で開催され、カリ Cali, テット・レッド Têtes Raides, ベナバール Bénabarといった今最もホットなアーティスト達のライヴが予定されていることが分かって、俄然楽しみになってきた。
 さて、出国のタイミングは仕事スケジュールとの関係で、この未知の土地でのライヴの前々日、8月31日が精一杯。ようやく予約の取れた福岡発キャセイ機は、香港での乗り継ぎ9時間、やっと搭乗できたその機内で、整備不良とやらで更に1時間待機。ようやく9月1日早朝、ドゴール空港に着いたと思ったら、今度は不審な手荷物が出てきて入国ゲート前で足止め、トイレにも行けやしない。どうにかリムジンバスに乗り込み、TGVからリヨンで普通列車に乗り継いで、中継地サンテチエンヌに辿り着いたのが午後3時過ぎ。へろへろだったが明日に備えて寝るだけというのも勿体ないので、ちょっとだけ観光。そこらじゅうで工事をやっている。交通システム刷新中なのだ。
 9月2日。8:05発の高速バスに間に合うよう朝食は6:45にしましょうと言ってくれたホテルの女主人(偶然にもイッサンジョー出身)がそれをすっかり忘却、こっちが払ってもいない朝食代3ユーロを寝ぼけて返そうとしてくれた。飲まず食わずのまま、まず市内バスで郊外路線発着所のベルヴューBellevue広場に移動。イッサンジョー経由ルピュイ行きはどこから出るのか?掲示板もないし、人に聞いても誰もが「多分そこのホームだと思うけど、他の誰かに確かめてね」。乗り損なったらどうしよう…。
 発車時刻直前にようやく現れたのは、バスというより大型バン。学校休業期のためとか。普段は通学の子どもたちで一杯なんだな。女運転手は馴染み客とお喋りしながら、くねくねした山道をぶんぶん飛ばす。どんどん標高が高くなる。かつて日本国内でこんな山奥に旅したことがあっただろうか。飛び去る景色に目を丸くすること1時間、ようやく降り立ったのは、石畳の路地に石造りの古い建物が立ち並ぶ、素朴で愛らしい町だった。かくして2泊3日の旅を経て、イッサンジョーに参上!(à suivre)

イッサンジョー街並
Yssingeaux街並