八事周辺は、江戸時代後半から明治・大正期にかけて、名古屋随一の行楽地でありました
とくに、春、陽気がよくなってサクラやツツジが咲く頃ともなれば大変な賑わいを見せました。そんななか明治45年に「尾張電気軌道」が敷設されるや、千早や今池から多くの遊覧客がどっと押しかけたと云います。

 ということでありますので、八事山の春を堪能してきました。

△絵葉書 八事勝地シリーズ 興正寺五重塔

 

「八事山興正寺」は、江戸前期の貞享3年(1686)、「高野山」から来た天瑞圓照和尚が草庵を結んだことに始まります。

元禄元年(1688)には、尾張藩二代目藩主・徳川光友の帰依を受け、「尾張高野」と呼ばれ真言宗の名刹として知られるようになりました。

△興正寺 五重塔
△1808年(文化5年)に建立。高さは26m。県内で現存する五重塔では最も古く国の重要文化財に指定。
△七観音、六地蔵

境内は東山と西山からなりますが、当時は女人禁制の寺院も多いなか、境内西側エリアの「西山」は女人も参拝可能な場とした興正寺には多くの参拝者で賑わい、泊りがけの参拝者も多く、門前には宿屋もあったと云います。

△右の堂宇に「西山」の扁額あり

 

このように、八事山周辺は、音聞山などを含めた景勝地でもあり、寺社への参詣と遊山を兼ねた行楽には格好の地であったと云われています。   

さて、八事地区には「コウショウジ」が2つありますが、次は興正寺から高照寺へと春を求めて移動しましょう。

△絵葉書 八事勝地シリーズ 天道山高照寺
 

「天道山高照寺」は、もともと延喜式神名帳に記載のある丹羽郡稲木荘寄木村の稲木神社(稲置天神)で、享保9年(1724)に天道山高照寺と改め、寛保元年(1741)、愛智郡八事邑の現在地に遷座して来ました。

 
△天道山 高照寺

高照寺の本堂は「天道宮」ともいわれ、御本尊は天道大日如来も祀っています。往時の寺域は広大で、五社宮はもちろん、八事の八勝館あたりまで境内であったといわれています。 

△五社宮さん

 「五社宮」は、日・月・星・神明・天王の五社を祀るため五社宮と称し、創建不詳とのこと。寛保元年(1741)丹羽郡稲木荘寄木村の天道宮を八事山に遷座。神仏混淆して寺院となった天道宮を八事山へ遷座に際して旧来の神祗として祀った社が五社宮だそうです。明治維新の神仏分離令により高照寺と分離しています。 

 

八事山の春はどうでしたか。是非もと八事にお出かけください。

 

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