こんにちは。Bibako です。



突然ですが…



あなたは、自分に自信がありますか?自分の事が好きですか?




この質問ってね、日本人は、そのほとんどの人がその答えとして、『それほどではないですよ。』という答え方をするらしいのです。つまり、はっきりと、『はい』と答えないところが、日本人の謙虚なところで、人前では、できるだけ『謙虚する』事が良い!って、言う意味のようです。




でも、『自分に自信があるか?』『自分の事が好きか?』という答えに対して、『それほどでもない…』と、いう言葉の意味を『No !』(謙遜も含めて)と言う意味で捉えるのは、日本人には多くあるらしいのですが、外国人のそのほとんどの人は、『それほどではない…』と言う言葉の意味は、ポジティブな捉え方をして、『Yes !』(自己評価が高い)という受け取りをする人の方が多いらしいのです。




これは、この間、TVの番組の中で、似たようなデータを持って、外国人が日本人の話が曖昧な答えをする事が多くて、Yes か?No か?よくわからなくて、困った…という話になっていました。




日本人って、謙虚であるのは確かだと思うのですが、だからと言って、自分に自信が有るか?無いか?、また、自分が好きか?嫌いか?という答えとして『それほどでもない…』という答え方が、それ🟰自信がない!という意味だとは、限らないと、私は思っています。



それは、日本人が持つ『ぼかし言葉』の産物であり、Yes か?No か?どちらとも取れる曖昧な答え方をするのが日本人には多いので、自分に自信があっても、『自信が有る』と人には言えるほどのものではない!という答え方をする日本人には『謙遜する事が美徳だ!』という文化的な考え方が有るからかな?と、私は思いました。









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では、私の場合はどうなのか?というと、私、生まれてこの方、アラカンになるまで?いや、50歳半ばを過ぎるまで、自分には、全く自信がありませんでした。





私の場合、日本で暮らしていた頃は、自分に自信なんて、これっぽっちもなかったです。







シンガポールで暮らすようになっても、それは変わらずにいました。




でも、日本に居た時ほど、人の事が気にならなくなり、また、自分の事も人と比べる事がなくなりました。



それは、シンガポールの地元暮らしで、シンガポール人のローカルコミュニティの中に、自分の居場所がありますので、他の日本人の方々とはそこが全然違うと思います。




つまりね、私はシンガポールに来てからは、自分は日本人であっても、他の日本人とは比べる事がないてか、付き合いがなくなっていった事で、比べる必要もなくなったのでした。




それは私にとっては良い事でした。









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さて、日本人気質の中で良い面でもある、人に親切で人の事を考える気質ですが、これってね、裏を返すと、人の事を常に観察してる的な人でないと、タイムリーに人助けなんてできませんよね?




しかし、人の気持ちを考える事も、人を気にしていなければそれもできませんよね?




すると、これが良い面で出ると、人に対する『気配り』『おもてなし』『配慮』ができるって事ですが、悪い面で考えると、自分と人を比べる事までも自然にしてしまいます。




例えば、人に親切にしてあげたい、人助けしたい…と考えてみても、自分の生活に余裕が無いと、そんな事は二の次になるのも、人間の性(さが)ですよね?




だって、まずは、自分の生活が大切ですし、自分が生き永えるためには、自分が心身共に健康でないと、人の事まで構っていられませんからね。







そして、人に親切にできる事や人助けをする事って、やっぱり、人間のエゴである事もありますよね?




自分より不幸な人だからこそ、助けてあげたいのですよね?でも、人間って、そのほとんどの人は欲が捨てられませんよね?私もそうですが…。




例えば、人は、困っている人の選別をしてしまい、自分より、普段は裕福そうに見える人が、困っていると訴えても、自分でなんとかすれば…と、突き放してしまうかも?だし、私はこの人が裕福な時にも、施しなど受けた事もないのに、何故?自分助けなければならないのか?と、変な理不尽を考えてしまったり。








これも、普段から、自分よりも不幸そうな人を見て、安心するタイプの方々が考えるらしいですよ。心理学的には…。




しかし、私でも、こんな事はあるかも?なので、自分よりも下(不幸な人)の人をみてると安心できる的な人に『人の不幸は蜜の味』のようないけない考えを持つな!というのは、おかしな事ですよね?




