こんにちは。Bibako です。



私、自分の年齢から言うと、人生終盤に入ったことを実感しています。だって、私、アラカンの大台に入ってますからね…。








…というのも、少し前までは、同級生のご両親について、他界された…と言う話を、日本に帰って同級生の友人と会うと聞くものでした。でも、近年は、同級生その人であったり、元会社の同僚(元上司や後輩までも)まで、ちらほら、あちらへお引越しなさった方々もいらして、年々、その情報は、以前に比べると聞く機会が多くなりました。



とはいえ、まだ、アラカン?知らんけど…




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私が親しい日本人の先輩方々も、まだ、アラセブ(アラコキ?)ですからね。自身の人生を元気に、アラパチ(80歳前後)を迎える方々も、私の親しい先輩の方々の中にもおられます。




そんな先輩方々をみていると、人は人生の終盤ほど、人の事は気にせず、自分の事だけを見つめて、第一は自分が健康である事。




そして、なんでも、自分が好きな事をして、好きな物が食べられるのが1番☝️だなぁ〜と。








私は自身の母の最後の看取りができた事は、奇跡に近い事でした。でも、そこからも思ったのですが、人間が最後までできる事って、『食事』だなぁ〜って。



ペットの猫🐈も、私の家に居ますが、今の猫は二代目なんですが、初代の猫は、病気でわずか一歳半で亡くなりました。でも、この子の最後も、水も飲めなくなりました。




生き物がその命を維持するためには、やっぱり『食べる』という行為なんだと思いました。




だからね、私は今、自身は生きていて、なんでも食べられます。食べられるうちに、何でも食べて、飲んで、楽しみたいです。




そして、歯も🦷自分の歯であり、上下合わせて、ダメになった歯は2本。それは、クラウンで被せていても、元の歯がないのではありません。




ですから、クラウンの状態は、歯を全部失った状態ではありません。そして、1本だけインプラントなので、これは私の本物の歯ではありません。インプラントについては、良いんだ?悪いんだか?費用もめちゃくちゃ高いしね。シンガポールだと一本につき、3000-5000ドル(30-50万円)もするんです。しかも、シンガポールには国からの健康保険制度はありません。



CPFのMedisave が使えるとはいえ、これは、日本の保険制度のようなものでもないんです。市販の医療保険も、ほぼ、入院ベースなので、通院にはつかえません。ショボーンえーんショボーンえーんショボーン まぁ、こんな話はまたの機会にするとして…




話し戻して…




つまりね、私の場合、まだ、味もちゃんと感じられるし、食感も楽しめるし、固い物もまだ食べる事ができます。



若い人のように、体型を保ちたいがために、太ったからと、せっかく食べられる物でもたべなかったり、ダイエット食品やサプリで辛うじて健康は維持できて、その結果、痩せて綺麗になったとしても、それは、食べる事への冒涜かな?とまで思います。これは、あくまでも、私の主観ですが。




例え、自身の美しい見た目は、自分の努力で得たとしても、整形をしたとしても、見た目の美しさは、歳をとるとそれは、みんな維持できなくなりますから、永遠ではないと、私は思っています。




でも、食べる事は、人間誰もが最後の最後までできる、唯一の事ですから、私は大切に思います。




私の場合、確かに太ってしまい、体重は、コロナになった後、かなり増えました。








それが現在でも続いていたのですが、この度、先週の感染性胃腸炎で、嘔吐と下痢を繰り返しましたから、たった1週間で、合計、4キロの減量になり、ちょうど良い(いや、まだ、健康のためには、3キロくらいは減らさないといけないけど)良かったと思っています。



一応、病気は回復したのですが、食欲はもどっても、量がコロナ前のように、元に戻り、満腹感がでてきて、食べられなくなりました。






このまま、体重が維持できると良いので、頑張りたいと思います。実は、コロナ禍で急激に体重が増えてしまい、お医者さんからも健康維持のために、少し体重を落とした方が良いと、アドバイスされていたのですが、これで、やっと、お医者さんにも顔向けできるようになりました。爆笑爆笑




私にとって、1番の終活は、健康維持です。この歳になると、健康のありがたさがよくわかるようになりました。




仕事でも、身体が元気であってこそです。また、日本への一時帰国や海外旅行(シンガポールでは国内旅行はありません、全て旅行は海外旅行です)のためにも、健康でなければなりません。




