こんにちは。Bibako です。



この間から、あの世の話や、多くの方々には、わけのわからない信仰の話をブログに書いていました。



でもね、私、決して…



🏺買ってください!



なんて言いませんから、安心してくださいね。


😂😂😂



私の頭の中は、至ってノーマルです。変な信仰に洗脳されているわけでないですからね。私はただ、神様の存在を信じているだけです。それは、私はそう思うって事で、人にそれを強要するつもりなどないのです。



信仰も宗教も、持つ・持たない、神様や仏様の存在も、信じる・信じない、なんて人の勝手ですからね。何故?人を誘うのか?私には全くわからないのです。いいやん、他人の事は。自分だけ信じていても、それはそれだし、何もみんな同じでなくても、何も悪くないでしょ?



ただ、地球上の人類みなさんが納得できる事は、人間だけでなく、地球上の生き物は、全て生まれたら必ずいつかは死ぬという事だけではないですかね?





私はそこを考えて、その先も幸せになりたいなぁ〜(成仏したい、永遠に生きる命をもらいたい)、天国や極楽浄土で、悩み事や辛い事や悲しい事は何も無い世界で、毎日、好きな人に囲まれて、楽しく穏やかに生きていきたい…という事を、自分のために考えているだけですから。



ひとつだけ、みなさんと共有したい事は、『信じる者こそ救われる』という事です。😊❤️



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さて、今回は、宗教や信仰とは全く違う話題でお届けましすね。



私がシンガポールに来た事は、私の人生をよくするための物だったと、今は思えるので、そんな話をしてみたいと思います。



また、長文ですが、よろしければ、最後までお付き合いお願いします。❤️😊



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私、みなさんご存知?のように国際結婚ですねん。世の中の日本人の国際結婚においては、たぶんですが、その日本人が海外に興味があったから、または、外国人や外国語に興味があったから、成り立ったのではないでしょうか?



私が知る範囲ですが、私のように、海外留学や海外就職の経験は皆無、英語は嫌い、日本の実家があった地元大好き❤って人は、シンガポールで暮らしている、国際結婚している日本人の中には誰もいないといっても過言でない?くらい、珍しい事ですよ。



その珍しい人が、私なんです!





私は、独身の頃、長く付き合っていた元彼氏は、私の中学生の頃の同級生で、お互いの家もお互いの家族構成も、相手の親の職業なども(お互いの家庭の所得に何も大きな差は無い意味)、なんでも、自然に情報が伝わって、何もせずして、なんでもわかっていたという、私にとっては、結婚するには、好都合の相手だったかも?です。



また、地元民というには、彼は中学になってから、大阪の別の市から転校してきたので、彼の場合は、自分の地元は、私の地元という意識はなく、彼が生まれ育った別の大阪の市であったのです。



でも、お互いに、2つ親しみがある街があるような感じになりましたし、彼が大阪の大学を卒業した時、就職も大阪でしたから、私が将来、海外に出る事などは私は思いもしなかったです。



でも、その彼とは、結婚の約束をして、婚約して、結婚式場を探す手筈を整えていた矢先に、その彼の浮気が発覚して、三角関係の修羅場を経験し、私はもう訳がわからなくなり、彼を憎んでしまう位大嫌いになりました。






そして、婚約結婚は破談にして、当然ながら、彼とは別れて、あんな男『アホんだら!ボケ!カス!◯ねっ!』そうは思っても、私の気持ちは、もう、結婚できないかも?と考えることがありました。😭😭



だから、私は、それ以来、男性不審にも陥っていた時期もあり、この元カレのせいで男って、汚い・嘘つき・上半身と下半身は別人、と、クソのような生き物だ!と、軽蔑していたりもしました。






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私の夫は、私が公私ともに、ズタボロ状態になった時、救世主の如く、現れたのですよ。





いやぁ〜、やってきました、白馬にのった正義の味方が…(でも、やっぱり、此奴も、若い頃は不倫しよってからに、クソのような奴でした💩)



私は、結婚前も、浮気されて破談、結婚後は、サレ妻経験ありで、男という生き物って、やっぱり、上半身と下半身が別なんだ!と、結論づけ、これは、万国共通の定義だ!と、ベテラン男性評論家として、国際人デビューできたのでした!