それに、世の中の人の中で、自分の方が人よりも優位にいる事が幸せって人の方が、なんか、人間らしいなぁ〜って思いませんか?少なくとも、そんな事は絶対に自分にはない!という人の方が、嘘ついてるんとちゃうのん?って、思いますよね?爆笑爆笑 




えっ?私だけ?ガーンてへぺろガーンてへぺろ




しかしながら、誰も表には出さないけれど、なんとなく、この人よりも私の方がマシな生活してるよね?と、考えられると、自分が少し安心するてか、ちょっとだけ幸せな気持ちになるかも?です。




これは、人間、誰もがある感情かも?なので、これをいけない事というと、人間みんないけない人達になりませんか?爆笑爆笑





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ところで、自分の事ですが、私ってね、お恥ずかしい話ですが、50歳代半ばになってから、初めて、自分の事が好きになりましたし、自分に自信が出来ました。




だから、反対にいうと、55歳くらいまでは、自分に自信が持てなかったから、人が気になった…という事でもあったかも?です。




わかりやすい例を挙げると…




私は自身がブログを書くきっかけになったのも、腹立つ後輩が、当時、職場にいたからでした。




私は今から思うと、自分に自信がなかったから、いちいち、彼女の言動に不快感があったのかも?でした。








それは、当時、私にとっては、この人が来るまでは、自分のペースで仕事ができたし、自分の仕事には、真剣に取り組んで、長年この仕事をしてきたという、経験もあり、自信を持っていたつもりでした。




でも、この人は、当時の私にとっては、物凄い自信家に見えて、自分大好き❤だという、オーラを放ち、謙虚さのかけらもなく、礼儀もない人に思えました。




すると、案の定、この人は、大先輩の私に堂々と、ご自分の仕事自慢やモテ自慢を始めました。ただの話ではなく、当時の私には、自慢にしか聞こえませんでした。




仕事に関しては、何かにつけて、自分はなんでもできる、人からも評価されている、子供(生徒達)には好かれている、保護者から信頼がある…アピールをされた事が、私の中では、なんか許せなかったんですよね。爆笑爆笑爆笑




仕事も人生においても、名実共に、大先輩の私に、ご自身の仕事自慢できるって事は、私はダメだとでもいいたいのか?的な嫌な気持ちになったのでした。なんと、ネガティブな私なんですかね?爆笑爆笑




更には、ご自身の容姿にも自信がおありのようでした。




確かに、私からみても、可愛い😍顔をした人には思いましたが、ただ、それだけでした。私には、この人の容姿には、何も興味がないところでした。




でも、私に、過去も現在も続く、ご自身のモテ自慢を私にしました。今思うと、ただの世間話的に彼女は話しただけかも?です。でも、私には、彼女のモテ自慢の話として、受け取ってしまいました。



それは、こんなアルアル話を彼女は私にしました。




昔、職場の同僚の彼が同じ職場にいて、自分(この人)にその彼が気があったようで、同僚の女性(彼女)から嫉妬されたとかで、挙句、職場を辞めたとか、別の話では、シンガポールで病気になったとき、病院を受診したら、その病院の先生からナンパされて、高い医療費のシンガポールなのに、私だけ、手術代を安くしてもらったとか、子供(生徒の男の子)には、可愛いプロポーズされて、困ったとか…。




私は、返答に困りましたが、あっそうですか。としか言えませんでした。だって、私はこの人と違い、自分の容姿には一度も自信を持ったことなどなかったですし、自分の顔やスタイルも嫌いでした。たから、こんな自分が好きだという人、自分のお顔も気に入ってる人の気持ちなんて、共有できるはずもなかったんですよ。








これらの話も、私が、もし、当時、自分に自信があったなら、普通に流せる話でしたが、当時は、この人の話には、めちゃくちゃカチン💢っと来たんですわ。ここも、なんと、私はネガティブな性格なんですかね?爆笑爆笑爆笑




