こんにちは。Bibako です。



もう、2度と行けないと思っていた、夢のヨーロッパ旅行✈️



ほんとに、娘には感謝してます。行けたんですよ。娘のおかげで。ロンドンに。



今回は、ロンドンだけででく、ロンドン以外のイングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿の観光地へもいけました。また、ウェールズ🏴󠁧󠁢󠁷󠁬󠁳󠁿やスコットランド🏴󠁧󠁢󠁳󠁣󠁴󠁿にも行きました。




イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿では、また、今度行きたいのは、リバプールと、アイルランドなんですが、娘には、2年後を目処に、お金を貯めてもう一度だけ、娘と旅行したいって思ってます。



彼女、まだまだ結婚しないと言っていて、でも、それはわからないので、例え、結婚しても、私との旅行は旦那も子供も置いて行く、または、家族旅行に私を呼ぶのは有りだと言ってくれたので。😊😊




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さて、今回は、実は大きな声では言えないのですが、6月の頭に、娘が2年前から計画してくれていたUK旅行に行ったのです。



何故?大きな声で言えないのか?は、父が去年の6月に他界したので、父の一周忌をしなければならならず、ほんとは、日本へ帰る方が正しい道なのでした。(父よ、許してちょんまげ🙏🙇‍♀️)







父とは、2022年12月に施設の面会で、リモートで会ったとき、なんとなく、もう、母の元へ旅立つ準備整ってるなぁ…と感じたのですが、まさか、去年の6月に他界するなんて、本当に、思ってもみなかったから、えらいこっちゃ…やったんです。



そして、去年、6月に急遽帰国した時、姉には、流石に、父を無視して、今年の6月にUK旅行とは言えず、少し違う理由で、一周忌は母の13回忌と一緒にしようという話にして、今年、12月に、両親一緒に、姉と法事をする事にしたのです。



母が亡くなったのは、9月なので、私は仕事の関係で、長く仕事が休めるのは、シンガポールの学校が休みになる6月か12月だけなのは姉もわかっていました。



だから、今年の12月に、両親の法事をしようという話にしたんです。



だって、こればかりは、娘が2年がかりで、計画してくれていて、去年は具体的に飛行機や宿の手配をボチボチしてくれていたので、父が亡くなる前少し前に、娘に変更ないよね?って、聞かれていたのです。



それに、ヨーロッパは夏に行かないと、極寒なヨーロッパは、冬は私はとてもじゃあないけど、私には無理だと思いましたし、スキーにでも行くならともかく、雪で真っ白なスコットランドの山や牧場などみたくないと、仕事が休みやすい6月に…という事で、旅行の日程を決めたんです。



そして、それに沿って、娘がいろいろ決めていた矢先に、父の訃報が届いたのでした。






その時は、私は何も考えられずに、とにかく、日本へ帰ったのですが、少し落ち着いてから、娘と話しをして、計画の変更や日程の変更は無しで!という話にしました。



そんな感じで、初めから波乱で、幕開けになった、私と娘のUK旅行は、とりあえず、計画通りに、今年、6月の初めに取り行ったのでした。



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娘は仕事の調整はしていたものの、現在、イベント会社で、イベントマネージャー的な仕事をしている娘は、UK旅行の前日まで、かなり忙しくしておりました。更には、泊まり込みの仕事もあったので、身体壊さないか?と心配していましたが、娘はやっぱり若いから平気だったようです。良かった…



私は?というと、3月頃から身体の調子が悪くなり、UK旅行行けないかも?と娘にも心配かけていたのですが、ギリギリのせんで、お医者さんからもOKが出て、参加できました。薬持ちの旅行でしたが…あぁ…、年寄りくさいなぁ〜😅😅




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そして、始まった、私と娘のUK旅行✈️ やっぱり、2人の旅行は、初めから、おもろ過ぎでしたわ。







