このところ頻出している出来事――習い事の先生が、常に私の話をスライド、横取り、そして被せられる、さらに説教。関連してるのは・・・幼い頃に親戚の叔父に大切なものを黙って盗られ、「了承を得た」と嘘をつかれたあの時の、やりきれない記憶でした。
「どうしてこんなに誤解され、スライドされるんだろう?」そのヒントを求めてプロセスグループに持ち込みました。
そして続いて受けたメディカルヒーリングでは、友人からも、何気ない会話を誤解され、強烈な長文メールが届いたことも伝え、さらに記憶に入って、深く見ていくと、そこにはいつもにこやかで穏やかだった祖母の姿がありました。「父親が厳しかったから、私は絶対に子供は叱らないように育てようと思ったの」と優しく語る祖母。けれど、エネルギーの世界で出会った彼女は少し違っていました。
笑顔の裏側に、ひっそりと隠されていた熱い怒り。その表面と内面の「ズレ」を、子供だった私は敏感にキャッチしていたようです。無意識のうちに祖母が私の思考や価値感をコントロールしようとするその重苦しさは、まるでダリの絵画の世界のように、現実をぐにゃりと歪ませていくような、独特の気持ち悪さでした。
仙骨のあたりに込み上げる、なんとも言えない不快感。でも、この歪みを「ダリの世界」だと捉えてみた瞬間、私の中にふっと軽やかな風が吹いたのです。い
そうすると「え?何?」が起こった時――話をスライドされる、変なメールが届いたとき、
この『ダリの気持ち悪さ』の中に呼吸を送りながら、1分間だけ、ただとどまってみよう」そう決めたら、不思議なことに、あんなに嫌だった「歪められた大切なモノ」が、どこか可笑しみのある、ちょっと面白い観測対象に見えてきました。
「さて、次はどんな風にスライドされるのかな?」
そんな風に、次の「歪み」がやってくるのが少しだけ楽しみになっている自分がいます。あの時計が歪んでいるシュールレアリスムなダリの世界観の中で、不快感の他に、もっといろんな繊細な感情が流れるかも。その1分間が、私を本当の意味で自由にしてくれる予感がしています。