私の場合、もし、今なら、こんな話を聞いても、笑って良かったね…と言えるかも?です。






私もイケてるでぇ〜。あんた、アラカンになったら、今の私に、まけるでぇ〜とか?爆笑爆笑爆笑









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当時、社会人の大先輩である私は、変な仕事のプライドもあり、この人の仕事自慢を聞いたとき、少なくとも、私は、あなた(この後輩)がオムツしていた時には、既に社会人(先生)でしたけど?いう気持ちがありました。




だから、なんで、こんな20歳近くも年下の後輩が、私に仕事自慢するか?的な気持ちで、嫌な思いしかなかったので、この人の話が素直には聞けませんでした。



これも今なら、許せたかも?です。この人の仕事スキルと私が持つ自分の仕事に於けるスペシャリティを比べようがないからでした。爆笑爆笑爆笑







また、私は、当時、自分の容姿が嫌いでしたし、若い頃から、容姿には自信はないのです。




私は、シンガポールのイケメン夫と結婚していて、もちろん、夫は私の容姿が気にいっていて、いつも、可愛い😍といってくれていますが、この人でなくても、人のモテ話なんて、その時の私には、普通に聞けるわけないじゃないですか!爆笑爆笑




当時、容姿に自信がなかった私に対して、この人の過去や現在のモテ自慢の話なんて、なんの興味もなく、不快にしか思いませんでした。ムキームキー




こんな馬鹿馬鹿しいご自身のモテ自慢の話を、なんで?私にしないといけないのか?って、こちらにもカチン💢って来たのでした。







しかも、私もこの人も既婚者で子供もそれぞれいるお母さんである事は、年齢こそ違えどなにも変わりませんでしたからね。なんなの?ってしか、思いませんでした。




こんな感じで、この人の話を聞くたびに、私はこの人が、どんどん嫌になってきましたし、職場でのシンガポール人スタッフからの評判も当時は悪かったので、同じ日本人として恥ずかしい思いもありました。




でもね、よくよく考えてみてたら、これは、全部、私の自信の無さの裏返しだったのかも?と、今は思うのです。







だってね、この人とは、のちにトラブルになり、酷い結末を迎えて、屈辱を味わったのですよ。




でも、少し時間が経つと、お互いの気持ちは緩和して、現在は、それも和解できて、お互いに、普通の関係に戻れたので良かったと思っています。




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じゃあ、何故?私は彼女の事が許せるようになり!彼女の事は気にならなくなったのか?





それは、私に、仕事の面も容姿の件も全て、自信が出来たからでした。




だから、何もこの人事が気にならなくなったのでした。







それに、人の幸せ度って、自分にしかわからないし、測れないものですよね?




だから、人がどんなに仕事が素晴らしいとしても、モテたとしても、お金持ちでも、私自身が、自分の現状に自信があると、幸せ度が上がる事を私は体験しました。





私の仕事への自信は、現在、実績の積み重ねが功を成して、アラカンからの転職を果たして、そこでも、いろいろ嫉妬されて危なかったところ、私は自分の実力を見せる機会が、今年できました。




そして、今の自分には仕事にも自信があり、自分しかできないスペシャリティも持っていると、自負しています。だから、なんでもうまく出来るという自信があり、それが、やっぱり、功を成すのでした。




だから、私は、自分の仕事のスキルをフルに使い、私にしかできないスペシャリティを、マネージャーや学校に見せつけた事で、マネージャーからの私への見方も変わり、態度も変わったのでした。





どやっ!見たか?私は、ただの教師やあらへんで!





