こんにちは。Bibako です。



私はここのところ、精神が健康では無いと自分でわかります。でもね、私はこんなケ長く生きてるから、今までに、死ぬの生きるの…ってくらいの辛い悲しい経験はありますよ。



その度に、なんとか、周囲の人や家族にも支えてもらって、乗り越えて来た実績は持ってますねん。だから、今までの体験や経験を元に、どうしたら乗り越えられるか?というノウハウ?はあるのかも?しれません。



これは人それぞれ、自分の方法ってあるんだと思っていますが、できるだけ、若い間に苦労はしておく方が、年寄りになってから起こるトラブル的な事から、立ち直りが早くなると、私の経験から思います。



私は、今年に入ってから自分にとっては、父が亡くなった時の次くらいに、辛い事を抱えています。相手がある悩み(トラブル)なので、自分だけではどうしようもないんです。この類のトラブルは…。



私は自分をよくいうわけではないけれど、私が人相手のトラブルになる時ってね、相手から仕掛けられるのが常です。そして、それに対して反応してしまう事で、トラブルになります。



また、相手と私の根本的な考え方が違ったり、相手が勝気であると、こちらが非を認めても、こんなタイプの方々は、自分の非は認めてくれないので、トラブルはなかなか終わらないのです。








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世の中のトラブルってね、(人間関係のトラブル)は、日本には『喧嘩両成敗』と、こんな言葉がありますよね?








私は『喧嘩両成敗』の考え方は、ある意味で正しいと思っています。



私達が生活していく上での人とのトラブルって、常識の範囲で考えると、大きなトラブルにはならないはずですし、どちらかだけが一方的に悪い事はないと、私は思っています。私は、自身のこれまでのトラブル体験からも、これは信じられます。



でも、現代の日本の中で起こるいじめ的な事だと、加害者が100%悪いというのは信じられる話で、それは、イジメの場合、それが起こるのは、加害者個人の感覚や感情、加害者の個人の意志だけで起こるからだと、私は思うのです。



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例えば、私が以前SNSで炎上🔥した経験から見ると、これこそ、現代、学校や職場で起こるイジメの典型という図式だなぁ〜と、自分の事なのに客観的に見ると思いました。



現代のイジメの加害者というのは、自分が偉いと考えている人ばかりで、まるで、自分には何も間違いはない!と謙虚さもなく、上から目線であるタイプの大人や子供が起こす、迷惑行為で道徳に反する行為だと、私は思います。



私の場合も、SNS上には、私の事を知りもしない全く関係ない人達が、その火付け役(加害者)に忖度する事で、どんどん、そんな人からも、私に対する酷い悪口や誹謗中傷、人格否定や職業否定までされる始末でした。



すると、気がつくと、みんなから私だけが悪く言われて、それを起こした火付け役の人の事(加害者)は、周囲のハイエナ忖度人間に寄って、まるで正しい事をしているか?のようにモテ囃されて、ヒーロー的な存在になっているという、おかしな現像が起こります。



そして、私のようなその餌食になってしまった被害者は、心までズタズタにされて、悪く行くと、イジメ目的のSNSの炎上🔥では、被害者が◯殺する事まで起こるのだと、自身の経験から思いました。




これは、今でも、日本の社会ではなくなる事がありません。学校や職場のイジメやハラスメントでも同じ事が言えるのかも?です。



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ところで、世の中には、人間の優劣を勝手につけている人達がいて、その中の権力者や強い人には、何故か?必ずその人に忖度する人がいるのです。



そんな人達は、それは、その人のためにするのではなく、自分のため、また、自分を守る手段、さらには、力ある人に着く事で、その利益共有もしたいという下心があるのでした。それは、人として良い行いだとは、私は思いません。



でも、今の日本の世の中には、権力者や力が強い者に群がるハイエナような人達は、後を絶たないように、私は感じます。



現に、私のようなごく一般人同士のトラブルにも、力が強い方につくハイエナ人間達がいて、そんな人によって、更に、紛争を二分化させて、お互いに悪いところがあったと、謝罪し合えると穏便に解決できる問題も、もっと、争いが大きくなる事もあるのです。



