[名古屋市 天白区 天白町 大字 野並相生]にある『相生山』は、名古屋市東部丘陵地の一部に位置し、平成23年3月、地下鉄桜通線の第3期区間(野並~徳重間)開通の際に開業した野並駅~鳴子北駅~相生山駅の2区間に亘る広大な自然緑地帯です。
 
その歴史は、昭和15年12月に防空法に基づき「防空緑地」に指定され、以降、数度の都市計画決定を経て現在の都市計画緑地になっています。広さは123.7haあり、標高10~60mの3つの台地と2つの谷筋から成り立つ起伏に富んだ地形に広大な雑木林が広がり、良好な自然景観を保持し多様な動植物を抱える里山です。
 
相生山緑地のすぐ南側は、地下鉄桜通線が地下を走る幹線道路「東海通」が通っていますが、そこからちょっと北側の丘陵地に入ると、山中は別荘地のような風景に一変します。
△東海通(右手・北側の山が相生山緑地)
 
名古屋市東部丘陵地では、明治期まで水の確保が困難で耕作地としては不適であったため、農地は少なく松林などが続いていました。そうした中、鉄道敷設に合わせて大正から昭和初期にかけ、この東部丘陵地一帯で宅地開発が始まり、八事地区などでは土地区画整理事業が行われました。今回は「尾張電気軌道」沿線とは呼べませんが、同じ天白区内で、大正期から昭和初期にかけて宅地開発が行われた「相生山緑地」を訪ねます。
 
この相生山が開かれるきっかけとなったのは、大正12年に高岡徹宗という人物がここの土地を寄進して千葉県から徳林寺を移したことによるそうで、その後、昭和初期にかけて相生山は別荘地として開発されていきます。
 
さて、1枚目の絵葉書は山中の松並木の様子で、野並の集落から徳林寺へ向かう、現在の東海通の北側丘陵の上を走っていた地区内の道路と思われます。
△絵葉書 相生山入口(松並木)
△野並側から相生山地区に入ったところ
 
2枚目の絵葉書は、相生山の山中に鎮座する「相生山神社」の姿です。1枚目の絵葉書に写る道路に面していて、江戸時代までは野並村の山林だったところで、宅地開発が始まって人家が建つようになった昭和初期頃に神社ができたのではと考えられています。
△絵葉書 相生山神社前通
△相生山神社(鳥居の向きが南から東に変わっている模様)
 
3枚目の絵葉書は、「白龍池」と呼ばれる沼池で、昭和50~60年代までこの池が相生山山中にあったようですが、現在は窪地となっていて水は枯れてしまっています。絵葉書を見る限りは、かなりの広さがありボートまで浮かべてあることから、行楽地にでもなっていたのでしょうか。
△絵葉書 相生山 白龍池

△右手の窪地が元・白龍池(Googleマップのピンが立つ地点)
△白龍池は干上がって水はなし
△白龍池は倒木と枯れ葉で埋まっている状況
△白龍池への入り口(右手へ入る)
△名古屋市内とは思えない風景が残る相生山
 
さて最後に、相生山の中にある曹洞宗「徳林寺」を訪ねてみます。さきにも記したように、大正12年に高岡徹宗が相生山を開発するにあたって千葉県から「徳林寺」を移した、とされています。本堂には釈迦如来が安置されています。
△徳林寺前には「野並相生山」碑が建つ

△相生山の案内図(天白区区役所)
 

 

 

 

 
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