こんにちは。Bibako です。



あはは😆🤣🤣😆(なんやねん?いきなり笑ろて!ムキームキー)




いやいや…ごめんなさい🙏🙇‍♀️ ついつい、自分の事やな!って思いましてん、これっ!



長文を書く人は自分勝手で、人の事を考える事なく、自己主張が激しい性格の人が多い…




こんな心理学の分析結果を目にして、『あっ!それ、あたしやん!』って思った次第ですわっ。困ったもんですわ…😅😅











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しかも、2021年の真子さんとの結婚の時、問題になっていた、小室さんのお母さんの金銭トラブルについて、その解決?に向けて説明した、文書『小室文書(28枚の言い訳文)』を書いた、小室さんへの専門家の評価も、一般人からの評価も、酷評であった事、皆さんの記憶に新しいと思います。




小室文書は、全てが上から目線のわかりにくい文章であり、長文をこんな形で使って、トラブルの説明責任をしてくる事は、何も我々に対しても、その責任を果たしたとは言えないと私も思いました。




また、被害者であられるはずのお相手を更に非難するような感じの内容も気になり、自分達がまるで被害者であるかのような言い回しにも、自分の母の擁護というよりも、自分達は全く悪くないという感じで、相手に対する配慮が全く感じられない文書に仕上がっていたように、私も記憶しています。




しかも、これは、小室さんの自己満足であり、自身の知識のひけらかしであり、被害者に対する思いやりもなく、加害者であるはずの小室さんのお母さんの被害者意識が強く、400万円は借りたお金ではなく、被害者から貰ったお金だいう主張とともに、自分達には、返済の意志も義務もない的に、小室さんの小室さん側の一方的な正当性を主張する形自分勝手な文書にすぎないと言うものでした。




その会見から、何故だかすぐに一転して、真子さんと結婚してNYへ飛び立つ直前に、お金を返した展開になった事もおかしな話でした。




何も反省は感じられず、『めんどくさい』と言わんばかりの態度であった事は事実だと感じました。




そして、相手と面会した小室さんは、被害者の方に対しては「悲しい」と言う話だけを一方的にして、お金をたたき返す的な態度であった事を、私は記憶しており、そのお金の出どころも、真子さんからだということがバレてしまいました。




しかし、この時は、まだ、真子さんは皇族であり、この人のお金🟰国民の税金なので、日本国民はいち同じ国民である小室さんの借金400万円を援助した形になってますよね?




私は、当時、これはどうか?と思いましたが…?しかし、もう、終わった事なので、その話は今回はやめときます。




とにかく、あの時の小室文書は、いろんな意味で、酷い仕上がりであったように、私も世間同様の思いがありました。




ところがぁ〜びっくりびっくり



私、思い出したんですよぉ〜。




小室文書ならぬ、Bibako 文書を、もう、10年程前に、ある日本人の保護者さんに出したてか、お子さんの懇談の資料として、渡した記憶があるんです。









いや、事実ですねん。




それっ!って、あの小室さんは28枚私は17枚、A4サイズで書き上げてしまいました。ショボーンえーんショボーンてへぺろえーんえーん



今から考えても、



やっちまっただぁー!でした。








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どんな話か?は、個人のプライバシーに関わるので、詳しく話せませんが、私の教え子であったお子さんの発達障害に関わる話でした。




そして、懇談会の時、いつもなら、お母さんがお越しになるのに、たまたま、その時は、お母さんがお仕事の都合で来られなくなられて、お父さんが代わりに初参加されたのでした。




私は『Bibako文章』をお渡しする前に、お子さんの言いにくい話をしなければならず、とりあえずは、言葉を選んで、やんわりとお父さんに話したつもりでした。




それから、その根拠となる理由を書いた、『Bibako 文書』を、お父さんに手渡したのでした。









でもね、私、これを生半可な気持ちでかいたのではありませんでした。




ちゃんと、そのお子さんの観察期間も、じっくりと2年ほどかけましたし、日々の観察も含めて、寝ても覚めても…という感じの日々を当時は過ごしました。




また、発達障害という言葉は、私が学生時代や社会人の初め(1980年代)にはありませんでした。




それが一般的になったのも、2000年を過ぎてからでしたから、独学で私は勉強しました。




そして、そんなお子さん達への対応も勉強して、仕事の中で、即実戦的にしていきました。




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それから、幸か?不幸か?、ちょうどその頃、立て続けに、私の教えの子の中に、ADHDやアスペルガー、LD(学習障害)などの発達障害が疑われる、日本人のお子さん達が学校の中におりました。