でもね、そんなハイエナさんを抱えた権力者(力が強い人)が、争いの中で、何かで不利になると、ハイエナ達のせいだと、とかげの尻尾切りされるのも、そんな人に忖度していた方々なんですよ。これが、多くの世の中のハイエナさん達の末路だと、私は思います。



そして、トカゲの尻尾切りを、悪びれもなく行う人が、間違った権力者であるのです。



本当の権力者なら、自分の非も潔く認めて、相手からの謝罪があったら、自分も謝るのが人としての正しい道徳をもつ、正しい権力者だと私は思います。



でも、今の日本の社会には、間違った権力者に忖度するハイエナ達は、みなさんもご存知の社会問題にはいっぱいいるんですよ。私には、そう思えるのです。




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さて、我々のような一般同士のトラブルでは、お互いの誤解を解いて、お互いに自分の非を認めて、謝罪しあう事で、お互い人としての道徳として、解決する事がほとんどです。警察に訴えるとか、裁判になるケースなど、本当に稀にしかないのかも?です。



でも、少ないとはいえ、トラブルに関して、警察に相談したり、法的手段に訴えるというケースもありますよね?(例えば、近隣のトラブルなど)



これも、どちらというと、都会や人の出入りが激しい地域の方が多く、ずっと近隣の方々は変わりなく、ただ、代替りしたというだけの地域の方々には、そんな近隣トラブルはかなり少ないようです。




それは、そんなトラブルが少ない地区は、人と人とのコミケが濃い関係にあり、その中で、嫌な人がいても、その人にも良いところがある事を知ってる人も、必ずいるからだと思います。



また、親の代から代替わりしても、日本人の気質で、受けた恩はずっと覚えていて、人に返すという事で、ずっと、孫の代まで、仲良くお付き合いしているご近所さん達も、多くおられるからだと思います。



でも、都会や人の出入りが激しい地区だと、そんな人間関係は、希薄で、隣に誰か住んでいるのかも?知らなかった…という人同士のトラブルである事が多いらしいです。


また、我々のような一般人同士のトラブルでも、大人になってからできた友人関係は、その濃厚さや信頼度も様々であるし、何か下心があって近づいてくる人も必ずいます。


心から信頼し合えると思っていても、何かの拍子にそれが崩れると、先程のように、人に優劣をつける人が現れて、その崩れた信頼関係を、更に修復不可能にまでしてしまう事もあります。



そんな場合、友人関係であったとしても、ハイエナの働きが大きな役割を持って、喧嘩両成敗を不可能にし、自分の非は考える事もなく、相手だけが100%悪いとして、警察に訴えたり、裁判所での決着を望んだりと、大きなトラブルにまで発展する事があるのだそうです。なんか、寂しいですね。そんな人間関係って。



そのように、大人になってからの友人というとは、例えば、何かトラブルが起こると、面識があまりない、付き合いがない人と同レベルになり下がる事もアルアルだという事なのかも?しれません。



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ところが、大人になってからの友人でも、本当の友人なら、相手に非があると考えても、自分にも非があったと考えるのが、人として、道徳もあり、その相手の事も考えられる人であると、私は考えています。



人間同士の本物の信頼関係で、本物の人と人とのお付き合いができている関係性を持つ人は、相手にも悪いところや非がある分、自分も同じだと考える事ができる人なんだと、私は自身のトラブルを経験して、思いました。



つまり、我々のような一般人同士のトラブルは、どんな場合でも、喧嘩両成敗で、お互いに自分の非があった事は認めあって、謝罪しあって、穏便に解決できるのが、私が感じる、常識も道徳もお互いにある『人と人の普通の関係性』だと、思っています。






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現代の日本の社会問題も、世の中の権力者が人として正しくないのに、その人に忖度をする人が周囲にいると、国民には迷惑な話になると思います。



例えば、静岡県知事が、不適切な発言をしましたが、この方の意識の中には、自分は100%悪くないという気持ちが現れた、弁明会見になり、その後、投げやりにしか私には見えなかったのですが、辞めればいいんでしょ?的に、辞任を表明されました。



https://www.yomiuri.co.jp/national/20240402-OYT1T50123/



これも、私は、喧嘩両成敗という簡単なルールは存在しない、この方の意識は、自分の非は認めることがなく、自分が批判された、自分が攻撃された…としか受け取れないので、自分の方が被害者だと言う態度にみえました。



この場合、自分の言い分はあったとして、まずは、不適切な発言があった事を認めて、心から謝罪する必要があると思います。自分の考えはこの場で言わなくても、良いと思いました。



そして、謙虚に自分の非を認めて、深く謝罪した上で、辞任すると表明すると、この方が本当に良い権力者であれば、この方の支持者達から、この方を辞めさせないために、この方の人柄や普段の言動を証言も、自然に出てくるのではないでしょうか?