私には、教師というスキルだけでなく、ネットワークがあり、私が、去年、学校にプレゼンして、自分のカリキュラムを使った新しいクラスの提案を受け入れてもらい、生徒を自分で集める事もできました。




これは、長年、勤めている学校でも、してきたのですよ。生徒を集める力もありますし、新しいクラス提案もできます。




ただの雇われ先生だけではないのですよ。私は。







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私の今までの仕事のスキルは、教師だけでなく、広告代理店での総合職(営業)スキルや企画提案スキル、リーダーシップもあり、管理職経験もあります。




また、普通の学校教師の資格だけでなく、料理や生花、福祉士(介護的な老人ホームや障害者施設や福祉施設などでも働ける)など、昔とった杵柄的なたくさんの資格を持っている、マルチ教師、マルチ人間なんですよね、私。




これが、日本ではなく、シンガポールで開花したんですよ。30年ほど、シンガポールで頑張って暮らしいるうちに…。




そして、語学も、実際には学校で勉強したのは、学生時代だけでしたが、シンガポールに来てからは、英語だけでなく、広東語や華語、などもできるようになりました。勉強レベルではないですが、耳👂から聞いて口真似する、シャドーイング的なスキルが、自然に備わったんですわ、私。



だからね、私はシンガポールに来てから、だんだんと、自分はスペシャリティがある人間だって、また、サバイバルスキルに長けていて、ここでも、お金を自ら作る事ができる人間だって、この年でも証明されたって事です。




今は自分の仕事のスキルは、実績と共に人からも評価されるようになりましたし、仕事にも、語学力にも、55才くらいからは完全に揺るがない自信ができました。




また、容姿については、これは、シンガポール人のイケメン夫が、私の事を認めてくれて、可愛い😍可愛い😍、XXちゃんの顔が好きだ!と、褒めてくれた事で、すっかり、自信ができました。




でもね、結婚当初はサレ妻体験をして、やっぱり、夫は私の事は愛していないのかも?と、夫の口が信じられなくなった事もあり、容姿に対する自信はできないままでした。




しかし、そんな中でも歳月が流れて、夫の愛❤️にも気がつく事ができる体験もあり、不倫や浮気なんて関係なく、夫が、心から私や子供達を守る気持ちや愛してくれている気持ちがわかってからは、私は自分の容姿にも、自信ができました。このまま自然体で、充分だという、揺らぎない自信ができたのでした。




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私は、自分が生まれてから、半世紀以上、自分に自信が持てなかったのは何故なんだ?と、考えてみたくなりました。










それは、私が育った環境や両親(我が家の場合は母が子育て担当だった)のせいである事は確かかな?と、思います。




私の場合、なんかわからないけど、子供の頃から親からあまり褒め言葉を聞いた事がなかったからか?(私が覚えていないだけかも?だけど)何をしても、母からの反応はいつも同じだったような?




例えば、私は長く学歴コンプレックスを抱えていました。それも、シンガポールに来たらなくなりましたが…。爆笑爆笑爆笑




私は実は、子供の頃から、学校の成績が良かったのですが、母からはその事を何も言われた事がなかったんです。『すごい👍ね』、とか、『よく頑張ったね』とか聞いた事無かったです。








母は、私の成績の良さを知っているはずなのに、何も私には言わなかったのは、いまから思うと、姉への配慮だったかも?でした。




姉は年子で、勉強よりもスポーツができた方でしたから、姉にはそこを褒めて、姉に自信を持たせる為に、あえて、家の中で、私の成績の良さについては、何も言わなかったのではないか?と、思いました。




ただ、姉の場合は、勉強の遅咲きだっただけで、高校からは自分の水にあったのか?、ぐんぐんと、成績は上がりましたけどね。母は、そこは、姉が学校で褒められる何かある毎に、私に聞かせてくれていました。




我が家では、母は年功序列を大切にしている人でしたから、姉(長女)は、妹や弟からは尊敬される存在でなければならない的な事だったのか?妹である私が、姉を超えてはいけないような風潮がありました。




でも、母は私の学校の成績が良かった事は、小学校5年生の時に、担任の先生から中学受験を試してみたら良いと勧められた事で、その気にはなったようでしたが、姉が中学受験に失敗した前例があるので、少し🤏躊躇していたことはわかりました。




そして、母はとりあえず、担任の先生から勧められたので、神戸にある偏差値が全国的にも高いとされる私立中学の受験をさせようと考えたようでした。




そこからは、母は、家庭教師の先生を私につけて、(姉の時も中受のためにつけていた…けど)、私には算数だけ勉強していました。ついでに?英語も先取りで別の先生に習っていましたが、こちらは、すぐに辞めました。