しかしながら、私は他の保護者さんとは、日々の中でコミケも良かったので、ここまでの文書は必要とせず、懇談の時も、口頭と簡単なA4サイズ1-2枚の見解と今後の指導についてまとめた物を渡すと、みなさん、それに目を通されて、それから納得されて、ご家庭毎に、その対策に向けて、専門家と共に歩みを進められる事になり、私の役目は終わりました。




しかしながら、この子の保護者さんだけは、共働きでしたので、なかなか、日々、お会いできるチャンスがなく、他のお子さん達よりも、話す内容も必然的に多くなりました。それで、Bibako文書に踏み切ったのでした。








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私は自閉症やダウン症のお子さんで、知能障害を併発しているお子さんのサポートは、若い頃にはした事がありました。




障害を持つお子さんに携わったのは、たったそれだけの経験しかなく、あとは、ずっと、教職からも遠のいていたので、学生の頃に学んだ障害児教育』については、すっかり忘れていて、私の記憶からは遠のいておりました。




ですから、私は、もう一度学生に戻ったつもりで、日々、勉強を重ねる努力を一生懸命しました。




そして、かき上げたのが、A 4サイズで17ページのBibako 文書でした。それは、何ヶ月もかけて、書いては書き直しを何度も繰り返し、最終的なところまで持っていくためにも、誠心誠意を込めて、丁寧に書いたつもりでした。





でも、結果的には私の独りよがりで、相手に対する配慮もたりなかったようでした。さらには、長すぎたので、読む気力も失せたのかも?しれません。




その事で、私のこの文書は、お父さんとのトラブルの起因になったので、何年か前に削除しました。



それを読み返す事が今はできませんが、振り返って思うと、やっぱり、私が勉強した事の知識ばかりが先行して、実践が伴なっていなかった事やお父さんと私の関係性も全然築かれていなかった事で、たぶん、信用されておらず、私からの一方的な話として捉えられて、更には、保護者さんへの配慮は、あまりされていなかったに違いありませんでした。






今となっては、私の仕事上の汚点ですね…。えーんえーんえーん



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ところが、当時、私はその懇談の時、自分の文書の内容は棚に上がり、とても社会人だと思えないお父さんの態度に怒り💢すらも覚えました。



それは、お父さん、私の話を少しだけしか聞かないうちに、怒ってその場を去られたからでした。




お父さんの言い分は『うちの子供を軽蔑して、学校側は、その特別な別枠にはめたいのか?』的に誤解されて、自分勝手に憤慨されてしまわれました。




そして、例のBibako文書は、初めの1ページだけ見ただけで、あとは辞めて閉じてしまわれて、そのまま、何も言わずに立ち上がり『不愉快だ!』と、言わんばかりに、懇談が始まって5分するかしないかくらいで、私を教室に残し、文書は持ち帰られました。




私は、こんな態度をとる社会人(お父さんは当時30歳代)にお会いした事がなかったので、社会人の大先輩(私は当時50歳代)として、礼儀が全くないお父さんを注意したように、記憶しています。




私は即座に、お父さんの携帯のメールにて、無礼な態度について苦情を入れて、お子さんの学校の先生としてではなく、社会人の先輩として、そのお父さんに社会人の礼儀を説いて、お父さんの今の言動はお改めになられるようにと、お伝えした事を覚えています。




お父さんからの返信はなかったのですが、奥さん(お母さん)と共有なさったのか?すぐに、お母さんから私への謝罪のお電話をいただきました。




それも、今から思うと、私はしなくても良くなかったと思いますが…。😅😅




お母さんは、懇談に於けるご主人の態度を本当に申し訳なく思ったらしく、丁重に謝罪なさったので、『私も、大変申し訳ありませんでした』と、自分がお父さんを、社会人の先輩として叱責したことを、出過ぎた態度だと考えて、素直に自身の態度を謝りました。




その後、お母さんが改めて学校へお越しなったとき、私は丁寧にお子さんの状況をお話しすると、お母さんは目に涙を浮かべておられて、ショックは隠せないご様子でした。




しかしながら、私は専門家では無い事をお伝えして、これはあくまでも、私の教師としての経験上の見解であり、お子さんについては、ご家庭でよく観察なさって、もし、私の意見に納得していただけるようであれば、専門家のアドバイスを受けられる事をお勧めしますと伝えました。




