尾張電気軌道(八事電車)を終点「天道」(のち八事に改称)で降り、天白川を目指して丘を下っていく下り口に「地蔵道」という石標が立っています。これが大正から昭和初期にかけて「島田地蔵寺」への道標でありました。現在でも、八事交差点付近の歩道脇に残されています。
△絵葉書 島田 毛替地蔵寺(尾張電気軌道沿線シリーズ)
△八事交差点付近の「志まだ 地蔵道」の道標(大正9年建)
 
「島田地蔵寺」は、古厩山(こまやさん)と号し曹洞宗のお寺です。嘉吉2年(1442)、樵山和尚の創建で、延徳3年(1491)天白川の大洪水により寺殿ことごとく破壊されましたが、明応9年(1500)、秀建和尚が再建して地蔵尊を本尊にまつり「地蔵寺」と改めました。尾張六地蔵第五番札所で、「雨降地蔵」とか、「毛替(けがえ)地蔵」の名で知られています。
△島田地蔵寺(名古屋市天白区島田3丁目113)
 
ここは、尾張電気軌道(八事電車)沿線の名所の一つであり、電停・八事天道から距離としては2.5㌔ほど、歩いて30分ほどの道のりでありました。ここも当時の人気スポットと云われています。とくに女性に人気があったそうです。
△毛替地蔵堂
 
むかしむかし、とある野武士が尾張・美濃を徘徊して各地の厩(うまや)の白馬を盗んで、これを黒毛に変えんと地蔵尊に祈願すると、霊験たちどころに現れ黒馬に変わったと云います。野武士はこれを売って歩いたという伝説が尾張地方に伝わっていますが、この故事にちなんで、明治・大正・昭和初期になって、近在近郷の女性たちが永遠の黒髪を願って大挙して、島田地蔵を参拝したことから「毛替(けがえ)地蔵」の名で呼ばれました。
 
冒頭の絵葉書も、「尾張電気軌道」の沿線名所シリーズの貴重な一枚です。美しくなりたいという女性の願いは今も昔も変わりませんね。
 
 
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