Good News Bible

聖書のことば:一番古い記述、考古学的にその記述の正しさが証明されているところは

BC1500年のものです。今から約3500年前、また、一番新しいところは、紀元100年 

約2000年前から 聖書は人類の歴史と共にありました。国際化グローバルな時代、

諸外国の人々との交流のためにも、この聖書の価値観を知っておかれることは有益

ではないでしょうか。できるだけわかりやすく聖書やその思想について知っていただきたく、

サブ・ブログ【こころのエステ&フィットネスジム】 を書いています。


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【お金に関する聖書の勧め】

「あなたがたは地上に富を積んではならない。

そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、

また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。


富は天に積みなさい。


そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく

また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。

あなたの富みのあるところに、

あなたの心もあるのだ」


(マタイ福音書6章21節)


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「・・・人は、それぞれ、自分自身の欲望にひかれ、

唆(そそのか)されて、誘惑に陥るのです。

そして、欲望ははらんで罪を生み

罪が熟して死をうみます・・・。」


(新約聖書 ヤコブの手紙1章14-15節)


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「イエスは議員が非常に悲しむのを見て言われた。

『財産のあるものが神の国に入るのは、なんと難しい

ことか。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の

穴を通る方がまだ易しい・・・』」


(新約聖書:ルカによる福音書18章24節)


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「もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、

大きな利得の道です。


なぜならば、わたしたちは、何ももたずに世に生まれ、

世を去るときは何も持って行くことができないからです。


食べるものと着るものがあれば、

わたしたちは、それで満足すべきです。


金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害な

さまざまな欲望に陥ります。


その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。


金銭の【欲】は、すべての【悪の根】です。

金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て

さまざまのひどい苦しみ突き刺された者もいます。


(新約聖書 テモテの第一の手紙 6章6-10節)


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金銭に執着しない生活をし、今持っているもので

満足しなさい。

神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、

決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。


(新約聖書 ヘブル人への手紙13章5節)


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【>>こころのエステ関連記事に戻る】



【少々困難を伴いますが】

本日も、お立ち寄りくださり有難うございます。

7月も終わり、8月に入りますね。

暑い中ですが、みなさまのご健康、お仕事、ご家庭

すべての上に、神様の祝福とお守りが

豊かにありますように。


また、マルコによる福音書に戻りまして

イエス=キリストという方の、生涯やそのお働きを

みていくことができればと思います。


順番的にはマルコ福音書1章後半に

なりますね。そこには、【霊】のお話が出てきます。


これは、伝える側も、お読みになる側も

いろいろな意味で、困難を伴うものであると

思います。


しかし、聖書に書かれていることなので

できる限り、みなさまのお役に立てることを

願いながら、お伝えしたいと思います。


みなさまからの、積極的なご感想や

コメント、ご質問をお寄せいただくと

記事をすすめやすいので、どうぞ、

よろしくお願いいたします。


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(イエスと弟子たち)の一行はカファルナウムに着いた。

イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。


人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、

権威ある者として、お教えになったからである。


そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて

叫んだ。


「ナザレのイエス、かまわないでくれ。

我々を滅ぼしに来たのか。正体はわかっている。

神の聖者だ。」


イエスが

「黙れ、この人から出て行け」


とお叱りになると

汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、

大声をあげて出て行った。


人々は皆驚いて、論じ合った。


「これはいったいどういうことなのだ。

権威ある新しい教えだ。

この人が汚れた霊に命じると

その言うことを聴く」


イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の

隅々にまで広まった。


すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの

家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。


シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので

人々は、早速、彼女のことをイエスに話した。


イエスが、そばに行き、手をとって起こされると

熱は去り、彼女は一同をもてなした。


夕方になって日が沈むと、人々は

病人や悪霊にとりつかれた者を皆、

イエスのもとに連れて来た。


町中の人が、戸口に集まった。

イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の

人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して

悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。


悪霊は、イエスを知っていたからである。


(マルコによる福音書 1章21-28節)


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さぁ・・・このテキストを用いて、何をどのように

お話すべきか・・・正直、さまざまな葛藤、難しさを

覚えておりますが・・・


悪霊・・・とか病人のいやし・・・とか出てきますと

先端の文明、科学的合理主義思想の中で

・・・いつの時代の話?ってある方々は

おっしゃるかもしれません・・・


でも、ここで聖書が取り扱っているテーマは

現代、「スピリチュアル」という言葉に覆われて

多種多様な形で、わたしたちのすぐそばに

あるものです。


真摯にスピリチュアルな事柄について

語られているものもありますが・・・


このあたりをきちんと捉えておられないと

いわゆる 悪徳霊感商法・・・なるものに

お祓いのために、高額なお金を取られてしまったり

いたずらに恐怖心をあおられたり

威されたり、怯えたり・・

ということにもなりかねません。


【霊】の問題、汚れた霊とか

【悪霊】とはなんなのか、

また、イエス=キリストの行われた

【癒し、奇跡】の物語の本質・・・


エクソシスト、オカルト的にならないように・・・

わたくしの立場からではありますが

お伝えしてみたいと思います。


【続く】


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【霊】については、まだ構成、草稿中ですが

聖書的に次のようなテーマ内容に関してお伝えしたい

と考えています。


■「霊は、人格、人格は神格」 

 神=愛 神=霊 ならば、愛=霊

 神にかたどって造られたとされる人間(創世記1章)