現在は、その子も中学生になり、たぶん、ご両親も私が言った事は間違ってはいなかった事は、納得できたのでしょう。




私との懇談のあと、しばらくしてから、お子さんを連れて専門家のカウンセリングをお受けになったようでした。そして、そこから約1年経ってから、シンガポールを去られて、お父さんのお仕事で、アメリカへ移動なさいました。




シンガポールでの学校最後の日は、お父さんも私にも、きちんとご挨拶してくださいましたので、もう、わだかまりは、お父さんの中でもなくなっていたように感じました。今思うと、お父さんにも感謝しなければなりません。




そして、そのお子さんは、現在は、私がお見受けするところ、その子が本来持っている頭の良さが、充分に発揮されて、学校や生活にも活かされて、その子自身が伸び伸びと過ごせているようでした。




日本の中でも、難しいレベルの進学校である日本の私立中学受験にも成功して、ご両親もお喜びでしたし、お母さんとは現在も繋がっています。




発達障害は、私の経験からの見解は、知能障害が伴っていなくて軽度であれば(こんなお子さんが現在の日本には大変多い)、特定の人としかコミュニケーションが上手くできない人が嫌いな性格だというだけの事ですから、普段の生活自体には、何も支障などないと考えます。




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私が発達障害と向き合ったのは、自分の娘が初めてでした。




私は、仕事で向き合う事はなくても、自分の娘と長年(今も)向き合っていたので、仕事では、発達障害を疑われる(私の中で)お子さん達の様子は、それを見極める、観察する目を持って、本当にそうなのか?どうか?は、充分に観察した後、自身で確信を持って判断をしていたと思います。




仕事でそれにむきあったのは、10年ほど前からになりますが、私はそれ以前には、家庭の中では、娘が生まれた直後から、娘の育ててにくさを悪戦苦闘をして、学習して、最終的なところは、娘と素直に向き合う事で、娘の発達障害は、私と娘の2人で分かち合って、それを乗り越えてきました。




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現在はアラサーの娘は、娘が小五の時に、ADHDのグレーと睡眠障害の診断を受けた事があります。




しかし、私が娘に診断を受けさせたのは、それが不安であったのではなく、私が娘の事を把握して寄り添う事をしなければ、誰が娘を守るのか?という意味で、確定したかっただけの事でした。




もし、世間では、誰も娘の事がわからなくても、私が娘の良き理解者になり、私がこの子を守ってあげようと考えました。




そして、発達障害を、本人にも自覚させる事で、将来的に、私がいなくなっても、娘が自分の事を把握して、自分でもコントロールして、社会の中で自分らしく生きていけるようにしてあげようと、思ったからでした。




だから、結果を聞いて、やっぱりそうかと、ホッとした事が事実でした。




精神科のカウンセリングは、特に子供は、シンガポールでは、当時は、それをしてくれるお医者さんが、病院の中には、なかなかおりませんでした。自分で病院の外で見つける事しかありませんでした。




当時シンガポールでは、とりあえずは、子供の発達障害を確定できても、その後のケアは、自分で、子供の精神をケアしてくださる専門家を見つけないとなりませんでした。




だから、私は日本に帰った時、専門医の診察を一度だけ娘に受けさせて、その先生と相談して、シンガポールでは、どんな事ができるか?模索しました。



シンガポールの医療技術は、2000年を境に、ぐんと上がりました。今では、世界屈指の難しい病気でも、治す事ができるお医者さんも、シンガポールにはいらっしゃるそうです。でも、医療費は大変高く『金がないやつは◯ね!💀』は、世界各国での医療の合言葉なのかも?しれません。



それだけ、日本の国からの健康保険制度は、世界で1番充実してるのではないか?と、私は、日本中で暮らす日本人は、歳をとってからの医療費も、普段の医療費も、とても恵まれていると感じます。




そんな話は横に置いて…




現在は、シンガポールでも子供でも、精神科のカウンセリングは専門病院で受ける事ができるそうです。2010年以降は、教育も、医療もなんでも、シンガポールは世界の中でもその発展の速さと内容の良さは、世界に誇れるのでは?と自他共に認められるように感じます。



それは、シンガポールは、世界の中でも、類をみないくらい、成功しているIT社会の宝物ではないか?と私は思います。ただし、その恩恵を受けられる国民は、充分なお金を持っている国民に限られる!という『但し書き』は必要ですが…ショボーンえーんショボーンえーん




