こんにちは。Bibako です。



シンガポールは、旧正月🧧が2月10日から始まり、15日間その行事が続くので、今週末終わりを迎えます。



よくよく考えてみると、日本のお正月も、確か、鏡開きで幕を閉じると記憶してるので、関西圏(大阪)の場合、1月15日が鏡開きなので、ほぼ同じかな?と…。






何故?突然こんな話なのか?子育てとは関係ないやん!って、思ったそこ🫵のあーた!




私の話のポイントはそこではなくてね、現代の日本人の大人達が、日本の伝統文化を等閑してるてか、親からも教わった事なくて、知らない…という人が増えてますねん。




それにね、シンガポールで暮らしていると、近年、見かける日本人の方々の気質が変化してる事には、驚きを感じるのです。




なんか知らんけど、日本人独特の良い気質が、現代の日本人の大人達を見ていると変化していて、アメリカ人的てか、外国人的な気質の日本人が増えたかな?と。日本人じゃないやん!これっ!ムキームキー





それにね、こんな気質はどこから培われるのか?と、考えてみると、やっぱり、親の子育ての問題かな?って、私は思いますねん。











それから、最近見つけたのですが、こんな子育ての教訓があります。



​🔷子供は親の鏡






これは、私はシンガポールで長年、日本人のお子さん達に携わってきました。(幼児から小中学生)その中で、これはとても、共感できる言葉だと感じるのは、その子供を見ると、その子供の親(保護者さん達)の本質が私には想像できるのでした。








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実は、私、これは、自分にも当てはまると感じるんです。




だからといって、私は自身の母(我が家は母が子育て担当でした)を恨んだり、母に対してキレたりという事は全くなかったですが、私の自己肯定感や自身喪失の原因は、やはり、母の躾の中での私への接し方に問題があったかな?と、今になってから、自身の子供の頃を振り返ってみると思います。




でも、私の場合、両親からの教えや私への接し方の影響について、悪い面ばかりではなく、もちろん、感謝すべき良い面もあります。





私が人が好きで愛情を人に与える事ができるのも、母からの私や姉、妹や弟への接し方が良かったからだと、母に感謝しています。




また、父は基本的に心が優しく思いやりがある人でした。そんな姿を、私は父の晩年に感じることができたのでした。




それがわかった時、私もその気質を受け継いだ事や父の公平さや正義感、責任感的な事も、感じ取る事がありました。それらは、私自身がしっかりと受け継いでいる事が、自分でわかります。




私の性格の多くは、父の気質を受け継いで、培われていたのだと感じます。この部分は、父に感謝しています。




そして、『子供は親の鏡』というタイトルで、こんな言葉があります。






同じ言葉ですが、もう少し見やすいものを引用しますね。







①親が子供を愛してあげると、子供は人を愛する事を学ぶ。



現代の日本人の子供だけでなく、シンガポール人の子供も同じなんですが、親が子供を大切にするがあまりに、子供は親からの愛を感じる…ここまでは、この言葉通りです。でも、何故か?現代の子供達は、これを当たり前化してしまっていて、自分は親から愛情を与えてもらっていても、人に自分の愛を分けられない…という現象が起こっています。




これは、現代の親世代、ご自身がこんな風に親からの愛を感じて、お育ちになられたので、その当たり前化がご自身のお子さんにも反映している証拠ではないか?と、私は思いました。



これも、現代の日本人の気質の変化に現れていると思いますが?あくまでも、私自身の個人の主見です。




②親が子供を認めてあげると、子供は自分が好きになる。




これは、本当だと私は感じます。私は反対に私の良いところ(例えば、勉強ができた事)を私の母は何も言わなかった事で、私は自己肯定感や自信がない大人へと成長しました。



でも、私の場合は、55歳辺りからは、いろんな意味で、これまで生きて来た事や苦労は、全て、自分の人生の糧になっていた事がわかりました。




また、自分が仕事においても、自信がなかなかできなかったことで、ずっと、がむしゃらに仕事をしてきて、また、誰かから褒められる事があっても、癖として、これはたまたま運が良かっただけだ!と、自信がない分、知らないうちに「謙遜」する姿勢が養われていました。



だから、仕事ができて、人からも認められていても、決して奢ることなく、自分だけを見つめていた事で、55歳くらいになると、本当の意味で、仕事に関しても、自分にしかできない事を感じるようになり、揺るがない自信へと変化しました。



