始発の千早から「尾張電気軌道」に乗って八事方面へ向かって進み、山中あたりを過ぎると、ため池が見えてきて、左手には川名山と滝川山が次々と迫ってきます。そのあたりで電車を降りると、そこが電停「池ノ端」でした。電停から八事方面を見ると、左手の山の上へ向かう急な石段が見えてきますが、それが「持福山光真寺」の入口です。
△絵葉書 尾張電気軌道沿線シリーズ 名古屋広路町 光真寺(光真寺ヨリ見タル隼人池)
△光真寺に上る急な石段
△光真寺(名古屋市昭和区滝川町17-10)
 
この絵葉書も「尾張電気軌道沿線名所」シリーズの一枚です。「光真寺」は曹洞宗の寺院で、元は清州外町に薬師堂として創建されます。その後、名古屋市中区門前町へ移転し、さらに大正11年に現在地へ移ってきました。つまり尾張電気軌道の開通(明治45年)後に移転してきた訳ですが、同寺は「不截薬師」として参詣客を集めました。
△開発が進み絵葉書のように光真寺境内から隼人池は見えず

△隼人池公園
 
さて、隼人池公園の入口に「隼人池」の説明書があり、わが尾張電気軌道のことが記されています。感謝感激です。そのままお伝えしたいと思います。
「今から三百数十年前、尾張藩家老犬山城主 成瀬隼人正正虎が石仏村と川名村の間(現在の藤成通、戸田町、長池町付近)に新田を開墾した。成瀬家の姓を藤原と称し、苗字の藤を取り合わせ藤成新田といった。その新田の水源地として雨水の溜池をこの地に設け、後に隼人正の名をとり隼人池というようになった。隼人池の水は川名川(山崎川)に樋を架けて流し、藤成の田んぼを潤した。樋は現在の檀渓橋北あたりに架けられ、この様子は尾張名所図会に保存されている。明治四十五年、尾張電気軌道(株)が開通し、杁中と興正寺前の中間に池ノ端という停留所が設けられ、チンチン電車が行楽客を運び、沢山の人たちが魚釣り、水泳ぎを楽しんだ。尚、当池の東三十メートル程のところに、名古屋市指定天然記念物まイヌナシの木があり、春には白い花をまた秋には可愛い実をつける。」
△こちらは昭和区役所が設置した「昭和区の今昔」看板で、よく見ると隼人池の池端に飯田街道がとおり、丘の上に光真寺の屋根が見える

△市バス 杁中バス停(電停・池之端の跡ではないが一番近そう)
 
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