私はこの歳までに、大きな手術は一回、あとは、肝臓結石(胆石)の手術をして、石を取り出しましたが、それくらいです。



でも、医療費が高いシンガポールでは、この二つの手術も、2つで、日本円にすると500万円以上かかっています。(保険料がバカ高い医療保険を購入してますので、ほぼカバーできましたが、持ち出しももちろんありました。)




これも、保険料が払えるのは、仕事がまだあるからです。保険料が払えなくなったら、どうなるのですかね?私…。知らんけど。




それから、シンガポールでは、近年、散骨が政府から認められるように、(所得制限的な条件はいくつかあるようですが)、なりました。




私も夫も、もともとはお墓の購入を考えいたのですが(散骨がシンガポールのルールで禁止されていたと聞いたので)、近年ルールが変わって、散骨が認められたので、私も夫も散骨希望と書類申請しておこうと思います。お墓を持つと、やっぱり、子供への負担になるので嫌ですから。




ただ、日本の実家は、父が建てたお墓だけが、私達家族の真の資産になりました。他は何も残らなかったので、私が墓守りをするわけではないのですが、一時帰国したときに、父と母のお骨が納めてある、伊丹空港の近くにある、実家のお墓にいく事が、私の心の安らぎにもなりますから、あって良かったとは思いますが。おねがいおねがい 




私の子供達はシンガポール人なので、考え方がすごく合理的なので、たぶん、親のお墓なんて、あっても邪魔だろうし、面倒なので持って欲しくはないと思うと、私は思います。爆笑爆笑爆笑




私の終活は、こんな感じです。あとは、子供達への財産分与ですが…




特に我が家は、子供に相続させる資産もないですし、あるのは、HDBの家だけです。




これは、夫や私が死んだら、子供で分けてもらうといいので、自動的に子供が折半できるようにはなると思います。シンガポールには、相続税もないので、子供達は丸々、家を処分したお金を分けることはできると考えます。




私、考え方が古くて、娘は家を出る身なので、自分の夫になる人に、お金も含めて幸せしてもらうと良いと考えていて、息子は男なので、やっぱり、奥さんに馬鹿にされるとよくないと思い、息子に全部あげようと考えていたら、娘からの抗議がありました。




娘の言い分に聞くと、確かにな…と納得したので、やっぱり、2人しかいない子供達が、しょーもない揉め事になるのは、良く無いと思いました。




しかしながら、お金が絡むと兄弟で喧嘩になるというのは、自分も経験してますが、どこの家でも、親が生前にきちんとしてあげておかないと、争い事に発展するのは、日本でもシンガポールでも、アルアルです。




娘からの話をきいて、やっぱり争いは避けてあげた方が良いと考えたので、ちゃんと書面で残さないといけないと思いました。





でも、うちの財産的なものは、家しかなく、HDBです。私の家は、夫と私の共同名義なので、財産分与については、2人でHDBの事務所にいって、遺言的にちゃんと書類を作ると良いらしいです。友人から聞きました。




親のHDBについては、親から子供への相続に関しては、コンドや一軒家は自分で弁護士に探して、遺言状を親が書く必要があるのですが、HDBの場合、弁護士費用は要らないので、事務所にいって書類を書くだけて良いそうです。本当に、HDBは庶民の味方やなぁ〜。




このブログを読んでいる方々の年齢層で、1番多いのが40歳代でしたから、まだ、両親はご健在の方々も多いのかも?ですが、私のようなアラカンになると、友人も含めて、ご両親共に健在という人は、私の周辺にはいなくなりました。どちらかが他界されてるか?或いは、両親共に他界されたか?という感じです。




そこで我が実家もそうでしたが、親がなくなる度に、親の資産の相続やその他のお金の事で、兄弟が揉めるのです。




それをみんな経験して、自身の子供には同じ思いをさせたくない!ってことで、私も含めてですが、友人達は、我々世代からどんどん、今からの終活として、子供がいる人も、子供がいないご夫婦や、シングルの方々も含めて、自身の財産については、自分の死後どうするか?という事について、それぞれ、遺言的な物の制作をしている方々が増えました。