これって、冗談ではなく、今から思えば、私に神様が、私に『夫婦たるもの』を教えてくれたようにも思います。



夫の責任と妻の役割として、お互いに結婚したら、妻は、夫を心から愛して、男という生き物を理解し、何があってもどんな時も夫を信じて、夫に従い、夫は、妻を自分の身体の一部だと大切にし、妻を心から愛する事や他の女にうつつを抜かしているのではなく、妻だけが自分の身体の一部だと、心からの敬愛を示すことで、夫婦は共に成り立つのだ!と、男の浮気についても責任がある、無しは、結婚により成り立つのだ!と、不倫は粗悪で不倫すると、それを後悔して、夫は妻の元に戻る事で、地獄行きを間逃がれる!と教わったのでした。



妻が他の男を不倫すると、言語同断で地獄行き、また、不倫した女を自分の物にした男も地獄行き、という事を教わったのでした。他人の妻には、絶対に手をつけてはならないという事だそうです。また、結婚した女性は、夫が死んだあとは別だけど、夫ある身で他の男性との不倫は、絶対にしちゃいかん!という、神様からの訓示か?くらい、大切な教えてだそうです。だから、破ったら、地獄行き…。😱😨😰




つまりね、元彼の場合は、まだ、結婚前の話であるため、辛うじて地獄行きは許される人なのか?知らんけどね、こんな将来を誓った女性に対して、男としての責任を持てない男性とは、結婚しても幸せにならない?



いや、相手がまだ結婚を理解していないから、此奴(元カレ)もあんた(私)も、実際には、結婚はまだ時期尚早だと、もう少し結婚までに修行がお互いに必要だ!と、教えてもらったのかも?しれません。



だから、元彼との結婚というよりも、お互いに結婚のベストタイミング…だ!という人が現れるまで、少し我慢しなさい!と、あの時期の私の結婚を、強く阻止してくださったのかもしれません。



そして、夫を私の目の前に現わして、こいつ(夫)が夫婦たるものを学習するために最適な相手だ!そして、私にとっての安住の地としてのシンガポール🇸🇬を私に与えてくださったというわけで、モーセの『出エジプト記』ではなく、私の人生第二章出日本記』の始まりだったのです。



Bibakoよ!あんたは、幸せになるために、何も考えることなく、シンガポール🇸🇬へ行け!と、命令してくださったのかも?です。



つまり、結婚が、私の国際人に向けた人生の幕開けだったのですわ。



これは、私が意図したわけではなく、神様が計画してくださった、私の人生のスタートになったのです。





そして、私は、それまでは、日本の実家で、何の不自由もなく、苦労という苦労もなく、育っていたけど、私の場合は、そこから(日本の実家)出て自身の安住の地として、用意されていた国は、日本🇯🇵ではなくシンガポール🇸🇬だったと、今、人生の終盤になってそれを実感したのでした。






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でもね、よくよく、考えてみると、私の場合は、シンガポール🇸🇬という国やシンガポール🇸🇬人の方々って、現在ある私の幸せのためには、本当に欠かせない存在だったのかもしれません。



私の場合は、悪い意味でのトラウマになったのですが、阪神淡路大震災で、家族や友人は被災しても、私は何も影響がなかったという事も、これは、私が既にシンガポール🇸🇬にいたからでした。



また、若い頃に挫折した教師も、リベンジ的にその職業責務を果たせたのも、シンガポールでした。



現在では、一芸は身を助ける的に、日本で取得したさまざまな資格や仕事経験は、ここで生きる私にはとても役に立ちました。これがあったから、私は、仕事を得るための苦労はあまりしませんでした。



若い頃に日本で取得した、しょーないものでも、何でも、資格があったから、私の食い扶持になりました。



また、私が日本で嫌だった、学歴コンプレックスは、シンガポール🇸🇬社会では、吹っ飛んだのでした。日本の大学なんて、海外からみると、早稲田・慶應でも、私が卒業したしがない名もない、大阪の地元短大でも、同じなんですわ。大切なのは、どんな資格を持っていて、それが仕事に活かせるか?どうか?のみ。



大学ランクももちろん大切なんだけど、海外では日本の大学で名前がみんなわかるのは、東大のみ。だから、日本では、私は蔑まれていても、シンガポール🇸🇬では、私の仕事のスキル重視なので、仕事経験者、資格保有者は、めちゃくちゃ、ええんだわ。




だから、私の場合、1番スッキリしたのは、応募者の日本人には、教師資格はなかった事から、私は、勝ったのですよ、日本では、みなさんがわかる学歴優良の大学の卒業生だった方よりも。😂😂😂



そんな良い思いをしたのも、生まれて初めてで、それも、シンガポール🇸🇬だったわけです。😂😂



経験者優遇の海外の社会では、結婚後の再就職組の私には好都合だったわけです。でも、それも、本当に何も知らなかったのに、トントン拍子に、仕事面でも、私は成功していったのですよ。日本だと、たぶん、有り得ない!



