たまさか見たブログだったか、目に飛び込んできた興味深いタイトル。内容は二の次で
さっそく購入しました。こういうパターンはいつもどおり。自然科学論文ではないから、
表題が内容を忠実に表しているとは言えないことも多いので、はずれることもしばしば。
しかし、欲望には勝てず、といったところです。
岸恵美子著『ルポゴミ屋敷に棲む人々:孤立死を呼ぶ「セルフ・ネグレクト」の実態』
(幻冬舎,2012.)367.75||K
実家の近所にも、似たようなゴミ屋敷があって、なにをしたいのかよく解らないですね。
周囲もとくに気にしておらず、妹は実家に遊びにきている際、帰ろうとしない甥たちに
対して「ほら、ゴミ屋敷どうなったか見ながら帰ろう」など、エサにしている程度で、
彼女もその家のことを知らないと思う。もちろん、僕も誰が住んでいて、なにをしている
人なのか知らない。
著者は、そういった無関心さがよろしくない、地域でも行政でも、根気強く関わって
「ゴミ」を整理(処分ではない)してゆくことが必要だという論調です。
まあ、解らないでもないけど、その費用って多くは税金だったり、町内会費だったり、
ゴミ屋敷で暮らす当人のお財布からは出ないってことでしょうかね? ならばそんな
こと躍起になってする必要もないのではないかな、とも思います。
福祉が充実しているあまり、そのボーダーラインで生活する人が増えています。
非正規雇用者は、ギリギリで生活できるゆえ、セーフティネットを利用できないという
矛盾さえあります。
自分のことは自分のこと、他人は他人。それは悪いことではない。むしろこんな
バカげた日本では唯一キープすべき命綱のような気がします。もちろん他人に
手をさしのべることも人としてたいせつだけど、それは教養と倫理の問題であって、
公式化・制度化できない人の心の問題。
前回、柳美里著『JR上野駅公園口』を読んだけど、あのように事情がある方も多い
はず。「手をさしのべる」という一方で、「皇族が来るからどこかに行ってろ」という
理由でテントをたたんで避難せざるをえない人もいるのです。
行政や国の矛盾です。
ルポゴミ屋敷に棲む人々:孤立死を呼ぶ「セルフ・ネグレクト」の実態