<殺しのススメ>サヨナラ、黒こげちゃん。
「引導を渡す」
なかなか有効な一手だと思うので、再掲。
10年くらい前かな、
内観ワーク的なものにせっせと取り組んでいたときの話。
どうも、あきらかに、
自分内抵抗勢力というか、拮抗勢力が居ることに氣づいた。
「シアワセなほう、夢の叶うほう、心地いいほうへ、歩いていきま〜す✨」
みたいな設定のワークのとき
「ぜってえ、行かねえ」
「シアワセになんか、なってやらない」
と、くっきり、キッパリ、断言する声がした。
それはマズいなぁと。
だって、そんなこと思ってる人が居たら、
アクセル踏みながらブレーキ踏んでるみたいなもんで、すべてがそういう結果に、なるよね。
あるときその声との対話を試みた。
左肩に違和感とともに居るその声の主を
ビジュアル化してみたら。
真っ黒焦げの自分がそこに居た。
自分で灯油を被って火を着けた。
黒こげになってもまだ、生きながらえていた。
それは疑いの余地なく、自分だった。
「エル・トボ」
「グリーン・マイル」
「炎の少女チャーリー」
何故この手の映画、
焼身自殺とか
怒りのあまり世界を焼き尽くす系の映画を
じーっと見てしまうのか。
なるほど、理解した。
前世かバース・トラウマか
インナーチャイルドか
理由やジャンル分けはどうでもよくて
「とにかくそれが自分だと感じられる」
それが全てだった。
とあるプロに話すと、
「いっそ殺してあげたら?
引導を渡してあげたら?
光のなかで統合〜💕とかでもイイけどさ、
辛くない?そんなになってまで生きてるの。
逝かせてあげたら、別のカタチであなたを助けてくれるよ」
私は左肩の黒こげちゃんに問うた。
「黒こげちゃんは、どうしたい?
…死にたい?」
黒こげちゃんは、黒こげのまま、無言で頷いた。
「ほんとうに?」
「うん」
「どこで死にたい?」
「サハラ」
アフリカ、サハラ砂漠は、
今まで行ったなかでどこがいちばん好き?
と聞かれたときに答える、
ああもうここで死んでいいやと感じた場所だった。
私は想像のなかで、
意識のなかで、
黒こげちゃんをサハラに連れていった。
ラクダに乗せて。
サハラ砂漠の真ん中で
私は手を伸ばし
黒こげちゃんの心臓を
ぐぎゅっと握りつぶしてあげた。
声にならない悲鳴をあげながら。
黒こげちゃんは、光に還っていった。
と、同時に、
私のじっさいの身体の胸郭が
がこっと開き、呼吸が楽になり、
左肩の違和感が消えた。
生まれて初めて、
じぶんのほんとうの願いが
叶えられた感じがした。
殺意を自分の身体や他人に向けたくなったとき
無意識に向けているとき
実際に物理的に
自分や他人を殺す選択に行き着くまえに
意識のなか想像のなかで
逝かせてあげてみてはどうだろうか。
1回では、済まないかもしれない。
何度も、何人も、殺す必要が
あるかもしれない。
けど、
試してみてはどうだろう。
というささやかなライフハックの提案でした。
ちなみに
今居る島は
ここで生きていたいと感じる場所。
伊良部大橋を渡る帰り道
毎度毎度
ああなんて綺麗なんだろう
ただいま
と思うし
2、3日離れただけでも
帰りの飛行機から島を見下ろして
ああ、ただいまわたしの島
と
涙してしまう。
わたしはいつしか、
橋を渡ったんだと思う。
生きながらにして、
それは可能なんだ。