私は、当時から英語には興味なく、どうせ、中学からは英語があるので、わざわざ、先取りして、勉強する気持ちがなかったのでした。




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ところで、中受については、当の本人である私は、本当のところ、受験に受かる気がしなかったのと、自分の学力に自信が全くなかったので、6年生になると、中学受験が恐ろしくなって尻込みしました。




そして、2学期の終わりには、母と話し合いをして、中学受験は辞めさせてもらいました。母は残念がっていましたが、姉の事もあったので、すんなり、私の意見を受け入れて、辞めさせてくれました。




その頃の私の本音は、同じ小学校から地元の公立中学へ入学する、仲が良い友達もたくさんいたので、他の中学には行きたく無いという理由もありました。それに、なんだか、受かる気がしなくて、受験失敗したら、みんなにバレるし、恥ずかしいので嫌でした。



自分の成績が良い事はわかっていても、他にも賢い子(クラス中から認められる、私立中学受験の賢い子達)の中に、自分が入れるわけいやん!って、勝手に自分の学力を決めつけていたようでした。




でも、後で母から聞いた話では、中学受験を勧めたのは担任の先生だという事から、もしかしたら、私も先生から見ると、充分、私立中学受験をする他のクラスメイト(クラス中でも皆が認める賢い子達)と同レベルの成績だったのかも?ですね。知らんけど…




私は自分に自信がないタイプでしたから、自分の成績を人と比べる事も全くしたことなどありませんでした。




そして、クラスの友達から、テストの点数を聞かれると、正直にXX点だったといいましたが、その頃は、クラスのみんなが、テストでは90-100点取ってるのだと、勝手に思い込んでいたので、自分の点数が、どの教科でも高い事も、あまり気にしなかったのでした。




今はどうなのか?はわからないのですが、昔の小学校の成績表は、5段階評価をやめるようになり、3段階評価になっていました。




通信簿という名前から『あゆみ』という名前に変わり、『よくできる』『できる』『努力がいる』という3段階の表示だったような?




それで、成績が良い子達は、どの教科も『よくできる』に◯が入ってるので、成績表を眺めると、縦に一直線になっている生徒達が、言わゆる、『オール5』という意味で、賢いとされていました。




私は、毎回、一直線にはなっていませんでしたが、今から思うと、ほぼ、それに近い形でした。




体育がひとつ2つ『できる』という評価になったり、図画工作も、それが必ずあったので、一直線では無かったのです。




でも、横にそれているのは、体育と図画工作だけであり、主要4教科(国語・算数・理科・社会)など、他の教科は常に一直線でした。




だから、今思えば、賢い子だったのかも?でした。




しかし、母からは、勉強に関して、何も指摘された事はなかったし、反対に姉は体育が常に一直線でしたから、母が私に言った事は、あんたはもう少し体育頑張らなかあかんなっ!と言われた事は記憶にありますが、その他は、何もコメントがなかったと、記憶してますので、そんなもんだと過ごしていたのだと思います。



中学や高校に入ると、成績表5段階評価でした。共に、9教科あったと記憶してますが、評定平均は、それぞれ、3年間の総合でも、4.3-4.5くらい、高校三年生だけは、大学受験用に10段階評価の扱いになっていたような?それでも、やっぱり、良い成績でしたよ。



私の成績は、勉強に関しては、どの教科でもなんでもできるけれど、極めるものは、なにもないのです。国語と社会(歴史・公民・政経・倫社)は常に5でしたが、数学や理科(化学・生物)では5はとった事はなく、常に4。化学は3もとった事ありました。英語(文法・読解・作文)は、嫌いだといっても、だいたいは5、時々4でしたよ。




今では、ホンマかいな?ってくらい、勉強は嫌いではなかったので、学生時代、しっかりとしていました。でもね、大学受験は、母の意向で姉と同じ短大(偏差値も悪くてアホ短と自分では呼んでいた爆笑爆笑)への進学でしたから、ずっと学歴コンプレックスを抱くことになってしまいました。