また、夫が自営だったので、無償で夫の店のお手伝いをして、セールスしていた事もありましたし、単発のアルバイトでは、デパートの売り子さんや生花や風呂敷包み、巻き寿司などを見せる人など、日本文化関係のイベントに駆り出されて、アルバイトしていた事もありました。



私が日本で得た物は、なんでも、シンガポールでは、私が生きて行く上で、お金を作るために役に立ちました。



そして、シンガポール🇸🇬で暮らし始めると、言葉の壁は大きく私の前に現れたのに、夫のおばあちゃんとの同居で、言語は勉強ではないと、身を持って、教わったのでした。






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私の場合は、シンガポールに何のためにやってきたのか?



それは、聖書の中で、モーセが、エジプトからの追ってをまくための手段として、海🌊を2つに分けて、エジプトから民を安全に連れて出ていった時、モーセを無条件に信じてついて行った民の如く、私は夫を無条件に信じて、家族も捨てて、日本も捨てて、夫に着いてシンガポール🇸🇬までやってきたのでした。




日本とは違い、シンガポール🇸🇬には、私にとっては、言葉の壁がある事や日本とは違う気候、日本とは違う見知らぬ土地、見知らぬ人、自分とは違う民族が暮らすシンガポール🇸🇬という国への移動であった事くらい、100も承知でした。



当時は、私は、そんな事はどうでもよくて、ただ、夫だけを信じて、しかも、駆け落ちという状況が私に与えられていて(もう2度と日本へは戻れないという状況)私は、日本🇯🇵からシンガポール🇸🇬にやって来たわけでした。



自分でも、ドラマ的で衝撃的、また、思いもしなかった、自分の人生の経路でした。






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でも、これが、この国で暮らす日本人の中でも、シンガポール人と国際結婚してここで暮らしている日本人の中でも、めちゃくちゃ、特別な事であり、私と同じような事で、ここで暮らし始めた日本人など、私はひとりも知りませんでした。




でも、私は、シンガポール🇸🇬で暮らす日本人の方々とは、全く違う人生を歩んできたと、自負してるのです。だから、根性は座ってますし、日本にいた時よりも、もっと、強く逞しくなったと思っています。



一般的に、海外拠点になった日本人の方々とは、根性も苦労も全然違うと思っています。




私は、全てそれを笑いに変えて、現在は笑顔で暮らして、幸せな日々を実感してるですよ。これは、自分がそう思うので、それで良いのです。



人の幸せなど、誰とも比べることができませんし、何を持って、幸せなのか?も、人それぞれ定義が違いますからね。あくまでも、私自身の尺度での幸せな日々を送っているという意味です。






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私の場合、言葉の違いも、異文化も、気候の違いも、民族の違いも全て、必然的に私が受け入れなければ、私は、世界中、何処にも行く所がなくなるという、崖っぷちの状況からシンガポール🇸🇬生活のスタートしたのでした。



しかも、私にとっては、信じる人は『自分の夫』のみという状況でしたから、夫が何をする人なのか?も、どんな人なのかも?その時点では、私は何もわかっていなかったのに、何故か?夫を心から信じて、何も考えることなく、家族を捨てて、日本を捨てて、夫についてシンガポール🇸🇬に来たのです。




するとね、あれから30年後、この間、面白い🤣事がありました。



最近、息子が遅い遅い、この子が生まれてから初めて?ってくらい、私に対する『反抗期』で、ボロクソに私を叱責したり、悲しませる言葉や態度投げかける事が多いので、堪りかねて夫に、『何とか言ってやってよ!』と、泣きついた時…




お前な、ママは、俺が日本から連れてきた女や!お前ごときに、ママを悪くいったり、酷い態度をとると、俺が許さんからなっ!🤬🤬



…と、こんな変な?😳😳 嬉しい言葉を、怒り💢ながら、息子に投げかけていましたわ、英語で!息子は、キョトン😳😳と、夫の顔を見て黙ってしまいました。






なんか、うちの夫って、ホンマに面白い考え方したはるわ、私からすると、そこかいっ!って、感じやけど、なんか嬉しかったわ…。❤️❤️



俺が日本から連れていた女や、文句あるんかっ!🤬っていう、ヤクザ的なセリフを、自分の息子に真剣な顔でいった、アラカンの親父!(夫) おもろ過ぎる…😂😂






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さて、国際人としての私のスタートは、言語は人と人とのコミケを図るツールだと実感した事でした。



私がシンガポールで、否応無しに、自らそこへ飛び込んで暮らし始めたとき、一番初めに、しっ・しまった…と思ったのは、言葉の違いでした。



そんな事は、もちろん、わかっていました。日本では日本語が通じるけど、シンガポール🇸🇬では通じないって事。








でもね、神様も意地悪で、それを、真剣に考えた事がなかったのは、夫が日本語ペラペラで、いまでも、夫は私には日本語以外の言葉で話した事などないのです。



それが、私に言葉の壁を真剣に考えさせなかったという事でした。



でも、シンガポール🇸🇬に、来た途端、それは、私の大きな間違いであったとわかりましたが、駆け落ち婚で、もう、私には帰るところがなかったので、シンガポール🇸🇬で生きると心に誓った事で、泣き言なんて言ってられませんでした。