まずは、シンガポールのチャンギ空港✈️へは早めに行って、チェックインしてから、2人でご飯を食べました。



シンガポールからロンドンのヒュースロー空港までは、直行便で14時間。



私が若い頃は、これも平気でした。身体が小さなサイズの私は、リーズナブルにできているので、エコノミー席でも全然大丈夫👌そりゃ、しんどいのは同じだけど、身体の大きな人に比べると、ちゃんと足の位置もそれなりにのばせたり、座席で寝る時もそんなに苦痛でもないかったですから。



でも、現在はそんな理由ではなく、疲れが出るのです。日本とシンガポールは、大阪なら6時間、東京でも7時間です。今の私には、これが限度です。



2019年の時も、息子からアドバイスがあって、私はひとりでヒュースロー空港まで行って、そこで娘が出迎えてくれる計画でしたから、知らない国でトランジットなんて怖いし、言葉も心配だし、直行便でと考えていたら、『マミ、それは死ぬで!』と一言いわれて、娘が進めてくれたのが、中東経由の飛行機でした。



ちょうど、チャンギ空港から中東の空港まで、7時間、そして、そこからヒュースロー空港まで7時間、トランジットの時間も2時間から2時間半ほどなので、何も心配ないとの事。



それは正解✅でした。だから、今回も同じ方法で、エミレーツやエディハト、カタールなどの中東の飛行機会社のチャンギ発、夜の便で、夜中に中東の空港、そして、夜中の便で朝にはヒュースロー空港に着く便に乗り込みました。😊






娘はよく寝ていましたが、オバハンBibakoは、普段でも夜中目が覚めるし、朝早くから起きてしまうので、飛行機✈️なんて、ほぼ眠れないのと同じになりました。また、長時間飛行は、トイレが近い事もあり、人に迷惑をかけないように、最近は日本へ帰るのも通路側の席にしてます。とにかく、楽しい旅行だから、体力勝負とあって、なるべく、身体は休めるように機内では過ごすようにしていました。




そして、ヒュースロー空港に着くと、なんと!私の昔の教え子達(3人兄弟で上から下まで、私の元教え子です。)のご家族を発見!びっくり‼️😳しましたが、思わずお母さんに声をかけてしまいました。



私が知っていたお子さん達は、すっかり、大きくなっていてそれぞれご立派に…😊ほんとに、偶然とはいえ、嬉しかったです。






そして記念撮影…。ここまでは、良い事でしたが、実は、私の荷物が…トランクが潰れて出てきました。とりあえず、取り扱い注意⚠️の札は貼ってもらってたのですが…






しっかりと凹んで、とりあえず、鍵は大丈夫だったけど、クレームを娘が出してくれました。🙏😊




外国の飛行機は荷物の取り扱いが悪いので、こんな事は、珍しくはないけど、外国人のカスタマーサービスはサービスではないなっ!😂😂



この時も、係のおっさんは、『これは凹んだだけでカバンのダメージではない!』と言い、そのクレーム係のおっさんが、勝手にハンマー🔨持ち出して、元に戻そうとしたから、娘の怒り💢が振り降りて…😂😂 



ちょっと、おっさん待てやっ!🤬😡って感じで、即、壊れた私のトランクを撮影。(娘が) 



それから、娘お得意の頭の良さでの理屈を係の人に言い放ち、論破して、こちらの要求をねじこみてか、(娘の言う事の方が正当な言い分でした)、飛行機会社へのクレームも終了して、私達は、ホテルへ移動しました。



娘は慣れているので、私はなんの疑いもなく、娘に着いて行って、さっさと地下鉄の乗り場まだ行くと、何故か?娘がモタモタ…(私にはそんな風に見えた)だから、私が少しだけ口出しして『人に聞けばええやん』というと、頑なに拒否する娘。



それで、最初の口喧嘩勃発!