すると、全てにおいて、自己肯定感ができて、幸せな気分になりました。




③親が人と分かち合う事を教えると、子供は思いやりを学ぶ。



これも、私は自身の実家の中で、母が常に言っていた事なので、身についている…というよりも、自然にしてしまう事が多くあります。




私の母はとても、潔癖症で綺麗好きでした。私はどちらか?というと、汚い所はもちろん嫌いですが、自ら綺麗を保つ事が苦手です。




つまり、家事の中では、掃除や整理整頓があまり得意ではないかも?でした。でも、私の母の綺麗好きのレベルが高いので、私が掃除苦手、整理整頓苦手といっても、たぶん、そんな方々の中では、掃除も整理整頓とできる人に見られると感じます。



私の母は、家の掃除を子供への躾として、私には、小学校3年からは、掃除機の使い方や拭き掃除の仕方をしっかりと教えて、学校から帰ってきたら、日課のようにさせられていました。ショボーンえーんショボーンショボーン



しかも、自分の部屋(当時は姉と同じ部屋)だけでなく、そこが終わると、リビングやキッチン、他の部屋も順番に掃除しなければなりませんでした。



私は、腹が立って、何故?自分がこんなことをしなければならないのか?と、母に文句をいうと、家族だからという答えが返ってきました。



同じ屋根の下で暮らしているのに、自分のところだけ綺麗になれば良いわけでない!と。そして、ご飯を作るのも、洗濯をするのも、家族の分全員のためにするのが家事だ!と、躾られました。



母は専業主婦でしたが、家事は完璧でした。毎日、自分でも掃除機をかけ、拭き掃除もしているのに、私にまた、それをさせることで、躾ていきました。自分がしていないのではなく、私を躾るために(姉にも同じ事をさせていましたが、姉はご飯作り担当でした)、また、洗濯は姉と私に交互にさせてましたし、もちろん、自分でもしてますが、家事は母から、小学生の頃から、私と姉は躾られました。



でも、それをする事で、人のために何かする事が、私は苦ではなくなっていきました。



小学生の頃から、外で人や友達が困っていると、必ず助けたいと思うような気質なり、大人になると、人の事が気になるお節介オバハンのような気質になりましたが、人から「優しい」と、好かれる事が多くなりました。



結婚して夫や子供ができると、私は自分の愛情を惜しみなく夫や子供に与える事ができ、家族のために家事や育児は惜しみなく、自分の負担とは全く考えることなく、ワンオペできるようになりました。



④子供に公平であれば、子供は正義感を持つようになり、親が優しさや思いやりを持っていると、子供も人に優しく、思いやりが持てるようになる。



これも、私は父の姿を見ていて思いました。



ところが、私、子供の頃や若い頃は、父が苦手で喧嘩もよくしていました。父と面と向かって言い合いをしたのは、兄弟の中でも私だけ?かも?でした。



でも、私は、母が父よりも先に他界した事で、父と2人でいる事が多くなり、だんだん、父の本質的なところがわかってきました。それまで、私は父を誤解していて、全然、父の事はわかっていませんでした。父は寡黙で、家族の中ではあまり話をしないタイプでした。だから、その分、母は真逆でうるさいくらいおしゃべりでした。



ですから、私だけでなく、姉も父の事がよくわかっていなかったと思います。でも、妹は、父が30代後半、弟は40代後半にできた子供であったので、父自身も自分の時間やお金に余裕ができた事もあり、とても可愛がっていました。




だから、この2人は、父が大好きだったと思います。




特に、妹は母よりも父の事が好きだったに違いないかったのでした。でも、父は晩年、自らの失敗で自己破産してしまい、妹は家族と縁切りをしてしまいました。父は死ぬまで、妹とは和解できずにいましたので、さぞかし、悲しかったかと思います。





でも、父は最後の1年くらいは、アルツハイマーになり、それも急激に進んだため、施設で最後を迎えました。




でも、私はアルツハイマーに感謝しました。私が最後に会った父は、今までの自分が抱えていた自責の念や苦しみ、哀しさから解放されて、とても、穏やかで幸せそうな笑顔を見せてくれました。




かなり、ボケた事をいって、私は笑いそうになりましたが、あんな穏やかで優しい父の姿は、今まで見た事がなかったくらいでした。




私の父との良い思い出になりました。今は、きっと、大好きな母と天国で幸せに暮らしていると思っています。私が最後を迎える時には、両親に迎えに来てもらいたいです。来てくれるかな?知らんけど…爆笑爆笑




⑤家族が和気藹々としていると、子供はこの世は良いところだと思えるようになる。




これも、自分に当てはまると、本当にそうだと思います。




私の家族(実家)は、私が生まれてから結婚で家を離れるまでの間、本当に、幸せな家族だったと思います。



極普通に、両親がいて、女兄弟と男兄弟がいて、祖父母や親戚とも付き合いがあって、毎日の食べる物にも不自由した事はなく、学もつけてもらい、欲しい物や必要な物は買って与えてくれました。