だから、無理矢理でも、なんでも、おばあちゃんとのコミケをしなければ、どうしようもなかったのでした。これも、崖っぷちでした。



しかも、おばあちゃんは、広東語しか話さないので、中国語は華語(マンダリン/北京語)は辛うじて、日本でも聞いた事はあっても、広東語など知るわけがありませんでした。その頃は、華語と広東語の違いもわかりませんでした。



まずは、これを克服するために、私のキャラはとても役に立ちました。



私の良い部分である人見知りしない、何事にも好奇心がある、人が好きで自分から人に寄って行ける…というキャラを、天から与えてもらっていたので、おばあちゃんと言葉など通じなくても、おばあちゃんと私は、まずは、私の人懐こい性格とおばあちゃんが夫と同様に私の事もすぐに受け入れて、愛してくれた心で、人と人として、私とおばあちゃんは言葉の壁を超えて、繋がったのでした。



そこからは、周囲の方々には、『Chicken & Duck』言葉が通じない者同士というあだ名で、ご近所さんから私は親しみを受けていました。



そのうち、私はおばあちゃんが話す広東語が理解できるようになり、半年も経つと、おばあちゃんとの会話には困らなくなりました。




私の中では、おばあちゃんは、私がシンガポール🇸🇬に訪れた時に、夫は、自分の家族として、たったひとりだけ、一緒に暮らしているおばあちゃんを紹介してもらいました。



夫には、育ての父(戸籍上の)がいました。



また、夫の実の母は、彼が赤ちゃんの時に、理由があり育児放棄をして、実母は、夫が12歳の時、離婚して、家を出ていきました。



その時、夫は置き去りにされました。夫は、生まれた直前と12年後、2度も実母に捨てられたのでした。でも、夫は、おばあちゃんが、赤ちゃんの時から、本当の自分の子供のように、夫を引き取り育ててくれたのでした。だから、夫は、実母については、何の恨みも辛みもなかったのは、おばあちゃんが自分のお母さんだと思って、実母はいてもいなくても、関係なかったからでした。



こんな話だけでは、夫の生い立ちは語れないのですが、まぁ、とにかく、おばあちゃんとは血が繋がっていなくても、夫にとっては、おばあちゃんであり、母でもあった存在でした。



だから、夫にとっても、夫の家族はおばあちゃんだけ。血はつながっていなくても、固い家族の絆は夫とおばあちゃんにはありました。



夫が連れてきた日本人の妻の私の事も、おばあちゃんは、夫同様に、温かく歓迎してくれて、手料理をいただき、付き合っていた時から、家にも泊めてもらって、結婚した時も、すぐに、おばあちゃんの家で、普通に同居が始まりました。



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ところが、私の父は、当時、私達の結婚に大反対していました。



私は、それは知っていたけど、私は母にはちゃんと伝えて、結婚準備をしていました。大きな荷物は船便で既にシンガポールに送っており、会社は寿退社をして、夫が日本に来る日を待っていました。そして、夫が来たとき、父は『付き合ってるのはいいけど、まだ、結婚はダメだ!』と言ったのです。



私は『話しが違うやん!』って事で、父と口論になりました。



その時、夫は困惑して、とりあえず、滞在していたホテルに帰るとき、夫が、その時に、私は実家に残るべきだと言い、自分だけがシンガポールに帰ると言い始めました。



その時、私は大変ショックを受けて、夫がくれた婚約指輪や結婚指輪は嘘だったのか?また、父が反対した位で、簡単に諦めて、やめることができる位の簡単な気持ちでしかなかったのかと、頭の中が混乱しました。



すると、私は破談にした、元彼の事が、トラウマ的に甦り、やっぱり、男なんて信用できないと言う気持ちが湧いてきて、一瞬、どうしようかと迷いました。



でも、私は、ここまできたら、やるっきゃない!と、心を固く決めて、『何言ってんねん!あたしは、あんたと心中するつもりで、どこまでも、あんたと行くで!』と、夫に、私は絶対にあなたとシンガポール🇸🇬へ行くと、夫に言いました。



すると、夫は、本当にいいの?と一言聞いたら、私を連れてシンガポール🇸🇬に帰りました。



そして、シンガポールでも日本でも、結婚式も披露宴もなく、新婚旅行も無しで、シンガポールのルールに則った形で籍を入れて、正式な夫婦になりました。




家の寝室には、これが今も飾ってありますよ。😊😊



この写真は、私が当時、生まれてくる子供のために、夫に頼んで、写真館でウェディングの写真を一緒に撮りました。



そして、おばあちゃんの家で同居させてもらう、私の結婚生活が始まりました。



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実は、私は長年、夫の気持ちを疑っていたんです。それは、駆け落ちの時、夫は私は実家に残った方が良いと、結婚をやめてひとりでシンガポールへ帰ろうとしたからでした。



