母との関係がしんどかった
振り返ってみると、幼い頃から母が楽しそうにしている姿を見たことが少ない。小さい頃は、よく体調を崩して床に臥していた記憶がある。私は横になっている母の傍で、一人で遊んでいた。ピアノを教えてと言ったら、母自身がひく。自分が熱中して、私は置き去り。恐らく、当時の私は母とコミュニケーションが取りたくてピアノを教えてとねだったのだと思う。結局、その目的が果たせず「後は自分でやる」と言ったら、「呼んでおいて何それ」みたいな感じで返されたように記憶している。母のマニキュアを勝手に塗ったら、「それはお姉さんになってから」と言われた。「可愛いね。」とか、「マニキュア塗りたかったの?」とか言ってほしかったのかもしれない。小学校に上がると、母が、同じ地域の母親とうまくやれていないことがわかってきた。母親の会に一人だけ入会しなかったことで、あれこれ言われていたようだ。多分、真面目な母のことだから、入るだけ入って行事に参加しないとかいうのが嫌だったんだろうけど。頻繁に誘われることについても、文句を言っていた。母が入会しないことで、父と私はいくぶん肩身がせまい思いをしていた。母は、地域の人や職場の人の悪口を、子供の前で全力で言っていた。というか、夜ご飯の時に、その日あった仕事の愚痴以外、ほとんど聞いたことがない。父は、黙ってそれを聞いていた。父親のことも、私と父本人の前でよく悪口を言っていた。結婚前はこうだと言っていたのに、結婚したら違ったとか、祖母の悪口とか、割とヒステリックな感じで、一方的に責め立てていた。父は黙ってそれを聞いていた。「もう、わかったから、やめてくれよ…」という情けないことも言っていた。そして、父は自分の寝室へ逃げていた。そんな父に向けても、母は、捨てゼリフを吐いていた。私が習い事を始めると、23時ごろに迎えに来て文句を言っていた。祖母の介護も大変だったのだと思うけれど。たまに実家に帰っていた。私も一緒に連れて行かれて、母の実家から学校に通わされた。なんで他の友達は普通に自分の家から通えるのに、私は母の実家から、通わなくてはならないのだろうと思っていた。家には、父と祖母が残されていた。家族旅行も、当日になって母だけ来ないことがあった。私と父の2人で行った。高校生になるときは一人暮らしがしたかった。自分のことで親に多大な負担をかけているのがわかったから。私が高校生になると、母だけが実家に帰るようになった。私のことは父が送迎、食事の準備を含めてやってくれた。父は大変だったと思う。洗濯は誰がしていたのだろう。父かな。たまに家に帰ってきては、点滴を打ってきたとかしんどいとか言っていた。職場の同僚に対する愚痴がマックスだった。上司や同僚を呼び捨てにして私の前でボロカスに言っていた。同僚ともモメたみたいで、先輩に話を聞いてもらっていたようだ。私のことは常に後回しだった。仕事が一番で、母自身が楽しんでいる姿も見たことがなかった。大学では成績が一番だったらしい。成績優秀で、代表として何かをみんなの前で読んだと言っていた。私が大学生の時、入学式のために下宿にやってきたが、その時も体調を崩して部屋で寝ていた。何しにきたんだろう。流石の父も残念がっていた。その後、たまに来ては好きなように振舞っていくから、イライラした。当時の私はダイエットをしていて、ご飯は80グラム単位で計っていた。なのに、母がたくさんご飯を盛る。買い出しはここのスーパーでしたいというのが決まっているのに、母が勝手に買ってくる。自分の力で生きたいのに、母が今更になって干渉してくることにイライラしていた。助かった部分も多かったけれど。大人になって、母との関係がマシになるかと思った。思えば、大学、社会人になって数年は毎日母に電話していた。異常だ。今やっと、母との関係を絶って安らぎが手に入った。立て続けに祖父母が亡くなって、気の毒だし大丈夫かなとは思うけど、会いたいとは全く思わない。このまま会えずに母が亡くなったと聞いてもほっとするかもしれない。ひどいけれど。流石に遺体を見たら泣くかもしれないけど、やっと解放されたように感じるかもしれない。私がなかなか周りの人を信用できないこと、人との関係を築きにくいこと、作った関係を壊そうとしてしまうこと(誰かに壊されるのが怖いから)、人と本音で話しにくいこと、色々生きづらいなと思っている根っこには、母との関係がうまく作れなかったということが、少なからずあるのかもしれない。私の母は、完璧主義の毒母なんだろうか。「普通」なんていうものは、ないと思うけど、少なくとも多くの一般的な母と、うちの母は、様々な点で違っていたように思う。悪い意味で。