でもね、これは、私には資格があった事で、シンガポールでは、完全実力主義なので、日本の大学の名前など、東大以外はどこでも同じ扱いか?くらい、私は、教師資格があったおかげで、就職はすんなりでしたわ。爆笑爆笑




するとね、私は職場でも、いろいろなスキルがあるので、学校でも、いろんな面で重宝されるようになり、どんどん、仕事の頭角は現れて、実績を積んで、ボスからも信頼されるようにはなりましたが、まだ、自分の仕事への自信には繋がりませんでした。



私は、長く学歴コンプレックスに悩んでいたり、日本の中では、幼稚園や保育園でも先輩の先生方々にしごかれた事で、今でいう、パワハラか?モラハラか?的で、女の園的なイジメ?にも遭いました。




でも、そこは、ノー天気で打たれ強い私は、そんな先輩のイジメにはへこたれる事はなく、そこではなく、とにかく身体が持たないくらい、体力維持が大変なので、教師をギブアップした経験も日本ではあるのです。




それで、なかなか、シンガポールでも、それが頭にこびりついて、自分は、教師としてのスキルが良くないと思い込んでいたかも?しれませんでした。





だから、仕事で褒められる事があっても、実績が上がっても、謙虚さではなく、真剣に、たまたま運が良かっただけだという、自分への評価でしかなかったので、ずっと、がむしゃらに仕事をしてきただけでした。




それにね、実の事をいうと、外で仕事をしたい人ではなく、私は、家に居たいタイプなんです。





なにも仕事がしたくて一生懸命していたのではなく、家計の問題もありましたし、シンガポールでは、私は、英語も出来ないし、まずは日本人相手の教師の仕事でお金を稼ぐしかできない理由もありました。




それから、しばらくして、英語はなんとか仕事で使うくらいはできるようになり、外国人相手に日本語を教える日本語教師になりました。



現在は、この仕事には、私にしかできない仕事のスキルやスペシャリティがあるので、他の日本語先生とは違うという自負とともに、仕事への自信がつきました。




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私、以前は、性格にも自信がなかったです。でも、今は、自分自身の全てが好きで、自信もあります。




私は子供の頃から、物怖じはしない性格でした。また、人懐こい気質も持っていました。




私は、外ではハキハキしていて、おしゃべりで、人の世話をするのが大好きな子供でした。いつも、人が気になって、自分の事は置いても、人の役に立つ事に喜びを感じるタイプの子供でした。




だから、家の中では、外で頑張る分、疲れてしまい昼寝をしていたり、ぼんやりと妄想に耽る事や頭の中を白くして何も考えないで、自分の思いのまま振る舞うのが好きでした。




また、自分の事や外であった事は、全く家族には話さないタイプで、家では無口でした。家の中では、家族との調和も考えることなく、自分勝手な性格でした。




ですから、外での私を知る人には、家の中での私や家族の中の私なんて、全く想像つかない感じだったと思います。




今でも、その癖は治らず、外では人を押し除けてでもしゃべり続けるタイプであるのです。でも、家の中では、シンガポールでは、日本語が話せるのは、家族(夫や娘・息子)、親しい日本人の友人、あとは、日本人の子供の生徒達の日本人保護者さん達くらいです。




他の時は、学校のスタッフとも英語か?広東語か?華語になるので、面倒くさいからあまり、ペラペラと余計なおしゃべりはしません。




これは、私にとっては、日本にいる時と反対です。





職場や外の環境では、無口てか、外国人相手では、話を聞く方がメインになりますよ。日本語でないので、当たり前です。でも、日本人の方々には、悪口も言われた事もあります。




日本人の中だとうるさいほど喋るし、傍迷惑なのに、シンガポール人や外国人の中では英語も話せないから、静かだと…。何年いても、英語も話せないなんて。🤣🤣って、私を蔑む日本人の方々もいらっしゃいました。