 

 霊性=神性 神性=アガペー 

 霊性=アガペー(愛) 高い霊性=深い愛情

 

 霊長類のトップに君臨する人間 

 霊性(深い愛情)において本来もっとも長けている存在


■霊を考えることは愛を考えること

  悪霊とは、愛の欠落した欲望、その背後にある存在

  悪霊に支配される=自己中心(愛の反対語)に支配されること


■人格を形成・修復させる聖なる霊 

  VS 人格を欠損、破壊させる汚れた霊

  霊(内面)的な闘い:聖戦(ジハード)の本質


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※『スピリチュアルを考えるときの概念①』

http://ameblo.jp/taizo-bokushi/entry-10015302968.html

【貧しいやもめの献金】

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(神殿で)イエスは目を上げて、

金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを

見ておられた。


そして、貧しいやもめが、レプトン銅貨2枚※を

入れるのを見て、言われた


「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、

だれよりもたくさん入れた。

金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが

この人は、乏しい中から、もっている生活費を

全部入れたからである。」


(ルカ福音書21章1-4節、マルコ福音書12章41-44節)


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※レプトン銅貨2枚 

聖書の時代、当時の通貨の中でも最小の銅貨

1デナリオンの 128分の1

1デナリオン=当時の一日の平均労働賃金


もし、現代日本の相場に換算すると・・・

・・・人々の一日の労働賃金、平均はいくらでしょう??


仮に、1万円とした場合・・・


1万円÷128=約 78.1円 (1レプトン)

2レプトン 78円x2・・・約156円 となります。


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貧しい女性は、自分のできる精一杯のことをした、

自分が貧しいにもかかわらず、他者を助けるための

献金を捧げたのです。


キリストは、捧げられた金額の大小ではなく、

どのような気持ちで、その人が捧げものをしたか、

そのこころを見てくださるお方なのです。


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【ヨハネ福音書20章1-10節】

週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、

マグダラのマリアは墓に行った。

そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。


そこで、シモン・ペテロのところへ、また

イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ

走って行って彼らに告げた。


「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか

わたしたちにはわかりません」


そこで、ペテロとそのもう一人の弟子は、

外に出て墓へ行った。


二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペテロよりも

速く走って、先に墓に着いた。


身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。

しかし、彼は中には入らなかった。


続いて、シモン・ペテロも着いた。

彼は中に入り、亜麻布が置いてあるのをみた。


イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には

置いてなく、離れたところに丸めてあった。


それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、

見て、信じた。




【家と土台】

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆

岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。

雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても

倒れなかった。岩を土台としていたからである。

わたしのことばを聞くだけで、行わない者は、

皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。

雨が降り、川があふれ、風が吹いて、

その家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった」


(新約聖書 マタイ福音書7章24-27節)




【マルコ福音書1章9-11節】

そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、

ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。


水の中から上がるとすぐ、天が裂けて、

”霊”が鳩のようにご自分に降ってくるのをご覧になった。


すると、「あなたはわたしの愛する子、

わたしのこころに適う者」という声が天から聞こえた。



【マルコによる福音書1章1-3節】

1 神の子イエス・キリストの福音の初め。


2 預言者イザヤの書にこう書いてある。

  「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし

  あなたの道を準備させよう。


3 荒れ野で叫ぶ者の声がする

  『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』




【マルコによる福音書1章4-5節】

4節 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる

    悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていた。


5節 そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、

    彼のもとにぞくぞくと出て行って、

    自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネから

    ヨハネからバプテスマを受けた。



【良い麦と悪い麦】

「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に
 落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。
ほかの種は石地

 に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。 ほかの種は茨

 の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。

 また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」
 イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声
 で言われた。(中略)イエスは言われた。
「このたとえの意味はこう
 である。種は神の言葉である。」

     (新約聖書 ルカによる福音書8章5-11節)



13:25  人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて
   立ち去った。

13:26  芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。

13:27  僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきに
    なったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦が
はえてきたのですか』

13:29 彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に
抜くかも知れない。
収穫まで、両方とも育つままにしておけ。
収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして
焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」

13:36 それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。
すると弟子たちは、みもとにきて言った、
「畑の毒麦の譬を説明してください」

13:37 イエスはお答えになった。「良い種を蒔くものは、人の子(キリスト)

   畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者
   の子たちである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりの

   ことで、刈り入れる者は天使たちである。


13:40

だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、
   世の終りにもそのとおりになるであろう。

【悪の霊と神の霊との対立の構図】

5:16  わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩み

   なさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはあ

   りません。

5:17  肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するから 

   です。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のし  

   たいと思うことができないのです。


5:19 肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、


5:20
偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、
仲間争い、


5:21
ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。

以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、
このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。



5:22 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、
  喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、


5:23
柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。


5:24 キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも
   十字架につけてしまったのです。


5:25
わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、
  霊の導きに従って、また前進しましょう。


5:26 うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのは
やめましょう。

6:1 兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、
“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で
正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、
自分に気をつけなさい。


6:2 互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を
全うすることになるのです。

(新約聖書 ガラテヤ人への手紙5章16-6章2節)