すると、この方がいった、普段から職業差別はない、また、自分が偉いと常に思っているわけではない意図の弁明も、嘘ではないと判断できるのかも?です。



そして、こんな問題でも、喧嘩両成敗は生きてくると思うのですが?これは、私の個人的な意見です。



それから、日本の世の中には、この人的な間違った考えの権力者の周りに群がるハイエナ人間達は、こんな権力者についていると、良い時は良し、でも、一歩間違うと、全ての責任転嫁されて、責任を押し付けられたり、場合により、命まで狙われる事が、我々一般人同士のトラブルと、公人同士のトラブルの違いですかね?知らんけど…



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日本の世の中には、今も、被害者なのに不利益を被る事はたくさんあります。




特に、日本の中の皇位継承問題ってね、日本人の中には無関心な方々が多かったのようにも思いますが、何故?今『敬宮愛子内親王殿下』がこんなにも国民の人気を得ているのか?を考えてみると、その対象となる皇嗣家の男子をみると、わかると思うのです。



SNSが発達した事と、皇嗣家の長女が輩のようなKKさんと国民の反対を押し切って結婚(結婚前から問題発覚)した事を皮切りに、この家の悪事が次々と、SNSで、現在に至るまで暴露され続けています。



でも、何が国民にとって大きな問題なのか?は、日本の国民の税金が、皇嗣家に忖度するハイエナ達のせいで、皇嗣家の個人個人が潤うように、流れている事実があるのです。



皇嗣家の人達の私的財産や私的な欲望を肥やすために、国民の税金がどんどん使われるという、被害者は国民になりますよね?



だから、近年は国民が賢くなって、声をあげるようになった結果が、『敬宮さま人気』という結果を生み出していると、私は思います。




つまりね、日本の世の中では、間違った人に忖度するハイエナ達が増えると、最終的な落としどころだと、社会的な地位が高い上級国民ほど、自分は悪くないを押し通して、裁判でも勝ってしまうケースがあるのが事実で、被害者が損益を被ってしまうのです。



本当に、今の日本の中では、正しい事や正義はどこへいくのですかね?そんな問題は山程ありますよね?(自民党の政治と金問題、赤木ファイル、ジャニーズ問題、松本人志問題、などもその典型だと私は思います。)






それからね、学校や職場のイジメやハラスメントってね、加害者が大きな顔をして、まるで、被害者がわるいような事を主張しますが、これは、間違いだと私は思います。



弱い者イジメはしてはならない



これは、社会の道徳です。人としての常識ですから、してはなりません。日本で起こる現代のイジメは『強い者』が『弱い者』に対して行わるので、道徳的に間違っていると私は感じます。



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ところで、今回のテーマとは少しズレているような話を、何故?私が出してきたのか?は…



私が現在抱えている人間関係の悩みってね、喧嘩両成敗的な事であるはずが、私は非を認めても、相手は自分の非はないと主張すると、穏便な問題解決にならない(既になっていない)のです。



それが、ずっと続いているので、私は、もう心身ともにクタクタになっているのでした。



また、私は平気な事なのですが、自身の恥ずかしい事や弱みは決して人に知られたくないタイプの人は、男性には多くおられるそうで、女性にもやっぱり多くいらっしゃるそうです。つまり、日本人にはプライドが高い人が多いのですかね?知らんけど…。



すると、トラブルの相手が、そんなタイプの方であると、例え、話し合いを重ねても、その方が、心の中では、自分にも悪いところがあると考えていても、人前でそれ認めることが、そんな方々には、ほぼないのだそうです。



それは、その人が悪いのではなく、そんな性格の方と言う事なんですって。ショボーンえーんショボーンえーん



でも、私にとっては、そんな方々を相手にするのは、とても、辛くで大変な事なんですよ。







最近、子供にも多いのですが、ごめんなさいが素直にいえない子供。こんな子供達も、大人になると、自分の非は素直に認める事が難しくなり、また、自分の非がわかっていても、人前で、それを認めたくないと言う性格になるのかも?です。



