<ニャンとの攻防>死んだネズミとキラキラ宝石 | BIBI83のブログ ビビたる音舞♪ノート<伊良部島編>

<ニャンとの攻防>死んだネズミとキラキラ宝石

終戦記ニャン日に寄す思考実験

(長文警報発令中🙋‍♀️)


最近、ニャンの貢ぎものが容赦ない。

昨夜は3ネズ1チュン

すべてご遺体か瀕死体

毎夜最低一体は連れて来るから
わたしは寝不足

寝そうになると、「くわえて」帰ってくる


「ニャ〜ン」とか言ってるときはお口フリーだけど

無言帰宅は要注意

くわえている。



毎度マジ切れ大騒ぎでご遺体や瀕死体を没収し
近所の御嶽の木のとこに返しにいく


わたしはネズミのご遺体を枕元に寝ることはできないけど

ニャンにとっては
本能であり遊びであり
私に対するアピールであり

この攻防戦は

「ニャンと私の愛おしい日常の1ページ」

というジャンルではある。




さて
人間界でも似たようなことは
ときに起こる

どうやらデザイン的に起こりやすいらしい

死んだネズミを投げつけられる、
というジャンルの案件を

どう見るか
どう越えるか



⓪スルー

基本はこれ
スルー対応できるものはすべてこれ
反応してチカラを与えなければ
収束してくれるケースも多々ある



①外界に起こることはすべて自分の内面の周波数の反映であると観る


自分が自分に死んだネズミを充てがうような側面があるから、外界にもそれが起こる、というおまとめ

自分で自分を攻撃している下地あってこそ
他者の言葉を「採用」してしまうという話

同じ思考がひとカケラもなければ
何を投げられようとも拾えないはず

また
私の遺伝子が刺激欲しさに自ら突っ込んでいる、という側面





どれも、そうだと思う。

自分。
まだそこかよ、と、思う。



さて
進歩に目を向けよう。

🌟「庭の木を勝手に切られたりしない世界」はつくれている。隣りのおじぃは、要望を、言葉で言ってくれるようになった。

🌟「クルマをぶつけなくてもグラウンディングできてる世界」もつくれてる。



次なるクリエイション
私がせつに選ぶは

🌻戦いのない世界🌻

これの創造にあたって
見るべきものを見せられているとも
言えるだろう


②「死んだネズミ」に関する私の偏見の存在を表していると観る

「死んだネズミが枕元にあってはならない」
「死んだネズミの投げ合いなどあってはならない」
「精魂込めた仕事を死んだネズミに邪魔されることなどありえない」



さてこれを、外せるだろうか。

別の立ち位置に立ってみよう。



🐭「イイじゃんイイじゃん死んだネズミくらい」

→やだな。やっぱり、嫌ですね。ノーセンキューです。


🐭「人間だもの、死んだネズミくらい投げるときあるよね」

→そうだね。人間だもの。
実際わたしは、ニャンが持ってきたネズミのご遺体を毎度毎度、御嶽の横に「投げて」いる。
リアルに!3次元で!
ウチの母親も、よく投げまくってたな。


🐭「アンタの言葉やダンスや何やかやだって、見る人によっては、死んだネズミみたいなものかも。人生の貴重な時間を使う価値もないかもね」

→これも、そうかもしれないね。
何を感じるのも、自由だもの。
私という存在に対して、私の表現に対して、
どんな感想を持とうが持たなかろうが、誰かの完全なる自由だ。

私だって、死んだネズミを投げて許してもらってること、あるだろう。

🐭「死んだネズミくらい投げあってこそ、人間らしいってもの。そのくらいじゃないと、おもしろくないよ」

→人間らしさとは人間性とは、何だろう。
ネズミの投げ合い=人間と定義するなれば、
わたしは人間でなくていい。
ぜんぜん、いい。
キッパリ、いい。

🐭「戦い」にノーセンキューするのって、「戦いのある世界」に戦いを挑んじゃってない?

→そうなのかな?それは、マズいね!
戦いが存続してしまうね!
ヤメよう❣️

🐭「ネズミの投げ合い」に美点を見出せるか

→やってやれないことはない。

🌟いのちなくしては、できない行動である
🌟それしかコミュニケーションの手段がない人間にとっては、重要な表現手段である
🌟ネズミすら投げられず、自死を選ぶよりかはまだ、本人が生きる活路となり得る


ああやっと、
「死んだネズミ」=美しい、てとこまで
戻って来れた。


それから、
これは私的統計だけど確かに言えることがある

💎盛大にネズミ投げて来る奴に限って、めっちゃ光る宝石抱えてる場合が多い💎

これはね、振れ幅というのかな
闇が濃いほどに光もつよい、
ということなのでしょう


私は思う
宝石出しやがれこのやろう、と。


私は私でわたしのことをやる以外に
道はない
自分のカード切ってくのみなんだな。


🌹🌹🌹まとめ🌹🌹🌹

🌟いらないものは受け取らない

🌟何を投げられようとも影響受けないくらい
満ち満ちにして生きる