これって、終活においては、大切な事だと、財産なんてほとんどない私でも、感じました。




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さて、具体的な終活の話はこれくらいですが、私は最近、自分の人生を振り返る事が多くなりました。







何故か?家の断捨離もしたくなってるのですが、これはなかなか、進まないですわ…。




もともと、家の整理は定期的にはしていても、物を貯める癖があって、なかなか、捨てられないので、息子にいつも叱られるんです。これは、ボチボチするとしても、自分の人生の振り返りは、最近良くしています。




ブログを書いているのも、そんな意味も私にはあります。




私は、自分の生き様を、本当は本にしたいと考えた時期がありました。でも、何をどこから書いて良いものやら?わからず、手付かずになっていました。



すると、ブログって、その時、その時に自分の事は書くので、よくよく考えると、自分の生い立ちから今、こうしてシンガポールで生きていて、これまでも、いろんな事があった事を、その時に思い出して書いています。




これも、いつまで続けるのか?は、まだ、決めていませんが、最終的なところは、自分の生きた証として、それまでのブログ記事は全て整理して削除し、自分の事や、家族の事を書いた物だけを残してそれ以外のブログ記事は、全部残さずに捨てる事を決意しています。




そして、残したものは、自身の自叙伝のような感じで、私の子供にプレゼントしたいと思っています。




私は、自分で書いたブログを、自分の生き様の証として、子供達に残そうかな?と、思い始めて、これも良い就活の一部だなと感じています。




だから、どんなトラブルがおこっても、ブログは辞めたくないのですが、もし、ブログをやめざるを得なくなってしまう事があったら、今度は、自分のノートを購入して、そこに書き残すことにしようと思います。これは、誰にも止めることなどできません。




私が書く事は、私は一生を通じて私ができる事ですから、頭がボケて書けなくなるまで、ずっと、今のブログのように、思う事をノートにも書き続けようと思っています。その際は、ブログ整理と同じく、初めからノートを分けて、最後は、自分の事や家族の事以外の物は、子供に処分してもらう事にします。




ここにだと、誰にも邪魔される事なく、自分の本音がたくさんかけるので良いかも?です。ただ、人に共有できなくなるのは、情報発信できないという意味では、人のお役には立てないですが…。ショボーンえーんショボーンえーん




私は、ブログも自身の終活の一部として、続ける事には、自分なりの意味もあるのでした。




それは、私が家族それぞれに対して、どんな風に思っていたのか?また、自分の生き様はどんなだったかと、幸い、私の子供達は日本語が読めるので、残してあげたい、いや、自己満足にしかすぎませんが、私が生きた証として、私のブログを子供への置き土産として、プレゼントしようと考えています。




だから、ブログも私の終活の一部です。




私がいろいろブログでトラブルがあっても、ブログを辞めたく無い理由は、ここにもあって、ブログは私の生きた証を自分の後世に伝えるのに、役に立つかな?と思いました。




それは、母と父が、母は病気になってから、父は母が亡くなってから、それぞれ手記を自分のノートに書いて残してくれていました。




これは、姉も弟も妹も何も興味なかったようで、見向きもしていなかったので、私が父と母の形見として、もらってシンガポールの家に保管しています。




両親は、それぞれ、手記を残してくれたので、亡くなってからそれをしっかりと読むと、私達、子供の事をこんなも愛していたのか?とか、それぞれの生き様や考えなども何となくわかるような物でした。だから、私も、自分の子供達にブログを残して(私が病気にふせるまで)おくと良いかな?と思いました。




でも、ブログには、私の思いとともに、それぞれ子供達の事、夫の事を赤裸々に書いているので、読んだら、子供は腹立つところもいっぱいあるのかも?ですが、その時既に遅しで、私はあちらへお引越ししてますから、後は、どうにでもしてくれ!と、いう感じです。爆笑爆笑爆笑






驚き‼️の事実発見💡って、子供達も、自分の事が赤裸々に母によって書いてあるので、もしかしたら、腹を立てて慌てるかも?爆笑爆笑爆笑 知らんけど…。でも、良い事もいっぱい書いてるので、全部読んだら、許してくれるかも?こちらも、知らんけど…。爆笑爆笑爆笑