すると、トラブルの際は、お互いが自分の非を認めて謝罪し合うと、穏便に解決でき、これが喧嘩両成敗のルールに則った、人として道徳的な、解決だと感じますが、それが、相手が自分の非は認めない、または、静岡県知事のように、自分何も悪くなく、加害者なのに被害者意識が高いと言う性格の人とのトラブルだと、お互いに傷つく解決にしかならないようにも、私は感じるのです。



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最近の私は、自身が抱えているトラブルで、頭が重くなり、身体の調子も悪くなり、自分では解決できないトラブルが心にのしかかって、私の精神に負担をかけて、私の頭が正常に働いていないのです。



私は、なんとかしなければ…と、この事について、相手とも話し合いをしてきたのです。そして、私は初めから自分の非は認めて謝罪してきました。



でも、相手の方にも、ご自身の非がある事は明らかであるのに、ここは絶対に認めてもらえないのです。私が一方的に悪いと思われているのです。一方的に、私だけが悪いと言う認識で、お互いに非を認めて謝罪しあうという、喧嘩両成敗とは、かなりかけ離れたところで、事が停滞しているのです。



私自身、この事をどうすれば、喧嘩両成敗的に、穏便に解決できるのか?と、いろいろ考えてみたのですが、相手がある事ですからね、自分が思うようにはいきません。



最近私は、この事を考えると、どんどん塞ぎ込んで、落ち込んでしまって、心身に支障をきたすようになりました。そして、今は、自身の思考や精神がまともに作動しなくなってしまったんですよ。ショボーンえーんショボーンえーんショボーン



でもね、心理学のカウンセラーや精神科の専門医が書いた書物を読み漁ると、私のような段階だと、私の心が、完全に壊れているのではないそうで、思い詰めて◯殺になる怖れは、私にはほとんど無い人!ってカテゴリーだそうです。




私は本を読むのが好きなので、自身の今の精神状態が気になり、今の私の言動に纏わる心配事を専門家から見た見解を書いた書物を、読み漁りして、今の自分と照らし合わせて考えてみると、自分はまだまだ、大丈夫👌🙆‍♀️だと、変な安心感が私にできました。








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現在は、身体の方はずいぶん楽になりました。体調も良くなってきています。でも、精神的には、塞ぎ込む事や落ち込みが続いています。本当に、私にはどうする事もできません!どうか、神様助けください…というレベルなんですよ。








そして、この事で、実際の私の状態として、鬱?か?、パニック障害?か?と思える事が、現在の私には起こっています。



しかしながら、これを自覚してるのですよ。だから、まだ、精神は全部やられていないって事になるそうです。もし、私が、これが自覚できないと、思い詰めて◯殺になるくらい、私の心は重い症状を、実際には持っているのです。







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ところで…



鬱に関しては、私には、過去に患った経験があります。



鬱といっても、私の鬱は最愛の母が突然、癌に犯されて、気がついたときは、もう、手遅れでした。ただ、私は、母の看取りを奇跡的にできた事で、そこは良かったのですが、この事で、私は違う意味で母に対する後悔の念や自責の念に駆られて、鬱だけでなく、パニック障害にもなっていました。



私は、母が亡くなってから、夜、眠れなくなり、夜中にひとり塞ぎ込んで考える事がありました。



また、夜中問わず、母の事を考えるだけで、涙も出ました。でも、私は、これに対しても『あっ、泣いてたわ…』的に我に返るのですが、意味がわからなかったのです。



そして、私は毎晩不眠が続いていたのに、綺麗に眠る事ができていなくて、本当は、身体もクタクタなはずなのに、変に、テンションが上がっていて、疲れを感じないように、自分では思えました。



また、仕事から帰った後、夜中眠れなかった事で、無意識に疲れて寝てしまう(仮眠)事もあるのですが、その時も、ずっと母の事を考えているのか?10-15分しか昼寝もできない身体になっていました。



当時、私の心が、完全に崩壊していたのですが、私はそんな事は自覚できなかったのでした。



普通に過ごしていると、自分では思っていたのに、家族から見ても、周囲の人からみても、やばい人になっていて、後から聞くと、あの時の私は、まともな言動はしていなかったそうです。