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私の娘の発達障害は、近所のかかりつけのお医者さんのお力添えもあり、赤髭先生が娘と寄り添ってくれました。そして、現在は、娘は自分でも上手く自分の特別な性格と向き合った、自分に合った生活を送っており、仕事も彼氏も友達もゲットし、幸せだと私は感じています。私の役割は、娘に対して、もう既に終わりました。




私は、Bibako文書を書いた時も、決して、いい加減な気持ちで発達障害のお子さんと向き合ったのではないです。




そして、私も我が子がそうなので、いろいろな意味でその経験者だから、同じ境遇の保護者さん達と一緒に子供の事を考えたり、親御さん達の不安な気持ちに寄り添うことができると、自負してしまい、当時は、下手な文章で読みづらい、長い文書を書いてしまった事が事実だと感じます。




その頃は、まだ、ブログをしていません。長い文章の方は、ブログを始めてから、徐々に、読みやすい文章には改善されてきたようも感じます。まだまだ、改善すべき事はたくさんありますが、少しずつ、努力している最中です。




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私の場合、実際のところ、普段の生活の中でも、自分が言いたい事や自分の意見が多すぎるので、おしゃべりになり、話も長くなって、話し出すと止まらない事や、人の話を聞くのが苦手という、欠点があります。




長文になりがちなブログも、私が言いたい事や考えている事が多すぎて、文章全体のまとまりが悪いかったり、話がとんでしまったりする事も多くあると考えます。




自分の文章の下手さは、自分も感じるところで、ブログを書き始めてから3年間くらいは、試行錯誤の繰り返しでした。最近は、どこがいけないのか?どこが読みづらいのか?など、自身で考えて、そこを改善できるようにはなりました。




でも、まだまだ、私のブログは、読みにくい文章でしかも、長文なのでめんどくさいブログだと思いますよ…。ショボーンえーんショボーンえーん




ただ、それでも、こうして、いつもお読みいただける方々に感謝している気持ちは、嘘ではないのです。本当に、いつもありがとうございます。これからも、みなさんのお力をお借りして、読みやすい文章を学習して、もっと、改善していきたいと考えます。



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さて、私は、いろんな出来事や自分の事をブログに書くのは良しとしても、ブログを始めた当初から、ブログには、なんでも書いても良い的に勘違いしてしまい、他人の事まで書いてしまった事は、決して、私としては、人の悪口のつもりではなかったにしろ、良くなかったと思います。








ですから、それをお読みなり、もしかして自分の事?とか、もしかして、自分の知り合いの事?という不信感や不安をもった方々も、実際には、おられました。




また、実際のご本人から、削除して欲しいと言う要求を受けた事もありました。どこでご本人の目に触れたのか?また、私はハンドルネームなので、本名は公開してません。



Bibako という、ハンドルネームも、私は何の理由もなく、なんとなく思い浮かんで勝手につけたのですが、世間では、同じ名前の実在の方や同じ名前のニックネーム持つ方もおられるようでした。エゴサーチ的に『Bibako』や『自分の本名』を、ググってみると、意外にもたくさんいらっしゃるのでした。




でも、Bibako という人が、人の事を書いてしまうと、何故か?ご本人の目に触れたり、ご本人から直接抗議されたりもする事がありました。




もちろん、その要望に対しては、ご本人からの場合は、ご本人の要求に応える形で、自主削除した記事や限定記事にした事も過去にはありました。



それから、人の事でも、日本の公人の話であっても、TVではお馴染みの皇族や971庁の方々の話を本名で書いていたら、アメブロのAI が反応して、勝手に削除された記事も過去にはありました。



やっぱり、ブログは、人の事は書いてはならない事を、今更ながらに、学習しています。







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私のブログでは、自身の事は、赤裸々にノンフィクション状態で、ほぼほぼ、真実を書いています。ほぼほぼ…というのも、嘘を書いているのではなく、古い話になると、自分の記憶が曖昧で、もしかしたら、私の頭に残っている事が、事実は少し違うかも?と言うだけの事です。



でも自分の中では、真実のみを書いているつもりなんです。何故?それをするのか?は、私は人助けのつもりなんですよ。




私が特に苦しかった事や悲しかった事、また、家族の事も、よくないところや変わった経験を赤裸々に、ノンフィクションの形で書くと、同じような経験をした方々にとっては、少し、救いになるかも?と考えているからです。



自分だけが悲しい経験をしてるのではなく、自分だけが辛いわけでもなく、Bibako の方は悲惨やなっ!とか、Bibako の方が恥ずかしいなっ!と、人から思ってもらえると、その人の気持ちが明るく前向きになりませんか?