家族間の争いは、どこの家でもあると思いますし、私の実家でも、父と母の夫婦喧嘩も見てきましたよ。姉とは年子でしたから、子供の頃は取っ組み合いの喧嘩ました事ありました。



妹や弟は、私にとってはあまり興味なかったのか?良い姉ではなく、面倒もあまり見ていなかったかも?でした。妹に意地悪を言って泣かしてしまった事もありました。弟は歳が離れすぎていたので、近年になってから、両親の世話の事やお墓の事で、嫌な事を言われた事もありました。




でも、どれもこれも、極普通にどこの家である、家族の争いで、次の日に長引く事もなく、みんな忘れて、許し合って、楽しく暮らしていたと思います。





でも、現在、両親が他界しても、私達家族は幸せとは言えないかも?です。




両親の他界にあたり、いろいろな心労が私にも、姉や妹・弟にありました。また、両親に対する気持ちの温度差もあり、なかなか、みんなで仲良く…というわけにはいかなくなってしまったのでした。




それで、現在は、姉と私組、妹と弟組という感じで、それぞれ、付き合いもなく知らん顔になりました。




これは、両親が望んでいた私達子供の姿ではない事、私には充分にわかっています。でも、こればかりは、私の力ではなんともできず、今も、妹からは、母が他界した時から、私とは縁切りしたも同然の扱いを受けています。弟は、何とか、たまにだけ、連絡してくれる事もありますが、ほぼ無しです。



姉だけは、両親が他界した事で、姉としての責任感を私には感じてくれているのか?良くしてくれるようになりました。以前よりも仲良くなりました。



ただ、これも、欲を言うなら、姉の力量で、妹や弟とも、以前のように、みんなで集まり食事くらいできる仲にしてもらえないのかな?とは、思いますが、当の姉が、妹や弟には呆れて物が言えない!と、匙を投げてしまった事で、私の期待は泡の如く消えたのでした。




ところで、私は、この『子供は親の鏡』を読んだとき、私の場合は、両親それぞれの気質を思い浮かべて、私への接し方を考えてみた時、現在の自分というのは、元々、両親の良い部分や悪い部分をそのまま受け継いでいる事が伺えるのです。



これって、誰でも同じじゃないかな?って。




世の中には毒親という言葉やネグレクトという言葉もありますが、そんな親を擁護するわけではないですが、そんな親は、ご自身が自分の親から受けた扱いや親からの接し方で、心がうまく成長できずに、大人になり、何も考えずに、自分も親になってしまったのかな?と思います。




すると、自身に染みついた、親からの扱いや仕打ちが、知らないうちに、自身の子供に向けられていた…という事なのかも?ですね。




すると、やっぱり、そんな親に育ててもらうと、その子供も、人を愛したり、自分の愛を人に与える事は苦手になってしまうのではないですかね?




本当に難しいですね。子育てって…




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さて、今回も長文のお付き合い、ありがとうございました。私はいつもみなさんに感謝しております。





今回、初めにお正月の事を持ち出したのは、現代の日本人の大人達に、少し疑問を持っていたからでした。



例えば、お正月の行事の中で、お節料理や親戚とのお年始のご挨拶周り、子供同士で遊ぶ、凧揚げや羽子板やすごろく、コマ回し、など伝統的な遊びも、今は形を変えていますよね?しかも、お節料理なんて、美味しくもないし、食べる物がない!と、無視しているご家庭もありますよね?




私はそれはいけないとは思いませんし、個人の自由だと思います。



でも、日本の伝統文化は誰かが守って、継承していかないと、なくなってしまうのです。



日本の伝統文化が何よ!って、思う方々もおられるかも?ですが、これこそ、日本人の良い気質を生み出した、親なのではないのかな?と、私はこんな事を思いました。これは、あくまでも、私の主観ですよ。そう思わない方々がいらしたら、お許しください。




ただ、私はシンガポール🇸🇬で長く暮らしているからこそ、日本人として、日本人の本来の気質や日本の伝統文化や日本語を大切にして、後世だけでなく、シンガポール人にも伝えて、理解してもらい、シンガポールと日本の架け橋的になれるといいなぁ〜と、いつも願っているのです。




私のような日本人こそ、国際人という名前に相応しいのでは?なんて!爆笑爆笑爆笑




それでは、今回もこの辺で。またの投稿をお楽しみに。