昔はこんな事も気になって、落ち込んだりしましたが、いまは、シンガポール人とのコミケも、生半可、日本人にはできないだろうコミケスキルで、ちゃんとした、日本人がご存知の英語なんてできなくても、ちゃんとシングリッシュできますし、悪いけど、香港在住でもあるまいし、広東語が話せる日本人なんて、シンガポールではそんなにどころか?私だけかも?くらい自信ありますよ。



だってね、シンガポールの第二言語(母国語)のひとつは華語(北京語)ですよ。広東語ではないのです。全く違うのですよ。日本人には、たぶん、違いなんてわからないでしょ?私にはわかりますよ。




中川家の礼二さんが、中国人の物真似で、中国語らしく聞こえる言葉をつかって、笑いを誘うコントありますよね?あれは、あの音(発音)は、広東語の音ですよ。北京語の音でないのです。これが、わかるのも、シンガポールの日本人中では私だけ?爆笑爆笑爆笑



めちゃくちゃ、私の自慢ですわ、これっ!



https://youtu.be/QxO-lI8LKO0?si=JfTIo6Wz2LZTK1jO



これですよ。笑いますわ。でもね、礼二さん、すごいわ!全然、広東語としては、めちゃくちゃで全く通じないけど、広東語の音の特徴を確実に捉えているから、聞いているだけだと、ほんとに広東語かな?くらい、うまい、広東語の音の再現ですよ。



北京語は全く音が違います。



だから、私は人が私を英語もできないくせに…と揶揄しても平気です。私は、シンガポールで生きていく術は、日本人の中ではずば抜けてあると自負してますので、今は、自分に自信があるのです。



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私の日本語での喋りを、ポジティブな意味で捉えると、話し上手で、話題豊富、誰とでも(初対面の人)とでも物怖じせずに話ができるタイプです。




だから、英語もできないのに、シンガポール🇸🇬で暮らしていると、夫のおばあちゃんのおかげで、おばあちゃんとの毎日のコミケを通して、半年くらいで広東語は話せるようになりました。



英語も、シングリッシュは地元のコミュニティの中では常に飛び交っていたので、こちらも、半年くらいで話せるようになりました。



シンガポールでは、おしゃべりで、私の物怖じしない性格が、功を成したからだと思います。爆笑爆笑





しかも、これは、子供の頃から培った、私のコミケ能力の高さと順応性の高さだと思います。私のスペシャリティですよ。爆笑爆笑爆笑





しかしながら、日本の中では、聞き上手の方が、美徳とされる傾向なので、私のようなタイプは、学生時代に、人の話を聞かないと友達から指摘されると、だんだん、自分のコミケ能力について、自信がなくなり、控えるようにはなっていきますよ。




私もそうでした。これだから、私が20才代の頃、その事が、自分への自信喪失になった時期がありました。





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最後に、自分の容姿についても、現在、自信がある事を話しますね。爆笑爆笑 整形という話とは、ちゃうで!







私は、子供の頃から、母には、容姿について、良い事を言われた事などなかったのです。




でも、これは、私だけでなく、姉も妹も含めて、みんなです。爆笑爆笑爆笑




私の母からは、『うちの子供は3人3様にブスだ!』と、冗談とも、本気とも取れない言葉をよく言われて育ちました。




しかしながら、私が育った環境が、大阪人の家族てか、関西人の家族なので、オカンからの話は、笑い飛ばしたり、聞いてなかったり、ツッコミで切り返したり…という、明るい展開になりましたから、『3人3様にブスだ!』という母の言葉には、私は『そりゃ、生産者の問題で我々には罪はない!爆笑爆笑笑い泣き笑い泣き』と、ツッコミで切り返してましたから、明るい家族の話として、大阪の家族の中ではアルアルでしたわ。こんな話は…。




もちろん、みんなではないですよ。我が家では…という注釈はつきます。爆笑爆笑




容姿を親から褒められた事がないので、自分はブスなんだと思ってましたが、母からもよく言われたので、私は気にならなくなりました。





家族の中では、私だけがチビで、出っ歯(うさぎのような前歯が2本だけ大きく出ている)なので、特に、弟は、今でも、私のことを出っ歯とか呼ばれますわ。それも、何も気になりませんねん。爆笑爆笑