私は、その前に、元彼に酷い事をされて、婚約中に浮気現場に遭遇した事で、修羅場経験と共に、破談にしたのが、27歳の時でした。



それから、男性不審になり、なかなか、彼もできませんでした。そして、いろいろあって、仕事も嫌になり、結婚もできないと、逃げ出したい気持ちの時現れたのが、夫でした。夫とは、出会って一年にも満たない付き合いで、更には超遠距離恋愛のスピード結婚(駆け落ち婚)でした。



だから、余計、夫の本当の気持ちを知る事が怖くて、何もきけませんでした。



そして、結婚後、夫に、浮気ばかりされていたので、やっぱり、騙されていたんだ…と愕然とした過去もありました。



でも、それを払拭して助けてくれたのが、夫のおばあちゃんでした。




夫のおばあちゃんがいなければ、とっくの昔に離婚していたと思います。その頃は、もう、父と和解していたので、実家には自由に戻る事ができる状況になっておりました。



そして、そのおばあちゃんも亡くなり、確か、10年くらい前に、私がかねてからの疑問だった、夫の本心について聞く機会があって、思い切って、駆け落ち婚したときの本心を夫に聞いてみました。



すると、夫からの答えは意外なものでした。真剣な顔で…



僕はあの時、XXちゃん(私の事)に話していなかった事がたくさんあって、XXちゃんのご両親は立派な方で、お父さんはお金もたくさん作って家族のために生きている素晴らしい方だし、僕には、XXちゃんのお父さんと同じくらい、XXちゃんにお金をたくさん作って幸せにしてあげられる自信がなくなった。



また、あんなに良い家族の中で育ったXXちゃんには、僕とシンガポールへいくよりも、家にいた方が幸せだと思ったから、僕ひとりで、シンガポールへ帰ろうと思った。



こんな事をマジな顔で言われたので、思わず涙が出てきて、私が謝りました。私は、夫はいい加減な気持ちで、私にプロポーズしたけど、いざ、結婚となると、何だか面倒くさい事になったなと、後悔して、私を置いてひとりで逃げようとした…と、思っていた自分が、とても、恥ずかしくなったからでした。


夫は何がごめんなさいなんだか、意味はわからなかったようですが、満足そうに、僕はXXちゃんが今でも大好きで愛してるよって、恥ずかし気もなく、さらっと、言ってのけるから、余計に、私はこいつ口👄だけは、上手い男やなっ!と、照れ隠しにこんな事を夫に言ってしまう事もあるんですよ。



いけないとは思うんだけどね、私は男性から、可愛いだの愛してるだの言われる事には慣れておらず、夫しか、そんな事を言ってくれる男性がいないからです。😂😂






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さて、駆け落ち婚で、予期していなかった、無理矢理のシンガポール🇸🇬で、始まった私の国際人としての生活は…?



もちろん、私は、言葉なんて英語すらもまともにもできませんでした。



シンガポールは、多民族国家で、少なくとも、3つの異なる言語があり(中国語・マレー語・タミール語)、その多民族の中で、共通語として、英語は第一言語として、国民は必須で取得しなければならない言語です。



因みに、マレーシアでは、国民の共有言語はマレー語で第一言語、それから、英語も大切な第二言語、この二つは外せないけど、どちらかというと、マレーシアの英語は、日本人の英語と同じく、マレーシアの国民ならば、英語はできなくても問題はないらしい。その他には、シンガポールと同じく、中国語・インドの言葉もあるそうです。



インドネシアも同じく、インドネシア語は必須の国民の第一言語だそうです。



つまりね、東南アジアでは、多民族国家が大変多いので、英語だけでなく、その国の母国語とでも言える言葉は必須になるので、バイリンガルどころかわマルチリンガルにならないと生きられない!って事なのかも?しれません。



それを、神様は私に求めるのか?くらい、私は日本語しかできないといっても、過言ではないくらい、英語なんぞ、学生時代には致し方なく勉強していたような感じでしたが、社会人になってからは全く英語とは無縁・疎遠でしたし、勉強したいとも思った事などありませんでした。



そして、シンガポール🇸🇬での生活では、一緒に暮らす夫のおばあちゃんは、英語はできませんでした。



おばあちゃんは、もともと、シンガポールがマレーシアだった時代からの人間ですから、マレー語は当然、話せました。そして、広東系の中国人ですから、広東語はもちろんできました。友人の関係から福建語も、とても上手でした。