そんな気持ちで、私は自分や自分の家族の事を赤裸々に書くのです。



だってね、私、もうアラカンてか、シニアと呼ばれる歳になりましたからね、ここらで、人のお役に立つ事をして、普通に人に笑ってもらったり、人から、自分はBibako よりも少しマシやなって、思ってもらえると私は人のお役に立っているかも?と感じる事が、自分が幸せを感じるという仕組みですわ…。




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私のブログ活動は、自分が持つたくさんのエネルギー(プラス➕もマイナス➖も)発散させるために書いてる事も事実です。




私はそんなに目立つタイプでは無いし、人から注目されるのが嫌いなタイプです。でも、内輪では結構、うるさく目立つので、ついつい、ふざけてしまったり、話出すと、止まらなくなったりするのでした。




そして、2015年くらいから、友人関係になった、私が尊敬する、シンガポールでの日本人の友人(年上の方)が、私と同じく、身体の中に、たくさんのエネルギーを持っていて、それを外へ向けて発散するタイプなんです。




その人に、私(Bibako)と話していると、自分(Bibako)の話ばかり聞かされて、聞くのに疲れてしまうと言われたことがありました。




その方の言い分としては、私(友人)は自分が話たいのに、あなた(Bibako)と会うと、私が不完全燃焼を起こしてしまう事もあるんよ!わかるっ?と訴えられました。




私はとても驚いたのですが、亡くなった父の教訓でもある




自分の悪いところを面と向かって言ってくれる人は大切にしなさい。




この言葉通り、私は彼女の事がそれ以来、もっと、好きになりました。そして、もっと尊敬できるようになりました。




私がひとりで喋りすぎる事は、今でも良くあります。だから、気をつけるようにはしていますが、なかなか、治らないのですよ…ショボーンえーんショボーンえーん




そもそも、何故?私は外でおしゃべりになったのか?また、グループだと余計にひとりで喋ってしまうのか?




それは、私なりの人への気遣いから始まっているのでした。その場が盛り上がらないのが気になり、人があまり話さないなら、私が話そうという事で、話し始めるのですが、それが止まらなくなるのです。




私は、親切心から話を始めるのに、すぐに、調子に乗り、今度は迷惑な人へと変化していくのでした。











しかしながら、今更なんですが、私のおしゃべりがあまりにも多くなると、周囲の方々の顔や態度にも出るので、私は『ハッ😦😳』と、気がつき謝罪🙇‍♀️🙇‍♀️して、自制する事を現在は学習して、それを実行するようには心掛けています。




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こんな私なので、実際の生活の中で(シンガポールで)私が知らない?いや、以前に知り合いだったに違いない日本人から、悪口を言われる事も無いわけではありません。




実際に、最近もありましたよ。爆笑爆笑爆笑




人からの悪口って、何故か?面白い事に、回り回って、私の耳にも入るんですわ、何故か知らんけど…。特に女性の間ではアルアルなんですよ。




しかも、その誰が言ってるのかわからない人からの私の悪口を、私の耳に入れてくれる人は、私の近しい(親しい)人である場合がほとんどで、その人では無い事はわかるけど、何故?私の悪口を私の聞かせるのか?というところは、今でも謎です。




父が残してくれた言葉(自分の悪いところを、直接言ってくれる人を大切にするべき)を考えると、その人は、別の人から聞いた悪口も、私に善かれで教えてくれた…。とても、感謝すべき、私にとっての身内的な人、また、ありがたい人という意味で大切にしなければならない友人という見方ができます。




でも、逆の見方をすると、実は、その人は、私のことが好きではなく、人から聞いた私への悪口に自分も賛同していて、私に嫌な気持ちになってもらいたいから、耳👂うちする…(悪魔の囁き)をする、味方のフリをした実は自分の敵という意味でも捉えられませんか?