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私はよくよく考えてみると、シンガポール🇸🇬が自分の人生をよくしてくれたような気持ちになります。



夫とも話していたのですが、我々世代(1950-1969年)くらいに生まれた人が、日本人もシンガポール人も、国の1番良い時代を生きてるなぁ〜と感じると。



私の場合は、昭和30年代の生まれで、戦争が終わってからも15-20年経ってから生まれましたから、物が豊富な時代に生まれています。



そして、私の場合は、両親が揃っていて、兄弟もいて、家の中には家族の愛情もあって、親からは、普通にどこの家の子供とも変わらない躾を受けて、学もつけさせてもらって、大人へと育ててもらいました。家にはお金もそこそこあった事から、何も不自由がない暮らしをしていました。



もちろん、その頃の私は、これが当たり前だと思って生きてきたので、親に対する感謝や自分は恵まれていたことも、何も感じることなく過ごしていました。



また、娘時代には(1980年代から1990年)は日本は好景気に見舞われて、バブル期を経験しました。




みんなお金持ちで、小娘の私ですら、お金をたくさん持っていました。また、私は自宅暮らしでしたから、そんなお金も全て、自分のためだけに使い、暮らしていたので、かなり、派手な生活をして、遊んでいました。




その頃の街中でも、女の子は、男の子を侍らせて、彼氏以外に、アッシーくん(車持ち)、メッシーくん(お金持ちでご飯を奢ってくれる)、貢くん(女の子を自分の財力で釣ろうとして、いくらでもプレゼントをしてくれる)と使い分けをしていたのは、世の中の風潮でした。




でも、男の子も馬鹿ではないので、アッシーくん、メッシーくん、貢くん達のその目的は、女の子の身体だけであり、本当に好きなわけでもないという、わけがわからない、男女関係もありました。でも、そんな中でも、当時の若者達(私の娘時代)は、男女とも、若者が活気付いて、楽しく過ごせたのだと思います。



でも、それ以降に生まれた世代から年々雲行きは怪しくなり、昭和50年以降生まれ、平成10年生まれ(1975年から1999年)の場合、日本人だと、日本経済が低迷し、日本の貧しい時代の中で、学生時代や青春期を過ごしていた事が伺えます。



みんな若くても、財布の紐は硬く、お金の執着心は強く、嫌な言い方をすると、特に、男性がケチ!女性にお金を出してもらう事も、恥ずかしいという意識などこれっぽっちもなく、あわよくば、女性に養ってもらいたいという感じのヒモ体質の男性も、珍しくなくなったのかも?でした。



男女関係でも、デート費用、ホテル代までも割り勘は当たり前、女性は、結婚しても、生活のための共働きも当たり前…という、我々世代からは、ちょっと、男性として恥ずかしくないのかな?って事が常識になってしまったように、私には見えました。



私は女性天国のような時代で、男性が女性にお金を出して当たり前。女性にお金の支払いをさせるのは、男性として恥ずかしいという、とても、良い時代でしたわ…。



それでね、私、シンガポールに来て得したのは、シンガポールってね、80年代の日本がバブル期の時は、まだ発展途上の東南アジアの貧しさが残る時代でした。そして、私が嫁に来た90年代初期には、まだ、そんな雰囲気もありましたが、2000年からはガラリと国が変わって、日本のバブル期のように、どんどん、経済がよくなって、国民もお金を持つようになったのでした。



するとね、私が夫にあったときも、夫はデート費用は全部負担してくれて、結婚前に2人で旅行にいったときも、全部パパが、私の分まで当たり前のように支払ってくれました



男性が女性にお金をはらって当たり前の時代は、日本では過去のことになっていく時代のとき、シンガポールでは、男性が女性にお金を払うのが当たり前の時代になったことで、私は、人生で二度もそんな時代を体験したのです。









そして、私がここに来たその頃、シンガポール人もブランド物を持つようになり、ビトンバックやフェラガモの靴、エルメスのスカーフ、シャネルやディオールなどの高級ブランド品を持つ人もボチボチ出てきたところでした。




日本は反対に、高級ブランド品が売れなくなっていった時代に突入していたので、私は日本でもシンガポールでも、高級ブランド品は、自分で買うのではなく、男の子(男性)からプレゼント🎁されるのは、普通だという時代を、二度も経験したのでしたわ。爆笑爆笑爆笑