でも、おばあちゃんが話す言葉は、どれもこれも、私には、異国の言語でしたので、まずは、おばあちゃんとの広東語でのコミュニケーションからスタートしました。



私は知らないうちに、そんな環境下では、私の耳は発達していきました。



そして、おばあちゃんが話す広東語を耳👂で聞いて理解し、口で真似て話すと、たちまち、おばあちゃんとは広東語で会話できるようになりました。




つまりね、ここで体験できたことは、言語は勉強ではないという事です。頭の理解など必要なく、耳👂を研ぎ澄ます事が一番大切で、その耳👂で聞いた音を頼りに、同じ音を口真似できると良いだけだと、気がつきました。



私が、自分の体験を通してわかった事は、日本人の赤ちゃんは日本語を話し、アメリカ人の赤ちゃんが英語を話すように、また、中国人の赤ちゃんが中国語を話し、韓国人の赤ちゃんが韓国語を話す…こんな当たり前のことは、勉強ではなく、人間の本能なんだと思いました。




じゃあ、このシステムを、思い起こすためには?それは、無になる🟰言葉を知らない赤ちゃんに戻る、って事だと気がつきました。頭を動かすのではなく、目で見た動作と耳👂から入る音を聞き取るだけで良いとわかったのでした。



すると結論は、人間の言語取得の能力は、目👀と耳👂。



つまり、大人になってからまた学生時代から英語を学ぶためには、文法しっかり学ばないことには話せないと思い込んでしまっていたのですが、よくよく考えると、言語はコミケ能力で補えるという事でした。私は自分の体験からわかるのは、頭の中を無にして、赤ちゃんのように本能で、目👀と耳👂に頼ることで、異言語習得は、誰にでもできるという事でした。



私の場合、おばあちゃんは、私に言葉を教えたいと思ったわけではなく、生活を共にするのに、意思疎通を図らないとお互いが困るので、ボディーラングエッジを使うと同時に、言葉を発する事で、私は、おばあちゃんが何を言いたいのか?理解できたのでした。



そして、あこれが毎日、自然な形で続くと、私の頭中は、本能が赤ちゃんの時のように働いたのだと思います。



赤ちゃんは、みんな、自分の世話をしてくれる大人を目でみています。動作もまるで、ボディーラングエッジで言葉を伝えるのと同じ役割です。そして、大人が、発する声(言葉)をそれと同時に耳👂から聞いて、記憶させることで、今度はその音を口👄で再現する…このシンプルなシステムで、赤ちゃんは、自分を育ててくれる大人が発している言語を自然に取得しているのでした。



すると、これを大人ができるのか?というと、普通は、何かでどうしようもない環境下に置かれて、そこから這い上がるためになら、努力できるかも?ですが、ほぼ、誰もしたくないだろうし、何もしないで諦めるか?やろうと考えても、たぶん、無理です。






だから、日本人が生まれた後に、英語(日本語以外の異言語)を学ぶためには、まずは、勉強である読み書きから入るのが、妥当な勉強方法だと、理解できるようになりました。



でも、私のように学校という環境ではなく、生活という環境で、異言語の中に身を置かれてしまうと、人間には、最後は本能が働くって事なんだと、改めて、人間の身体のシステムって、すごいなぁ〜と、自分の体験を通して、わからせてくれたのも、シンガポール🇸🇬でした。




それは、私がシンガポール🇸🇬へ来た理由が、無理矢理で、駆け落ち婚であったという、状況から、崖っぷちのギリギリの線で、死ぬか生きるか?くらいのところに居たからかも?しれないと、私にはわかりました。



そして、次に、やっぱり発音の問題はあります。私は英語だけでなく、中国語も発音が悪いので、中国語は発音の違いで言葉の意味がわかるので、ちゃんと発音できないと、絶対に意味がわからないのです。



それに、人間だれでも、自分が生まれた時から使っている言葉のイントネーションは、言語が変わってしまうと、その言葉のイントネーションが、元の言葉のイントネーションに真似てしまう事も、本能的な物かも?しれませんね。




例えば、日本語であっても、東京の人が大阪弁を真似て話したとしても、発音がイントネーションが全然違うので、我々関西人からすると、きもい大阪弁としか聞こえないんです。



東京の方が、努力して無理からにでも、大阪弁を話すと、東京人を心から笑ってしまうというと、ひどい人間も関西人です。😂😭😂😂でも、決して蔑みの笑いではありません。



これは、関西人的には、親しみの笑いなんですが、それが通用するのも、関西人同士であり、東京の方からすると、努力している人間を笑うなんて、酷い人間だ!と関西人に対して、悪く取られてしまうのも、アルアルです。感覚の違いなので、仕方ないですね。