それが、なんと!5-6年続いていたのですが、私に病んでる自覚がないもんだから、専門医にかかる事もなく、カウンセリングを受ける事もなく、自力で時間が解決して、完治しました。




当時、家族や友人から、私の様子がおかしいと、カウンセリングか?専門医に相談した方がいいかも?とアドバイスを受けても、自分に自覚がないので、その時は笑い飛ばして、平気だからと取り合わなかったのでした。





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それでね、最近の私ってね、この時と同じ言動をしてるのですよ。



でもね、反対に、今回自覚してるのと同時に、放置しても治る…という、変な自信もあり今回も、カウンセラーに相談するとか、専門医にかかるとかしなくても、明るい鬱?明るいパニック障害という、自分で勝手につけたカテゴリーで、こんな状態を放置してるのです。



でも、実際には、症状は深刻な事ですよ。



毎晩、眠れないですし、塞ぎ込んでますし、考えると涙がどこでも流れてくるのです。どう見ても、やばい人にしか、周囲からは見えませんよね?爆笑爆笑



私ね、今の状態を分析するために、健康ウォッチ装着して寝てるんです。



これは、自分の健康管理できるのですが、睡眠時間や睡眠の質を測ると、実際には、死別鬱の時と全く同じで、毎日、綺麗には眠れていないのです。



ただ、今回は、仮眠を取る事(1時間は寝る事ができる)で、今は、いろいろと、自分のメンタルはダメでも、体力は回復させる術を知ってるというだけです。



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私の経験からは、本物の鬱では、自分の事がわからないのです。自分では普通に生活していて、普通に眠っていて、自分は至って、普通に過ごしているつもりなんです。



この事から、現実を受け入れる思考は、鬱の場合無いので、心が完全に壊れているというのは、この状態を言うのかも?しれません。



例えば、自分が落ち込んでいても、普通の精神の人だと、今は、自分はこうだけど、もし、相手から見ると自分の事はどうなのか?など、自分の事を客観的にも見る事ができる…ようです。



でも、本当の鬱の時は、これすらも、感じないのです。



自分が落ち込んでいる自覚がない?的に、何故か?暗い、何故か?疲れている、何故か?眠れない…的に、自分の心が壊れている事を、自分が否定してるのかも?です。



精神的な疾患(例えば鬱など)を発症していると、自分がいつもしている事と違う事をしている感覚はないので、自分の事を客観的にみて、どうのこうの…など言う発想もないのかも?です。



これらの事は、自身の過去の『死別鬱』の経験から思います。






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私の場合、母が亡くなった後、死別鬱になり、しかも、それに自分が気がついた時には、既に立ち直っていたのでした。爆笑爆笑



私の場合、後で考えると、それって、正しく『鬱』やん!ってわかったのでした。爆笑爆笑



鬱なんて、鬱を発症している本人には、本当はわからない事なんじゃないの?って、本人はいつもと同じ生活をしてると思っているんじゃないの?って、私は自身の経験から思っています。自分がそうだったからです。



ましてや、今の私のように、落ち込んでいる気持ちを、自分で認める事はないのですよ。鬱って。



本人的には、言動がおかしいと自覚はなくても、周囲の人から勧められて、お医者さんへ行くと『鬱』らしいというだけなのでは?と、思います。



そして、本人的には、それを言われたところで、自分ではそんな原因になる事は全く自覚できなかったり、お医者さんから指摘されても、こんな事で落ち込んでらわけがないと、自分の落ち込んでいる気持ちを否定するのが、本当の鬱の患者さんの様子らしいですよ。



私の場合、母が亡くなった直後から、とにかく、周囲の人の話が何も聞けない的に、自分では至ってまともな事を言ってる、してるつもりでも、周囲の人を傷つけていたり、自分勝手な行動であったりする事が多かったようでした。



また、夫や子供達が慰めてくれる言葉すらも、私の気持ちなんて誰にもわからない的に、腹が立っていました。



すると、だんだん、何も母の事など考えていないのに、母に似た人を見るだけで涙が出たり、母が生前にくれた物が目に入るだけでも、涙が出るようになり、母に関する物は、全て、納戸に片付けてしまいました。