だって、夫は、それを可愛いと言ってくれてますし、別のこちらのよく会う教会関係の友人(男性)から、ずっと知ってる仲だけど、言われなければ、出っ歯である事に気がついていなかった…と言われたんですわ。



そうそう、よくよく考えてみたら、私は、確かに2本前歯は大きくて、外に少し反ってますが、出っ歯と言われるほどでもないかも?です。自分が長く気にしていただけかも?と、思えるようになると、これも、夫が言うように、可愛い😍私のスペシャリティかも?と思い、好きになりました。




しかしながら、弟は、相変わらず、私の事を姉とも呼ぶことはなく、時々、名前で呼びますが、多くの時に、私を出っ歯とか、歯ぁちゃんと呼びます。はぁちゃんなら、そう呼ばれる名前の人もいますよね?はるかちゃんとか、はなえちゃんとか…




弟は、親しき仲にも礼儀ありや年功序列をしらない、世間知らずで、頭でっかちの癖に…。学歴が高くても、人間性おかしいやろ?って、現代のアラフォーの典型みたいなタイプですわ。



でも、こんな弟にも良いところはあるし、なんやかんやいっても、母思いの優しい子ですねん。それから、いろいろ意味で、育った世代が違うので、私や姉とは思考回路が違っても、今の日本の世の中には、彼のような思考回路が必要で、それに気がつかせてもらえるので、私にとっては有難い存在ですわ。



それにね、彼をみてると、自分に自信を持つ事が大切だという事も、よくわかりました。この人、めちゃくちゃ、自信家ですわ。私からみると…。




それは、やっぱり、家族からは🦋蝶よ💐花よ…と褒め言葉尽くしで育てられて、両親の愛情はひとり占めで育ちました。




そして、家の事情もあり、若い頃からひとり暮らしをして、自分で稼いで生活してきた自負もあるのか?かなり、彼なりの苦労もしたんだと思います。それが、今は彼の自信に繋がってる事を感じる事があります。



ただ、やっぱり、末っ子長男なので、メンタルは弱いですわ。私や姉とは違い、打たれ弱い世代の人ですわ、彼は…。




人の自信というのは、子供の頃から養われる人もいたら、私のように大人、しかも、人生の終盤になってからという人もいると思います。



でも、いずれも、自分の周囲の環境や周囲の人からの影響で作られる物だと思いました。




また、人の事や人の言葉が気になるのは、自分に自信がない証拠だと、私は自分の体験からわかりました。



だから、今は私は、誰の事も気にならないし、人からの自分の評価も気にならなくなりました。




また、人と比べる事も…。




私は、今の自分が好きで、自分に自信があるので、とても、毎日が楽しく充実していて幸せな気分であるからだと思います。




人の事や人から言葉、また、人と自分を比べる事も、全て、自分の自信の無さの裏返しなんだと学習した事で、私は益々、これからの私の人生は楽しく生きられるような気持ちになるのでした。




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さて、今回のお話どうでしたか?




またまた、長文のお付き合い、最後までお読みいただき、ありがとうございました。😊🙏😍 私はいつも、みなさんに感謝しています。おねがいラブ




私は、正直、シンガポールに来て良かったと思っています。




私に自信をつけてくれたのは、シンガポールという土地と夫も含めて、シンガポール人の方々でした。




人間って、自分の事が好きならないと、人も好きになれないし、自分に自信をつけないと、幸せ感じ度は低くなる事も、わかったような気持ちになりました。さて、みなさんは、どう思われますか?




自分への自信の第一歩として、是非、あなたも、自分の事を好きになってくださいね。そうすると、だんだん、自分に自信が出てきますよ。



自分を好きになるために、自身の見た目を変えるのではなく、内面を変えて、そんな自分を好きになってくださいね。見た目を変えても、何年もそれが持続するわけでもないですし、心から変わらないとねっ!




それでは、今回はこの辺で。またの投稿をお楽しみに。😊🙏🙏