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〔2022年05月04日に掲載したもの〕
「八事遊園地」は尾張電気軌道が自ら終点・電停「天道」(のち八事に改称)の近くに建設した集客施設です。尾張電気軌道(通称・八事電車)を探究する者として、長年探しまわっていましたが、このほど「尾電八事遊園地」の様子を知る貴重な絵葉書を手に入れました。
なお、尾張電気軌道が全面開通前に発刊した「尾張電気軌道 沿線名所案内」(明治45年刊)をみると、遊園地建設予定地の写真が掲載されており、電車開業の時点ではすでに八事遊園地の建設は決定していたということになります。八事電車と八事遊園地はセットで計画されていたのでありましょう。
△絵葉書「第十三回名古屋専売支局奨励会」(八事遊園地)
 
「八事遊園地」は、現在の名古屋市天白区表山三丁目~瑞穂区弥富町茨山にかけてあり、現在ではマンション、企業の独身寮やテニスクラブとなっています。
「天白区の歴史」(愛知県郷土資料刊行会)には次のように記されています。
〔八事遊園地〕
 八事遊園地の完成したのは、大正元年である。遊園地には、競馬場、ボート場、猿園、ブランコ、滑り台などが整備され、大人から子供まで一日の行楽を楽しむことができた。
 そのため、会社や工場の慰安旅行、小学校の遠足でよく賑わった。菓子やまんじゅう、酒類を売る店も並んでいた。中でも八事名物として、蕎麦まんじゅう、湯豆腐、紙づくりの蝶などを売る店もあった。
△現在の八事遊園地跡地の様子
 
この絵葉書にはクレジットが入っていて、「第十三回名古屋専売支局奨励会(八事遊園地)」とあります。「専売支局」というのは、明治31年に日本政府が葉タバコの専売を開始し、その担当部署として大蔵省が管轄する「葉煙草専売所」を全国に61箇所に設置していましたが(現在の日本たばこ)、翌明治32年(1899)5月1日、葉煙草専売所が廃止され、その機能を担う「専売支局」を全国56箇所に設置したと云います。
第13回目の開催ということは、明治32年に13年を足して、大正元年から大正3年までくらいの間の八事遊園地の様子を写した絵葉書ということになります。
 
△絵葉書「第十三回名古屋専売支局奨励会」(仮装競争)
 
絵葉書は昭和の時代まであった企業による「社内大運動会」のようです。徒競走やリレー、球入れ、綱引き、仮装競争、借り物競争などが行われ、応援合戦もやっているようです。運動会のプログラムは現在とあまり変わりませんね。模擬店も出ていて従業員の皆さん何か貰ってがっつり食べていますね。まあ時代的に焼きそばとか、たこ焼きということはないと思われますので、うどんとか団子とかおでん(名古屋だから味噌おでん)とか、それこそ名物そば饅頭というところでしょうか。
 
△絵葉書「第十三回名古屋専売支局奨励会」(模擬店)
 
日本専売公社名古屋工場は、名古屋市東区にあったと云われていますので、尾張電気軌道の起点となる電停「今池」まで歩いて来て、八事電車に乗って終点の電停「天道」(のちの八事)で下りて、八事遊園地まで坂を下って来場したということでしょうか。いろいろ想像が膨らみます。
 
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