自転車乗りのシンドラー【ジーノ・バルタリ】 | BI・CI・CLASSICAのブログ

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BI CI CLASSICA~ イタリア語で「旧い自転車」を意味する。
旧き良きヴィンテージ・ロードの世界観をイタリア人オーナー
VELATIの思想、言葉を通して伝えていきます。

皆さん

こんにちは

 

ALEXです。

 

本日ご紹介するのはこのお方!

 

(GINO BARTALI 1914-2000)(写真はインターネットより)

 

ジーノ・バルタリさんです!

 

実はビチクラシカの入口すぐの頭上にはBARTALIのバイクが。

 

 

実はこれ、引退後のバルタリさん本人が乗っていた自転車そのものなのです。

この貴重なバイクは売り物ではなく、展示するだけ。

 

ビチクラシカに足を運ぶと何時でも見ることが出来ます。

 

 

バルタリさんは

レーサーの時代、ミラノサンレモ、ジロ、ツールで大活躍をし、

イタリア中の大スターでした。

 

一時はホテルには彼のファンが押し寄せたため、ホテルから出ることもできなかったり。

寝る時はファンの歓声がうるさいため耳栓をしていた程だったそうです。(笑)

 

ファウスト・コッピとはライバルであって、レースに勝つよりライバルに勝つことの方が2人にとって大切だったそう。

 

名選手で国民的英雄だった彼。実はもう一つの顔があったのです。

 

さて、時は第二次世界大戦。

ヨーロッパではナチスドイツが勢力を強めていたころ。

ユダヤ人は迫害され、強制収容所に入れられ、ホロコーストが行われていました。

 

そんなユダヤ人の多くを助けたものとして、日本では

命のビザで有名な杉原千畝や満州経由で日本へ逃がした樋口喜一郎中将が有名ですが、

(写真はインターネットより)

 

 

実はバルタリさん、彼らとも並ぶ偉人なのです。

ユダヤ人迫害の中、イタリアにはDELASEMという組織があり、

ユダヤ人の多くを亡命させるため、偽造書類をつくったりしていました。

 

しかし、そのためには必要な書類や、顔写真などを運ぶ必要があり、もし途中で検問等に合うと終わりです。

そこで彼らはバルタリさんの力を借りることに。

 

バルタリさんはフレームのパイプの中に写真や書類を隠し、

練習を装い自転車で行き来していました。

 

下手をすると自分の命が危ない中、

危険を顧みず多くの命を救うためにペダルを回しました。

 

また、ユダヤ人を隠したカートを自転車で引きながらアルプスを越えていたこともあり、

パトロール中の警官にこれは何かと聞かれたら、

「特殊なトレーニング器具です」と言ってごまかしていました。

 

彼はDELASAMのグループが800人のユダヤ人を亡命させるのに多大な貢献をし、

自転車の世界だけでなく多くのユダヤ人にとっても英雄となりました。

 

彼は生前にそのことをほとんど他言することなかったそうで

家族に詳細を聞かれても、「人として当たり前のことだ。この話は以上。」

としか言わなかったそう。

 

彼の死後、彼の日記やDELASEMの人の日記によってこの詳細が明るみに出たのでした。

 

 

(写真はWikipediaより)

 

英雄でありながらもどこまでも謙遜な彼と、この渋い顔。

男の生き様としては完璧ですね。

 

「自転車は世界を救う!」

ではまた。

 

Arrivederci!