ネイティブな日本人でも大阪弁を話すのは、やっぱり関西人でなければうまく話せません。



これは逆でも同じです。



関西の人間は標準語を話しても、イントネーションが大阪弁の音になってしまい、どことなく『Bibakoは関西の人だね』と、東京の人は心では、私が話す標準語について、笑いをこらえているのかもしれませんでした。😂😂



ただ、私はシンガポールでは、職業が日本語教師であるため、無理にでも標準語のイントネーションはしっかりと話せないことには、外国人の生徒さんにはいけないと思っておりました。



私が仕事上でお会いする日本人の方々については、皆さん私が何も言わなければ、関西人だと気がつかないくらい、今は完璧な標準語で、関西のイントネーションを交えず話せるようになりました。これも、シンガポール🇸🇬に来たおかげです。東京の言葉、『〜じゃん』『〜だよね』だって、今では使いこなせてますよ。私。😂😂



これらの言葉を大阪の友達の前で使ったら、みんなに『あんた、どないしたん?サブイボ(鳥肌)立つわっ😂😂』と、必ず言われてしまうと思います。その使いわけも、大阪弁に関しては、私は、絶対に間違う事はないですわ。




それは、私の場合、シンガポールにいても、相手がひと言でも、大阪弁になると、そこからは、私は自然つられてしまい、大阪弁でしか話さなくなりますし、これは、私が一番使いやすい、生まれた時からの言葉ですからね、間違う事など、絶対にありませんわっ!



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さて、私の持論である、言語は耳👂から…というのも、私の場合は、ホンマに耳👂も怪しいですわっ!



英語でも、マレー語でも、なんでも、空耳で聞こえる事があり、自分的にその空耳言葉を口真似すると、相手は、ネイティブな発音で私が話しているように、受け取ってもらえる、経験もいっぱいありました。



例えば、シンガポール人の名前で、Thuwaibah というマレー人の方の苗字を、私は空耳で、日本語のドライバー🪛の感じで、ずっと、トライバーと発音していて、それでも、充分に本人にも指摘される事なく、ちゃんと発音しているかのように、通じていました。



また、マレー語で、ありがとうの意味をなす言葉の『Terima kasih』(テェリマ・カシー)という言葉も、私的には空耳で日本語の『でまかせ(出任せ/いい加減な事を言う)』の発音で話すと、めちゃくちゃ通じていました。ただし、でまかせの『で』の音ははっきり言わないで、『まかせ』を強く発音すると、尚良い。実際の発音を文字のままローマ字的に読めるのがマレー語の良いところ。


でも、実際に、日本人が、そのローマ字の読み方で正しいのに、通じないのは、強弱の付け方やマレー人独特のイントネーションの使い方と、日本人のイントネーションがどうして入るので、空耳の方が、ネイティブに聞こえるのは、アルアルです。






また、英語でも、中国語でも、日本語の音と同じような音を空耳でキャッチしてしまうと、もう、他の音には聞こえないので、そのまま発音してると、やっぱり、意外とそれで通じるねん。ホンマやねん!



昔タモリさんの空耳アワーって、番組があったけど、私の場合、正しくそのものやねん!






https://youtu.be/qJ1cBs4gVCM?si=tMljFQm5sKv8K9Xx


😂😂😂




私の耳👂取得の英語では、シンガポール🇸🇬人やその他が日本人以外の外国人の方々が、マクドナルド(MacDonald)を発音しているとき、私の耳では?、歌手のマドンナ(Madonna)とマクドナルド(MacDonald)とは、同じ発音ですねん。









私は、シンガポールのマクド(大阪ではマクドナルドはマクドという)のことを、日本人の発音でマドンナというんだ!と思い込み、それをそのまま発音していると、マクドナルド🟰マドンナで、充分に、ネイティブな英語のMacDonald と綺麗に発音していると、シンガポールでは通じていました。










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さて、日本人のみなさんは、国際人って言うと、どんなイメージですか?



海外で、ネイティブな英語で、人と渡り合える人って事かな?



これも間違いではないけどね、私は考えた国際人は、私そのものです。



国際結婚しても、私の家族は、私が英語もできない日本人で、シンガポール🇸🇬で暮らしているという状況の中、夫が日本語ペラペラ、子供も日本で生まれたって感じなら、家族全員が日本語で会話するのも、おかしくないと私は思いますが、うちの子供達は、生まれた時から日本語と広東語しか聞いた事がないような環境で育ちました。



2人がそれぞれ、幼稚園へ行くと、英語や華語は自然に覚えてくれました。でも、2人の日本語は、さすがに、三つ子の魂百までの如く、現在でも、私との会話は日本語一本、コミケアプリのやり取りも、家族全員、日本語一本。




私はシンガポールで暮らしていても、英語や中国語を使う事は、ホンマに最小限で生きてきてるのです。それで、30年以上やってこれているのだから、めちゃくちゃ、国際人やん!