次には、母の事を口にする事が、自分の御法度になり、なかなか、母の事が人に話せなくなりました。そんな異常な精神状態であったのに、私自身は至って普通、今まで通り、何も変わらないと思って生活していたのです。



この異変に1番先に気がついてくれたのは夫でした。でも夫は、私の事は普段通りに接してくれて、母の事は何も言わずに、そっとしてくれました。



そんな事から立ち直るまでに、5-6年かかりましたが、ある日突然、母の写真をまた、元のように寝室やリビングに出して、いつも通りに、写真に向かって話しかけて、母の悪口まで母に向かって言えるくらいになった事で、すっかり鬱はなくなっていました。



特に、精神科の医師やカウンセラーにかかる事もなく、普通に生活しながら、教会で、母の事や自分の状況を祈る事で気持ちが回復して、私は、すっかりと元通りになりました。



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そして、パニック障害は、私の娘が持っているので彼女がパニック障害が表に出るところは、私が見てきて、それをサポートして娘を落ち着かせてきましたから、よくわかります。娘の場合は、現在は、大人になったので、自分でお医者さんへいき、いつもの精神安定剤を服用していますが…。



この間、娘は仕事が忙し過ぎるストレスと、いろいろなネガティブな事を同僚から聞いた事で、気持ちが名一杯になってしまい、心の中にあるストレスを発散できる行き場を失っていました。



すると、いつもの如く、パニック障害が発症して、朝は起きられなくなるし、頭は重く夜は疲れていても眠れないし、寝ても疲れは取れず、人には八つ当たりし、人と会うのが嫌になってしまっていたようでした。



でも、私はすぐにわかったので、娘には優しく接して、ママがいつも側にいるから心配ないよって、言い聞かせて、そうこうしてると、自分でお医者さんへ行っていました。



現在は、私にそれ(パニック障害)が現れている事が、自覚できます。



これは、私が抱えている悩みを考えると焦ってしまい、パニックして、人に八つ当たりして、無理な事をお願いしたり、人を傷つける言葉を、自分は何も悪くない的に言ったりするのです。



でも、これも、自分では、おかしな事は、何もしていないつもりでも、人に迷惑をかけてしまう事になるのです。



だから、私の場合は、現在、それが現れると、一旦、悩み事は忘れて全てリセットします。



例えば、そのリハビリ的に、ブログを書いたり、TVを観て大笑いしてみたり、好きな歌を歌ったり(カラオケ)言うなど、気分転換をする事が必要だとわかるのです。




でも、これは、誰にでもできるわけではないのです。



私は自身がパニックしている事が、自覚できるから、これができるのです。娘ように、カウンセラーや専門医が必要であるのは、娘の場合は、本人が自覚できない年齢の時に、私が見つけたので、母としては、カウンセラーに相談するとか、専門医に受診するしか方法がありませんでした。



現在、娘は、自身の発達障害もパニック障害も睡眠障害も、自覚してますから、今は、自分で必要に応じて、お医者さんに行っています。必要ないと感じるときは、私のように、自分でそれを抑えることやコントロールの仕方がもうわかるので、それで対応しています。




発達障害や鬱やパニック障害は、本人が自覚できないと、本人がそれに対して思い詰めてしまい、最後には、◯殺…って事にもなる場合があるのです。




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ところで、世の中で、自身の鬱を自覚できていない人ほど、専門医やカウンセラーのアドバイスが必要になります。



でも、本当の鬱などは、突然襲うので、本人が自覚できない事の方が多いですし、周囲が心配して専門医にいくように促しても、行かない人も多くいらっしゃるのです。


しかしながら、専門医やカウンセリングを受けると、本人がそれを自覚できるので、それが改善に向かうのです。



ですから、周囲の方々の言動には、その人がいつもと違うと素早く感じてあげられるような人がいると、世の中の◯殺は激減するのかも?しれません。



あなたも、ご自身が鬱であったり、パニックしていても自覚がない場合もあるので、自分でも注意⚠️が必要なんですよ。これは、私の経験から思います。



そして、いつも会う人の様子は、何気に感じてあげて、もし、おかしいなぁ〜?いつもとは違うなぁ〜と、周囲の方が早く気がついて、その人のサポートしてあげないと、取り返しがつかなくなると、私は自分の経験から感じます。



