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恵那クリスチャンセンター

メッセージ: 神内 源一 牧師

 

「揺り動かない信仰」2

 

また、バラクとバラムという人がいました。

(民数記2224章)


バラクは、イスラエルの民を

呪ってほしいという要望を

バラムにしました。


そのようなことは祈るべきでないので、

即座に断るべきものです。

バラクの遣わした人たちが持ってきた物、

言われる言葉に対して、

もしかしたら神様が自分に何か

ほかのことをお告げになるかもしれない

という心を持つので

バラムは間違った選択し、

イスラエルを呪おうとするのですが、

祝福しかできませんでした。


新しい年を迎えるにあたって、

私達に必要なのは揺り動かない信仰です。


祈りが叶えられるときもありますし、

叶えられないときもあるかもしれません。


祈りが叶えられたから、

自分の思いどおりになったから神がいる、

ならなかったから神はいない、

そういうものではありませんね。


私たちは揺り動きます。

ペテロでも揺り動きましたから。


私達が揺り動かないようになるためには

どういうことに

注意したらいいのでしょうか?


少し揺り動いても、多少揺り動いても、

いや大分揺り動いても、

戻り方を知っていれば

私たちは信仰を続けていくことが

できるのではないかと思います。


「イエスが道に出て行かれると、

ひとりの人が走り寄って、

御前にひざまずいて、

尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを

自分のものとして受けるためには、

私は何をしたらよいでしょうか。」 

イエスは彼に言われた。

「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。

尊い方は、神おひとりのほかには、

だれもありません。」

(マルコ10:17、18)


訳によって「尊い」は

「正しい」「よい」などあります。

口語訳聖書では「よき」となっています。

良い方です。

私達が決してよいわけではないです。


旧約聖書にあるように、

私たちは神の前に立つことができません。

よい方は父なる神であり、

神に遣わされたイエス様以外には

いないわけです。


私達が知らなければいけないのは、

自分自身がよい、尊い、正しい、

そういうものではないということです。


その正しくないものが

揺り動かない者となるために

どこに注意するかというところに

目を向けていきたいと思います。


よい方は神お一人であるのですね。

マルコ10章の話は有名な箇所ですから

ご存知だと思います。


この青年は律法は「小さい時から守っております」と言いましたね。


そこで、イエス様は彼に

なんと言われたのでしょうか?

 


続く



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