これには、本当は娘なりの正当な理由がありました。後で知る事になって、平謝りを私はしたのですが、結果的に、それはUK旅行から帰る直前でしたから、ずっと、娘のほんとの気持ちはわからないまま、私は偉そうな顔をして娘に文句を言っていたのでした。



そんなネガティブな話は横に置いて…



とにかく、ロンドン宿泊先のホテルに到着しました。その時に、私は愕然とした事がありました。



ヨーロッパアルアルなんですが、地下鉄の構内にも階段が多くて、エレベーターを見つけるのも一苦労だったり、もともと、なかったり…


大きなトランク、しかも重いのが日本人の海外旅行者の特徴!私も前回の時に学習済みだったので、なるべく、重くならないようにとは言えども、20kg 前後の重さ。前回は、まだ、50歳代半ば。なんとか、自分で階段を一段ずつでも持ち上げて、階段の上まで、トランクを引き上げたり、人に手伝ってもらう事でできました。ただ、私は人の手を煩わせるのが好きではないので、なるべく、自分で対処しようと頑張ってきました。



ところが、今回、私は全く重いトランクを持ち上げる事ができずに、モタモタしていまい、娘もそんな私を気遣って、自分の物をあげてから、また、私のところまで戻って来てくれるような手間をかけてしまったり、見ず知らずの方々が、階段の下で私に声をかけてくださって、持ち上げて階段の上まで、運んでくださったりと、人に迷惑をかけてしまいました。なんだか、ほんとに、自分が歳をとった事を実感したのでした。少し、ショックでした。



すると、今度は、娘にもわがままを言って、タクシー代、高くてもママが払うから、駅からホテルへの移動はタクシーにしたいなどと、娘に話してしまったり、せっかく、娘は私の行きたいところの希望を優先して、次の移動に便利で、駅から近いホテルを予約してくれていたのに、そんな近い距離でも、タクシー呼びたいなどと、なんか、良くなかったなぁ〜と、反省しました。



とにかく、ホテルに着くと、まだ、チェックインの時間には、まだなっていませんでしたが、部屋の準備ができているとのことで、追加料金無しで部屋に入れてもらえました。ですから、娘と私は出かける支度を整えて、ロンドンの街へ出ていきました。



前回、ロンドンの街中は、だいたい行きたいところを見て回ったのですが、やっぱり、ビックベン!前回は回収中でしたので見る事ができませんでした。





これが、2019年のビックベンで、テムズ川のクルーズ🚢をしていた時に撮影しました。



今回はリベンジで…




この通り、近くまで行って、写真も撮れました。別になんて事ない、政府の建物のようで、ここで働く政府の職員さん達の職場というだけの物らしいですか、建築物が素晴らしい技法が施されて、彫刻も埋め込まれた建物なので、ヨーロッパ建築の建物を見るのが好きな娘と私は、ビックベンの建物をじっくり眺めていました。



それから、ロンドンブリッヂの周辺をウロウロしながら、お腹がすいたので、バラマーケットまで歩いていきました。









腹ごなしに、また、テムズ川沿いを、娘と散策して、ゆっくりとした時間を過ごしていました。ただ、思ったよりも、肌寒くて、ウール系の半袖ワンピースとウールのコートでは寒かったので、夕飯の前にホテルに戻って、お昼寝がてらに薄いカーディガンを夜のために、取りに帰りました。



夜は、私と娘の趣味でもある、ミュージカルを観るために、チケットを予約していたからでした。結構、良い席を予約したので、高かったのですが、これは、娘へのお礼のつもりで、私が娘の分も支払いました。😊



🔷テムズ川沿いの散策。









チャップリンの真似をしていた人の大道芸?




ロブスター🦞食べた…



Hellz Kichen のシンガポールでも有名シェフの看板がレストランの目の前にあったわ😅😂😂



🔷いよいよ、夜のメインミュージカル『MAMMA MIA』ラブラブ











主演のMazz Murray (マッズ・マリー)さんの演技や歌はサイコー!❤️❤️ 彼女はハリウッドでも活躍する、歌もダンスも演技もできる俳優さんです。








ミュージカルが終わったのは、夜10時過ぎ。でも、今、UKはサマータイムで白夜。🌉夜の10時(実際には、11時)にならないと、暗くならないのです。それで、朝、すでに、4時頃には日が昇っていてほんとに、時間がわからないのです。