人と人は助けあって、慈しみあって、お互いの悪いところは許し合うことが、人と人とのコミケをスムーズし、争いは極力しない、もし、争いをした時には、お互い、自分にも非がある事を自覚して、お互いに謝ると解決できるのが、我々一般人の間で起こるトラブルなんじゃないのかな?と、私は自身のことと照らし合わせて思います。



我々のような一般人同士のトラブルでは、一方的に相手が悪いなど言うは存在しないと、私は、自身の経験から思います。



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さて、私の場合、現在は、教会の信仰を持っていて、現在のような精神不安に陥った時、最終的に私の気持ちを元に戻してくれるのは、神様だと思っています。



私が自分の鬱やパニック障害に気がつく事ができたのは、神様のおかげだと思っています。私は、教会へ行き、神様との対話の中で、自分の嫌な気持ちは全て吐き出してしまうことで、神様から御言葉をいただく事ができるからでした。



それは、母の時に経験したので、そう思えます。



今回も、私は教会に通い、教会の友人てか、我々の言い方では、家族(神様の元での)の方々が、私を励まして、力を添えてくださったり、私のために祈ってくださっています。



そして、何をおいても、私は、自分と神様との対話で、私の場合は、神様が解決への道を示してくださるので、それに従うと心が元通りになる…という事なんですよ。








人って、私だけで無く、みんな自身が失敗する事やいけない事を人にしてしまう事もアルアルだと思います。



また、人を傷つけてしまう事も、反対に人から傷つけられてしまう事もアルアルだと思います。



私には、若い頃から、人を傷つけるよりも、人に傷つけられる事の方が多くありました。



でも、この事でトラブルにまで発展したら、これは、どちらも悪いって事ですから、私は自分の非は認めて相手に謝ります。



しかしながら、世の中には、これができない人も多くいるのです。



理由は人それぞれですが、自分の非は認めたくない人が山程いて、喧嘩両成敗という事がわからない人もたくさんおられるのです。



喧嘩やトラブルの原因は、いつも、五分五分でどちらも悪いという事だと、私は自身の経験から思います。どちらかが一方的に悪い喧嘩なんて事は、普通の人同士の喧嘩には、存在しないと、私は思います。



私には、人間関係(恋愛関係なども)の悩みで、自分なりに散々な目に遭った経験があります。



でも、その時は、まだ、教会の信仰を持っていなかった事で、被害者意識が強くて、人を許す事もできてなかったし、相手の気持ちも考えられなかった事で、平和的な解決はできなかったように思います。



それも、今となっては、大した事でもなかったな…と、思えるくらいに、シンガポールへ来てからの方が散々な目に遭いました。



しかしながら、日本にいた時よりも、シンガポール🇸🇬で遭遇した災難の方が酷い事なのに、自身の気持ちの立て直しについては、神様に救っていただいた事が事実でした。



だから、今回もきっと、立ち直る事ができると信じています。それが、いつか?はわからないけどね…。ゆっくりと回復に向かうだろうと思います。



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さて、今回のお話はどうでしたか?


今回は、かなりの長文になりましたが、ご興味ないところは、飛ばして端折ってお読みくださいね。



それでも、いつも最後までお読みいただき、私はいつもみなさんに感謝しています。



人間が生きていくうちには、人それぞれ悩み事はあると思います。また、人間関係の悩みって、人の悩みの種類の中で、トップだそうです。他には、お金の悩み、家庭内の悩み(家族の病気や介護など)と続くらしいです。



私の悩みはいつも、人間関係の悩みです。



家族に関する悩みは、そんなに私が壊れそうになるくらいのダメージはないのですが、人間関係(外部の人間)の悩みほど、大変なように感じました。



でもね、今回、私が自身の状況を書くと、私と同じような落ち込みがある人や、これから、こんな落ち込みが自分に起こるかも?なので、その時の安堵感として、自覚できる自分の心の異常は、大丈夫🙆‍♀️、悩むだけ悩めば良いと言う事。そして。そこからの打開策は必ず自分で見つけられると言う事。



私の心が崩れていると自覚できる人は立ち直ると言う、私の経験上の持論ですが、みなさんにも共感していただけると、◯殺防止に繋がるのかな?と、思いました。



では。今回もこの辺で。次回の投稿をお楽しみに。