とうとう 幻の八事川 を写した絵葉書を発見しました。八事川と呼ばれる河川の事は以前から気になっていましたが、今回はこの絵葉書をキッカケに幻の「八事川」について詳しく探求していきます。
「なごやの町名」(角川書店編、名古屋市計画局刊)という本の中の「南区中江」の項に、八事川のことが以下のように記されています。中江の町名の由来について、「中江は、八事を水源とし、古くは八事川と呼ばれた中江用水による」とあります。
 
また寛政4年(1792)から文政5年(1822)に編纂された「尾張徇行記」のなかの「山田庄 新屋敷村」の条にこう記されています。(※新屋敷村とは現在の名古屋市南区桜学区あたりの事)
■『此の村は民家、塩附街道の東寄りにあり。櫻村の方へ行けば笠寺道なり。(中略) 用水は中井筋にかかり也。此の井筋は上の八事より湧水す。旱(ひで)りにも此の水涸るる事なき由。井組は、八事村、中根村、山崎村、新屋敷村、櫻村、笠寺村、本地村、水袋新田なり』と。
※「井組」:古くより河水の配分で近隣や下流の用水の間で争論、乱闘、訴訟など水争いが頻発しました。このため流域の村々が入った「井組」という組織が作られ、ここが交渉の主場となり、後に水利組合と形を変えます。
△絵葉書「新屋敷 大プール全景」(昭和初期)
 
「八事川」は、下流では「中井用水」とか、「中江用水」とか、「桜用水」とか、「中江川」とか呼ばれていました。名古屋市南区のホームページでは、
■『中井用水は、天白区下八事下池を水源とする水路です。天白区・瑞穂区・南区の丘陵地の水を集めて大江川に注いでいます。本地村の七子水田、水袋新田の灌漑用水として造られたと考えられています』 と紹介されています。
 
水源とされる「下八事下池」とは、天白区表山3丁目にある八事下池公園あたりにかつてあった溜池のことで、ここから南へ流れ出た八事川は、昭和高校の脇を流れ下だり中根公園で西へ流れを変えて天白川と並行して走っていました。中根公園を出たところから「中井用水緑道」として川に蓋がされ、川筋に沿って緑道が整備されています。
△八事下池公園(天白区表山三丁目)
△八事川は昭和高校(右)脇を流れ下り(歩道下の八事川に蓋がしてある)
△中根公園で流れは西へ(瑞穂区白砂町)
△中井用水緑道の始まり(瑞穂区井の元町)
△天白川(八事川は右手の堤防外を天白川と並行して流れていた)
 
そして南区大堀町あたりで流れを南に変えて、桜田中学校の脇を通り、東海通や地下鉄桜通線を超え、見晴台下の赤坪町で天白川と合流していました。しかし、天白川の川底が高くなって排水が困難となり、元文6年(1741)に大江川に向かう流れとなったようです。戦後、舗装や下水道の普及による流量の減少と水質の悪化により昭和55年から平成2年にかけて暗渠化され、用水路上の一部が「中井用水緑道」となったという訳です。
△中井用水緑道(南区大堀町)
△桜田中南交差点(八事川は東海通を渡る)
△笠寺ポンプ所脇(南区砂口町)
 
笠寺ポンプ所からさらに「中井用水緑道」を進むと、名鉄本線脇の「本城公園」(本星崎駅近く)あたりからようやく八事川の川面が見えるようになってきます。名鉄本線をくぐって、さらに進むと国道1号線にぶつかります。国道を渡って八事川を探して歩くと、川は急に大きくなって現れましたが、これが八事川が流れ込む「大江川」です。大江川は東海道新幹線の高架下をくぐり、さらに流れています。そして最後は「大江川ポンプ場」あたりで再び暗渠化してしまいます。
△本城公園(南区本城町)から八事川が地上に出現

△名鉄本線をくぐる八事川
△東海道新幹線高架の下を通過
△大江川ポンプ場の手前で八事川は大江川と合流
△大江川緑地(ここまで八事川は約7㌔でした)
△大江川も暗渠となり緑地帯へと変貌
 
△中井用水緑道と大江川緑地の周辺図
 
「南区の歴史」(愛知県郷土資料刊行会)に古老の興味深い話が載っています。
■『桜の用水は八事に溜池があり、面積は三町歩余(3ヘクタール弱)と称したが実際は半分位である。中江(中井)用水を通して水を引いたが途中の村でいじめられた。この池を売却したが、中江用水へ流れ込む余剰水で十分灌漑ができた』 とあります。
 
 
さて冒頭の絵葉書のクレジットには「新屋敷 大プール」となっていて、現在の桜田中学の脇を流れていた八事川(中井用水)を塞き止めて作った天然プールの様子です。絵葉書を見ると、水は澄んでいるようで、左手には呼続台地の端の森(河岸段丘)、川の奥には八事丘陵が写っており、今では考えられない風景です。
さらに驚いたことに探訪中に「新屋敷プール」があった辺りに、案内看板が設置されていることを発見しました。昔はなかったけど……平成29年3月に設置されたようです。
桜学区連絡協議会の掲示板に以下のように紹介記事が出てていました。
■『桜学区の東側を南北に貫通する中井緑道に、戦前ここにあった新屋敷プールを示す案内看板が完成し、除幕式を行いました。現在の桜学区の辺りは新屋敷村とよばれ、新屋敷プールはかつてこの場所に存在しましたが、現在その面影は全くなく、地元でも忘れ去られ幻のプールとなっていました。
このプールは八事下池付近を水源として大江川に注ぐ灌漑用水を、鯛取通あたりに堰を設け水を貯め、プールとして子供から大人まで親しまれていましたが、周囲の宅地化による灌漑の不要や水質悪化により用水路は昭和55年~62年にかけ暗渠化され、中井緑道として散歩の楽しめる緑の道へと変身し、当時の面影は全く無くなっていました。』 と。
△市立第三商業学校(桜台高校)水泳部の練習風景
△新屋敷プール 説明看板(中井用水緑道)
 
 
最後に、尾張電気軌道考で取り上げた理由については、古老の話に出てくる「八事下池」の売却先が「尾張電気軌道」と推定されるからです。「尾張電気軌道」ではこの八事下池を埋め立てて、「八事遊園地」を設置して尾張電気軌道の電車の集客カを高めようと計画しました。
△「尾張電気軌道 沿線案内」(建設中の本社遊園地)明治45年刊
 
尾張電気軌道開通と同時に開園した「八事遊園地」は大正元年に完成。現在の我々の感覚の遊園地ではなく、多少遊具は置いてあるものの、広いグラウンドであったと云います。ここでは職場のレクリエーション行事や学校の運動会、遠足旅行などに貸し出されたようです。
 
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