フィールドワーク2002・リポート(3)[56号 2002年12月15日] | ビフリュオレ通信<BIFLUORESQUEMENT VOTRE>

フィールドワーク2002・リポート(3)[56号 2002年12月15日]

「コンサートのあと、アーティストたちと一緒に食事に行く?」…薮から棒の展開に頭はパニック、聞きたいことや伝えたいことは山ほどあったのに、リハなしのディナー・デビューなんて社交センスも経験もゼロの筆者には無謀だった。しかし思いがけず間近で見た我が愛しきヒーローたちは気さくで優しく、そして当然楽しい人たちだった。
 シルヴァン・リシャルド。ロビーに現れてファンへのサインに応じている姿に見とれていると、彼の方から声を掛けてくれた(芸人に挨拶させてどうする)。当方の仕事のこと聞いてくれたり、レストランではメニューの説明を英語でしてくれたり、水差しの水をついでくれたり(芸人に酌をさせてどうする!)、生真面目で繊細な一面が。かと思うと日替わりメニューの1週間分のリストを見比べて、別の曜日のがいいとウエイトレスに駄々をこねたり、ワインリストを手にするや誰が話しかけようが10分以上も真剣な目で検討し続けたり。そういえば6年前と比べて体型が随分フランスの典型的エピキュリアンオヤジに近づいてたぞ。
 グザヴィエ・シェリエ。レストランの上のホテルの部屋でぱりっとしたスーツに着替えて降りてきた。片手に白濁した黄色い液体の入ったグラス、アニスの匂いをぷんぷんさせている。舞台の外でもやっぱり「あんたが大将」!抜け目なさそうな笑みを浮かべて君臨し、座を司る。ちぎったパンにチーズをのせてうやうやしく差し出してくれたり、医者に教わったという発声法を実演してくれたり、何だかんだと面白いことを言ってはこちらの緊張をほぐそうとしてくれるのである(芸人に気を遣わせてどうする)。翌3月17日がちょうど誕生日とかで、午前零時を過ぎてデザートになったところで、テレーズたちの計画通り花火を立てたケーキが運ばれてきて、皆で「ハッピーバースデー」をフランス語で歌った。プレゼントされた高級品らしき葉巻きを美味そうに燻らせる姿が今も目に浮かぶ。
 ミシェル・ピュイヨー、筆者の世界一好きな声の持ち主。彼だけは都合で終演後すぐ帰らなきゃならないということで、テレーズが用意してくれていたトリオの生写真の裏にサインしてくれた。確か6年前は「まるM」だったなと思いつつ見ているとやっぱり…メトロのマークでもあるまいに。陽気で明るくて、別れ際もにこにこしながら「じゃあ、もう1回ビズ(ほっぺに挨拶)ね?」ステージのお茶目な印象どおり。もう少し観察したかった。
 ディナーに同席したのは他に2人の音響技師と、ファンクラブの中心メンバー、アンヌロールとエルヴェの若いカップル、合計8人。「仕事の話」になると議論は俄然熱を帯びてきて、今日のライヴの選曲、曲のつなぎ方、出口でのCDの売れ行き(これをクラブが担当)、ホームページのアイデアと尽きることはない。こちらは口を挟むどころか内容についていくのが精一杯(多分眉間に皺)だったが興味津々。こうやって進歩してきたんだ。
 いよいよお開きになって、勘定はどうするのかと思ったら、芸人さんも含めて平等にワリカン!計算機で割った額分、一人ずつカードを端末に通していく。自分も払おうとしたら「あなたはみんなのゲストだからいいの」それはイケマセンと言うと、グザヴィエに物凄く恐い睨み顔でのしかかられ「ハイワカリマシタ」おいおい、芸人に奢らせるやつがあるか!!! … 最後にミーハー根性出してシルヴァン、グザヴィエと一緒に並んで写真を撮ってもらい、そのまま上の部屋に泊まるアーティストたちを残して4人でシャルトルを後にした。
 その時の写真を見ると、レストランのずらりと並んだワインボトルを背景に、赤ら顔をした怪しげな3人が。まるで大好きな鴨居玲の絵「私の村の酔っ払い」だ。

シャルトル劇場
シャルトル劇場
シャルトル