市電八事線に関する本を見つけました。タイトルは、「ちんちん電車と少年車掌 ~わが青春の名古屋市電~」(名古屋ライトハウス)。著者の吉川氏は大正11年生まれで(たぶん)、十四歳の時(昭和11年)に名古屋市電の車掌見習いとなったそうです。
 
さて、吉川氏の自分史「ちんちん電車と少年車掌」の中に、尾張電気軌道が開設した終点八事〜東八事間の「墓地線」に関する恐怖体験が描かれていました。紹介してみましよう。
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【八事線②】
■昭和三年頃まで八事電車(注釈/元は尾張電気軌道)には霊柩電車があった。車型は同じ、外装は真っ赤に塗られ、外からはっきり分かる。同じ車両に見送りの人も同乗する。八事終点より東へ二百メートル。北へ三百メートル、現在の墓地管理事務所の横まで軌道(墓地線)が存続していた。そこから四百メートル北東に、火葬場があり細い一筋道がある。
△八事霊園 入り口
 
■(墓地線は)車両の走行がないので軌道は草が茂っている。梅雨時の本線での蒸し暑さや息苦しさもなく、外気にも直接触れて爽快感を味わっている八事線。
 
■しかし、人生「楽あれば苦もあり」とかで裏があった。平日午後九時頃には乗客はまばらになる。この日午後十一時終電として八事に着いた。終点より折り返し点まで四十メートル、少し上り勾配だ。北側は小高く木が茂り、南側は街道沿いの家の裏。洞窟のような所へ入って行く。
 
■雨がしとしと降っている。周辺は真っ暗、その先に裸電球のほのかな一灯がある。ポールの綱を握って回しつつ上を見る。星も月もない闇の中から、中空にぽっかり炎が浮かび上がっている。
ほんわり、ほんわり、ゆっくり上がって行く。 
「あ、あ」
 
火の玉だ。噂の人魂だ。この辺りはその昔、人骨が埋められ、火の玉が出る場所とは聞いていた。怖さで足元が定かでない。
 
■火葬場での焼却は夜のみとか。ここから近い所で、今頃真っ赤な炎をあげて死体が焼かれていることが頭をよぎる。しとしと降る雨の中での作業に恐怖が覆いかぶさる。ポールを架線へ接続させる手がふるえてなかなか届かない。このことは今でも誰にも話したことはない。
△尾張電気軌道(のちの市電八事線)八事停留所跡
 
飯田街道(右)から左へ入る脇道とに挟まれた三角地帯が元の八事駅舎跡です。現在は居酒屋さんと市営地下鉄に入るエレベーター乗り場が併設されています。吉川氏によると『街道沿い北側に駅舎がある。二十坪程。ベンチも備え付けてあり、売店もある。パン、キャラメル、駄菓子なども並んでいる。構内らしく整備されている。』と昭和初期の駅舎の様子が語られています。
この左へ入る脇道が尾張電気軌道(市電八事線)の中でも軌道幅が感じられる貴重な廃線跡で、ここから八事霊園(東八事停留所)までが「墓地線」と呼ばれていましたが、吉川氏によると昭和3年頃に廃線となったということです。
 
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