みことばの祝福をお届けします 


恵那クリスチャンセンター
メッセージ: 神内源一牧師

「ローマ10:9、10」 


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自分をニつに分けるのです。

その説明として少しみていきます。


「その教えとは、あなたがたの

以前の生活について言うならば、
人を欺く情欲によって

滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、
またあなたがたが

心の霊において新しくされ、
真理に基づく義と聖をもって

神にかたどり造り出された、
新しい人を身に着るべきことでした。」

(エペソ4:22~24)


自分を、古い人新しい人に分ける。

古い人というのはアダムの性質と

自分が犯す罪の性質。
この古い人を脱ぎ捨てる。
in Christ 
で、キリストの割礼によって

古い人を脱ぎ捨てたのです。
そのことが十字架でなされたわけです。


一つの バプテスマ  新生のバプテスマを受けた時にそれがなされたのです。


「神にかたどり造り出された、新しい人」

というのはイエス様です。
 私たちはイエス様を着ている、

それゆえ私たちは恵みを受けているのです。


「私のからだの中には異なった律法があって、

それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、

私を、からだの中にある罪の律法のとりこに

しているのを見いだすのです。」

(ローマ7:23)

自分の中に罪のからだを持ってるので

律法によってさばかれるような

意識があります。

しかし、霊的にはそれはもう

死んでる自分なのです。
そういうところで、

心の中で葛藤があり悩むのです。

パウロも言っています。
「私は、ほんとうにみじめな人間です。

だれがこの死の、からだから、

私を救い出してくれるのでしょうか。」

(ローマ7:24)

このように 自分の中に

罪を犯す自分があると言っています。
イエス様に従っていきたいと思っているのに

裏切るようなことをやってしまうところが

自分の中にあるのです。


パウロはどうやって

結論したのでしょうか。


「私たちの主イエス・キリストのゆえに、

ただ神に感謝します。
ですから、この私は、

心では神の律法に仕え、

肉では罪の律法に仕えているのです。」

(ローマ7:25)

罪をしてしまう惨めな人間なんだけども、

主イエス・キリストのゆえに、
つまりイエス・キリストの割礼によって

(パウロ)は解決してる、

と言うのです。


そのことによってどうなるのでしょうか。


「こういうわけで、今は、

キリスト・イエスにある者が

罪に定められることは決してありません。」

(ローマ8:1)

私たちは死んだので

債務証書は無効になった、
それゆえ あなたは決して

罪に定められないのです。


言ってみましょう。


「私はイエス様のおかげで

決して罪に定められません。

イエス様の名前でア-メン」


私たちはキリストの

満ち満ちた姿になっているのです。


コロサイ2:14

「いろいろな定めのために私たちに不利な、

いや、私たちを責め立てている

債務証書を無効にされたからです。」

それがイエス様の十字架です。
「神はこの証書を取りのけ、

十字架に釘づけにされました。」

十字架にはりつけになっているのは

あなたではない、イエス様でもない。
この無効だという債務証書が

はりつけになってるのです。


だから私は十字架を見る時に

「無効になっている証書が

はりつけになっています。

感謝します。」

ということです。


そして、私たちはどうなるのですか。



次回へ続く

 


 

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