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恵那クリスチャンセンター
メッセージ: 神内 源一 牧師
「揺るぎない信仰 2」 2
今日は大きく分けて二つの「信仰」を語りたいと思います。
「彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。」
(ローマ4:20、21)
この不信仰というのは約束を疑うことです。
アブラハムはなかなか子供ができなくて、
25年かかって約束の子供を得るわけですけども、神様の約束を疑わないで信じてきたのです。
そして子供イサクが与えられ、
神に栄光を帰しました 。
私たちは、いただいている信仰において疑うようなことはしない。そして、神に栄光を帰す、
そのような信仰です。
アブラハムは神様が言われたことは
必ず成就することを固く信じたのです。
あなたは祈っているのに、この祈りは叶えられなかったということがあるかもしれません。
しかし、先回見てきたように、私達の視点、
私達の立ち位置、それは天からものを
見るんだということです。
今 私たちは 神の約束を信じています。
そして神に栄光を帰す。
こういう信仰の使い方をしているのです。
クリスチャン生活を長くやってる中で、祈りが叶えられて良かった、また、祈りが叶えられなかったということもあります。
ある方が教会に行き、 イエス様を信じて、
のろいの人生から祝福された人生を得たということでクリスチャンになりました。
ある方はお子さんが大変な状態で生まれ、
イエス様を信じたらいやされるという信仰の中でクリスチャンになりましたが、
お子様のことで苦しまれていた奥様がなかなか祈りが叶えられなかったと言って教会に来なくなった人をみたことがあります。
信仰の主体はあなたではないのです。
何かを願い、その祈りが叶えられたから
神はいる、叶えられなかったから神がいない、
そういうものではないのです。
祈りが叶えられなくても神はいるのです。
祈ったことがすべて
叶えられるわけではありません。
ユダヤ人の歴史の中で二度の捕囚にあいます。
彼らは「主よ、私はあなたの民ではありませんか」と祈ったでしょうが、捕囚されていきました。
エジプトに、またバビロニアに捕囚されたのです。長い間、捕囚されていくということが二度起こったのです。
彼らは捕囚されて、助けてと言ったのに助からなかったから神がいないのか、
そうではなく神はいるのです。
そうなったのは、彼らの不信仰、 偶像崇拝をしていた、そういった原因です。
祈ったことが 叶えられなかったから神はいないのではないのです。
神はいて、そして決して滅ぼさない。
イスラエルの国はもうなかったのですが、
1948年に、このイスラエルという国ができたのです。
聖書通り戻ってきたのです。
黙示録をみますと、世界中がイスラエルを攻めてくるとあるのですが、その時点ではイスラエルという国がないのです。
聖書は嘘という意識が 起きたわけですが、
イスラエルの国ができ、あの 黙示録の預言、世界中がイスラエルを攻めてくるという世の終わりの条件が整ってきているわけです。
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信仰していく上で、例えばあなたが熱心で、
神様に用いられたい、このように思うところがあるかもしれません。
続く
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