そんな事は、本当は、私にとってはどうでも良子さんなんですが、私の🤬の中には、私的には『あっ、ホンマやなっ!』って、笑える事もよくあるのでした…。爆笑爆笑



以前、私の悪口を言った日本人女性がいる事を、別の日本人女性から聞くと、その内容に正直驚愕🫨しましたわ…。



その内容は…



① 私、Bibakoって人知ってるよぉ〜。へぇ〜、また、あちこちでトラブルしてるんだぁ〜。トラブルメーカー的な人らしいから、今回も、そんな事件的な事まで起こしたんだぁ〜! 爆笑爆笑




いや、私は、事件なんて何も起こしてませんよ😂😂



このご指摘のケースは、私が言った言葉について、相手の方が怒って、弁護士に相談する!とまで言われた事を知ってるんだと思います。だから、私が相手とトラブルななっていた事を、悪口を言う人は『事件』だと言ったのかも?ですね。でも、訴えられてませんし、事件になっていないのが事実です。




② この人(Bibako )は、一旦話しだすと、機関銃のように話すので、全く止まらないから、この人と話のを嫌がり避ける人もいるようですよぉ〜。爆笑爆笑



当たってるわ…、あんた、見たんかいっ!笑い泣き笑い泣き




③それから、この人(Bibako)は、どこでも、人の悪口を平気で言うらしく、特に、駐在の日本人を羨ましいと思うのか?日本人の駐在員に嫉妬して、日本人の中でも嫌われてるようで、前に職場でもトラブルメーカー的になり、イジメに遭っていたとか…。




これを言った人は、私のブログ読んでる人で、私本人を知ってる人かも?知らんけど…。事実上、職場でのイジメなんて受けてませんよぉ〜。爆笑爆笑 




日本人の悪口なんて、私は言いません。駐在の日本人やお金持ち風の人が羨ましいなどと感じていません。私には、人に嫉妬する感情は無いに等しいです。私は自分の生活に満足してるので、他人の生活やお金には興味ないです。



ついでに、私がブログで日本人の事を指摘してるのは、日本人の悪口ではありません。日本人が好きすぎるので、日本人が持つ『謙虚さ、礼儀正しさ、そして助け合いの精神』という良い気質を、ゆとりY世代(1980-1994年 生まれの方々 / 私的には 1975-1990年生まれの方々)に思い出して欲しいだけの事です。




④ Bibakoはね、日本人の前では機関銃的なしゃべりまくってうるさいのに、英語で話をする場面になると、急にダンマリ…爆笑爆笑笑い泣き笑い泣き  日本人に嫌われてる人らしいから、そんな人(私)とは、もう、関わらない方がいいよ!




英語だとダンマリ…これも当たってわ…爆笑爆笑 あんた、見んかいっ!笑い泣き笑い泣き





これを、悪口を言った人を知ってる人から、私の耳👂に入ったのでした。




ホンマに、こんな女の口👄(人の悪口をふれてまわる女性)って、ある意味、私のお喋りよりも、社会の迷惑やなっ!









今回のケースの中では、当たってる部分あったので、まんざら、嘘でもないけどね…。爆笑爆笑爆笑




英語の話になると、ダンマリになる…








ただ、言い訳をさせていただけるなら、これは、私の場合、オフィシャルな話では、英語は相手の言う事は理解できても、自分の意見を言う事は、困難であるのは事実です。




特に、相手に対する反対意見や自分の擁護的な話は英語ではできない事の方が多くあります。英語の語彙力が弱いので、自分の気持ちに当てはまる英単語を知らないのですわ…爆笑爆笑




なら、シングリッシュで反対意見や自分擁護ができるなら、たぶん、英語よりも自分の意見はストレートに言えるかも?ですが…爆笑爆笑




ただ、シングリッシュがまあまあ👌イケてる方なので、シングリッシュで話すと、そこそこ、おしゃべりにはなってるかも?ですが、日本語で話すより数段、話せるとは思いますよ。爆笑爆笑爆笑




それでも、私、日本人相手に日本語で話すよりも、シンガポール人相手にシングリッシュで話す時でと、たぶん、日本人相手よりも、口数は少なくなってるはずです。それがバランス的には、私の場合、人と話す時の良いコミケ方法なのかも?です。




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さて、今回のお話はどうでしたか?



またまた、長文になりましたね。😅😅 まぁ、許してやってください。なんかいっぱい、言いたい事があるんですわ。思うことがあるんですわ。




それが頭をよぎると、即、口👄に出していた頃よりは、こうして、ブログに書く方が、私の場合は平和な心持ちと、周囲への迷惑が減らせるように思います。



ホンマに、なんぎやなぁ〜、私の性格って!てへぺろショボーンえーん




では、こんなところで、今回もこの辺で…



https://youtu.be/xY22D_88vPQ?si=Z4zntZw49PXsCo3i