なんて、お得な人生なんですかね?私…。






でもね、私の娘は、平成生まれ1桁(1990年半ば)です。




するとね、日本でもシンガポールでも、娘の時代は同じく、男女関係でも、割り勘当たり前の時代になっています。





シンガポールはスタートが日本よりも遅くでも、その追いつき度が早いので、娘の場合、結果的には、日本で生まれても、シンガポールで生まれても、同じような時代背景で育っているということになりますね。




あぁーお気の毒…爆笑爆笑爆笑






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やっぱり、私って、めちゃくちゃ恵まれた人生送ってますよね?



私は、ホンマに、シンガポールにきてからは、自分に自信も持てるようになりましたし、自分が好きになって、自己肯定感も満足感もできました。



もし、ずっと日本にいたら、たぶん、今でも自分に自信もなく、自己肯定感もなく、結婚しても、自分の子供に自分の果たせなかった夢を託す的な意味で、子供に過干渉な親になっていたかも?です。




私はシンガポールで、自分に自信ができた事から、子供のする事も気にならなくなり、子供がしたいように、生きたいように生きて、もし、それに失敗したら、手を差し伸べて助けてあげる準備だけしておけば良い…という考えになったことが、私の子育ての成功に繋がった思います。




私は、自分の人生に悔い無しって、今の時点でもいえるのです。本当に、自分の感覚でしかないけど、私は、今、本当に幸せなんですよ。




困った事や気になる事はもちろんあって、そんな時は落ち込んでいる時もありますが、自分の人生にも自信があるので、私にとっての悪い事は、私には起きない!って、根拠がない自信があるのです。神様からも守ってもらってるという自信もあるのです。




だからね、最近は、特に、何か私に起こっても、その時だけの焦りや心配で、あとは、それも感じないくらい、何も気にならないようになりました。




特に、それが目に見えて解決しているわけではなくても、結果的に、何が起こっても、私にとっては悪い事でなく、何か人から見ると、私に悪い事が起こった見えたとしても、それは、神様から私への何かの意味があり、最終結果としては、これが、私の幸せに繋がる事でしかない!と、思えるのです。




例えば、私が道で転んで、膝から血🩸を出して、人から見るとかなり、痛そうで辛そうに見えても、実際には、膝から血🩸が出るくらいでは済まない怪我を負ったかもしれない状況だったけど、自然に、私が転んだことで、怪我が最小限になったという、不幸中の幸い的な事です。




私の近年の悩みやトラブルは、いつも、最終的なところでは、こんな事がいつも起こるのです。それは、私の手には負えない事は、私は、全て神様にお任せしているからです。だから、いつも、不幸中の幸いは私に降り注いでくれるのです。それを、私は信じて止まないわけです。爆笑爆笑




しかも、私は、それを大なり小なり、何度も経験してきてるので、もう、今は何が起こっても、動じることはないのかも?しれません。




これが、私の神様がいう、『leave it』(全てを、自身が信じる神様に預けて祈り、自身が思い煩う事は捨てて、神様に任せて放置せよ!)という意味なんですよ。




まぁ、私の人生、今はもう、終盤ですが、本当のところ、何も思い残す事は、今の時点でも私にはないのですよ。




なんと幸せな人なんですかね?私…






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さて、今回も最後までお読み頂きありがとうございました。私はいつも、みなさんに感謝しています。




私には、今も悩み事や気にかかる事は、日々あります。でも、何も思い煩うことはなくなりました。そして、ノー天気に過ごせるようにもなりました。




私の人生は、長くてもあと20年は無いような気持ちがします。早ければ、10年も無いのかも?しれません。知らんけど。




それは、私はこの歳になると、人の死について、大切な人との別れ(両親)を通して、とても、考えるようになり、自身の身近な事として、感じるようにもなったからでした。いつ死んでも、不思議は無い歳になったのです。私は…。




だから余計に、変な事に(思い煩う事)に、私の大切な時間を使うのは勿体無いですからね。爆笑爆笑




まずは、毎日のご飯が美味しく食べられるように、健康である事だけに焦点を当てて、生きていこうって、思いました。




では、今回もこの辺で。またの投稿をお楽しみに。