外の店は、飲食店でも8時半には全て閉まるし、お酒を飲むところは、飲食無しのお酒のみ。夜9時頃になっても、シンガポールでいうと、夕方6時頃かな?ってくらい明るい。因みに、シンガポールは、年中、夜7時頃から暗くなって、朝、日が昇るの7時頃。朝6時はまだくらいのです。


でも、UKは、朝4時頃から明るくなって、夜の10時頃(実際には11時頃)にならないと、暗くならない。いつ寝るねん?って感じだから、自分で、夜7時頃には家に帰って、分厚いカーテンしめて、部屋の電気つけて、夜を演出しないと、窓あけて、自然の日の出と日入りを採用して暮らすわけにはいかないと、私は思います。身体が壊れてしまいそう。


それで、外の飲食店や普通のお店、コンビニ以外のスーパーは閉まるのが早いのだなぁ〜と思いました。コンビニといっても、24時間のコンビニはないみたい。夜、10-11時には閉まっていたわ。Tesco(ヨーロッパではどこにでもあるスーパー)も、コンビニ仕様でなければ、7時には閉まっていたような?


スタバは5時に閉まってたわ。😂😂😂


まるで、私が昔暮らしていた、大阪の山奥のニュータウンの中やん!夜8時になると、人は歩いてないような…😂😂😂 その代わり、夏場の朝は4時頃から当時のジジ・ババがどこからともなく集まってきて、散歩して、6時には、ラジオ体操やゲートボールして、7時には解散する感じ?


UKって、面白いなぁ〜って思いました。みんな早く帰って、家で何してるのかな?😂😂



さて、こんな感じで、娘とのUK旅行のDay 1 が終わりました。


次の日は、朝早くから起きて、Victoria Coach station からバスツアーに参加して、バァーフォートの街へ行きました。そこから、コッツウェルズのバイブリーという街にいきました。長閑な田舎街でした。


🔷Burford の街







教会もあって…





雑貨屋さんや美味しいパン屋さんもありました。


🔷Cotswolds Bibury の街












まぁ、なんて事ない、私の故郷にもありそうな田舎の長閑な街でした。



でも、私、今回は田舎や山々を求めて旅行でしたから、この日からは、ずっと田舎で自然を満喫したのでした。



私、ふと思ったんです。



人って、自分が生まれ育ったところってやっぱり好きなんだなぁ〜って。私は大阪の都会からそんなに遠くないニュータウンに住んでいました。



そこは、そこそこ、なんでも揃っていて、大都会とは違うけど、家の周辺には、学校も病院も商業施設もあるし、普通に電車が通っていて、都会まですぐだし、便利といえばそうでした。



でも、自宅から山に向かって車で20-30分いくと、ほんとに、自然豊かな山があって、綺麗な川もあって、田園風景もあって、自然公園のような溜池やダム湖もあって牧場やキャンプ場があるようなところでした。牛や馬、猪、アヒルや白鳥、鶏やヤギは普通に見ていたかも?です。昆虫やの山の草花、綺麗な川には鮎やヤマメ、イワナもいて、川魚も食べる事ができました。



しかし、シンガポール🇸🇬は、今は国の中のほんとに都会になり、どこでも人も多くて、いつも忙しい街です。



私が暮らす、シンガポールの地元にも、人の活気が溢れていて、人情もあって、大阪の下町って言う感じのところに、今、私は暮らしています。



それはそれで、日本の祖父母が暮らしていた街のようで、それも、私には懐かしさと住みやすさもありました。だから、シンガポールも、今は、私が帰る場所になり、日本は、私が行く場所に変化しました。



私はアラカンになり、自身の人生の終盤になると、私の場合は、子供の頃に普通に見ていた、山が恋しくなりました。だから、今回のUK旅行は、田舎と山を求めての旅行でした。



さて、今回はこの辺でおしまいです。この続きは、また、次の回で…



長々とお付き合いお疲れ様でした。



では、次回は、マンチェスターからウェールズ🏴󠁧󠁢󠁷󠁬󠁳󠁿への移動です。お楽しみに。