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私は、結婚してからずっとシンガポールで生活していて、言葉は、自分の耳👂から、生活に必要な語彙は自然に覚えていきました。英語も広東語も、語彙は多くないと感じます。



ただ、日常生活に置いては、それでも、やって行けると自信がつきました。



ところが、仕事をするようになると、どうしても、自分の言いたい事が伝わらない事もありました。でも、そこは、顔をみて、相手と話すことで、クリアできる事も、以前はたくさんありました。



また、それを受ける方も、対面でのコミケしかなかった時代を知ってる方々であるので、何も、誤解もなくうまくできました。



ところが、2010年頃から、日本人の様子も変わってきて、LINE、LINE、なんでもLINE。LINEの電話があっても、使わずに文章でのコミケを好む方々が増えたと思います。



その点では、シンガポール人も同じですが、少しだけ違うのは、シンガポール人の方が若い人でも、対面でのコミケに慣れている方々が多いので、誤解があったら、顔をみて話すと解決できました。



すると、厄介なのは、私にとっては、日本人になってしまいました。



日本人は外国人からは、謙虚で、助け合いができて、礼儀正しい民族だと、高く評価されているのに、それがまるで感じられない、新日本民族の方々が大変目立つようになりました。



また、そんな方々は、電話や対面でのコミケをいやがり、なんでも、LINE、LINE…



また、文章の読み取りも自分勝手な方々も多く、私のような長文を書くと、読解力が乏しいし想像力も乏しいため、言葉の裏が読めないので、内容によれば、勝手に怒ってしまわれて、不快感を顕にされる時もありました。



これは、本当は誤解であるのに、電話でも、対面でも、そんな人とは話しても無駄であるのです。友人でもなれば、修復など不可能ですよ。



だから、現在は、私にとっては、友人以外の日本人ほど、厄介な人はいないのです。でも、仕事柄、それを避けることはできません。😭😭



そして、万が一、トラブルになったら、相手はいつか日本に帰ると踏んで、私は一生ここにいるので、知らぬ存知ぬ、無視を決め込むのもできますが、この手の人が厄介なのは、人に拡散させる事です。




LINEであっても、友人から友人…2人から3人…と、人の悪い噂はすぐに広がるのです。



それに、この狭いシンガポールの日本人社会では、ひとつ悪い噂が立つと、たちまち、猫も杓子も、みんなが公然と知るくらい広がるのです。それが、シンガポール🇸🇬の日本人社会の嫌なところかな…。なんかね、日本人の嫌なところが浮き彫りになってるなぁ〜と。



まるで、田舎の村のような感じです。



でも、こんなコミュニティにも、良い面はありますよ。同郷のよしみ的なところがあり、知らない者同士でも、日本人だというだけで、仲良くなれることもあります。私も、最近、新しいお友達ができました。



その新しい友人は、私には珍しく、駐在員の友人なんですが、ご主人は既に定年してるけど、今、まだ、シンガポール🇸🇬での生活があって、現在は奥さんとご主人の2人だけでお暮らしで、私と同世代の方なんですが、やっぱり、こんな方は私は安心してお付き合いできるかな?お話ししていても楽しいです。



それは、同世代の日本人なので、私と同じような感性なのです。バブル期も経験してるし、日本が良い時も悪い時もご存知で乗り越えていらして、海外暮らしも長い事もそうだし、日本人としての常識も、今まで育った環境も、私と然程変わらない事で、初めてお会いしたのは、共通するシンガポール人の友人の家なんですが、すっかり、話が合いました。



それからは、個人的にお茶したり、ランチしたりと、親しくなりました。




日本人とのお付き合いも、シンガポール🇸🇬では、私が望めば、私の気持ち次第で、友人を選んで、お付き合いできるので、それも、やっぱり、恵まれていると私は思います。



シンガポールは、常に、私の味方であると思っています。



何かにつけて、私はシンガポール🇸🇬から守られている感じがとてもするのです。この国とこの国の方々に、とても感謝しています。






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さて、今回も最後までお付き合いありがとうございました。私は皆さんにとても感謝しております。今後ともよろしくお願いします。



今回のお話どうでしたか?国際人といっても、私の頭の中の国際人と皆さんがお考えになる国際人の定義は違うのかもしれませんが、私が思っている国際人は、私のような感じで、どっぷりその国の人たちと同じような感性で同じような生活をし、同じ釜の飯を食っている日本人、そんな人を国際人と呼びたいと思っていました。


また、国際人である以上、日本人が持っている。良い部分、Humble (謙虚さ),Polite(礼儀正しさ)、人と人の助け合い(help each other) これができる人を、真の意味での国際人である日本人とお呼びしたいと思っています。私もこれを目指して、これからもシンガポールで頑張っていきたいと思いました。



では、またの投稿をお楽しみに。