こんにちは。Bibakoです。


最近、日本人の若い世代の方々で、海外で暮らしている方々が、お子さんに
海外の教育しかとらせない、与えないで、教育を終わらせる保護者方々が目立つんです。





これは、私の考えですが…


そもそも、国の『教育』は、その国の国民の育成のためにあります。

日本人家族が海外に出て、お子さん達がその国の国民になるなら、その国の教育を取らせて終わらせる事は、正しい選択だと思います。

しかしながら、海外の教育をお子さんにお与えになる一般的な保護者さんのお考えは、お子さんが、将来、日本ではなく海外で活躍するために、海外の教育を選択なさっているのか、或いは、もっと単純に、英語が話せるようになってもらいたいというだけなのかも?しれません。

もし、お子さんに将来的に海外で活躍できる大人になってほしい、或いは英語が話せるようになって欲しいなら、日本の教育をベースに、それプラス英語の教育を与えるのが、私は仕事柄としても、いち保護者としても、日本人のお子さん達のためには良いと思います。

日本人のお子さんであると、海外の学校で、他の教科まで、英語環境にする必要はないと私は考えています。

学校は、生徒の学力だけを伸ばすところではありません。

生徒の個別の特定の教科の学力を伸ばす事を目的としているのは、『学習塾』です。

学校は学習塾ではありません。それぞれの目的が違います。


日本人の保護者さん達が、海外で英語を学べる環境に、お子さんを置きたい一心で、シンガポールでいうなら、インター校やローカル校に入学させるなら、是非、補習校や継承校で『国語』を併用して、学んでいただきたく私は思います。

また、そんな環境ではない、海外にお暮らしの場合は、お子さんには、学年相当の本を与えて、日本語の本を読む習慣をつけてもらいたいと思います。


お子さんが、学年相当の日本語の本が読めるスキルになるためには、小さなうちから、ひらがなやカタカナの読み書き、小学校からは学年相当の漢字はお家でしっかりなさってもらえると、学年相当の本は、必ずお子さんは読めるようになります。

本を読むことは、耳や目で映像とともにストーリーを追うのではありません。

本を読むというのは、目を使い、できることなら、音読付きのほうがもっと良いのですが、黙読であっても、本に書いてある内容を頭の中で把握することで、その場面、場面を、自身が想像することができます。

また、想像できると、今度は自分が、主人公になったような気持ちにもなれるのです。

すると、本の中で、自分が社会勉強できるシュミレーションが、本によってお子さんに自然に与えられ、お子さんの日本人としてのアイデンティティは培われるのです。

ここが、学年相当の本を読むことは、学校に行く意味とイコールになることで、海外にいても、日本人としてのコミュニケーションスキルも培わえるのです。

お子さん達が塾でなく学校で学ぶ意味は、日本人としてのアイデンティティを養うえる環境を与えてもらって、その中で仲間と一緒過ごし、お子さん達よりも、年齢や経験値が異なる大人(教師)と接したり、地域社会の大人と接する機会も与えてもらえるのです。

そうするとことで、お子さん達は、日本人同士のコミュニケーションスキルを学習して養っていくのです。

ここが、日本人のお子さんが日本の学校で学ぶ大きな意味であり、学校でしかそれはお子さんには与えることができないのです。





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日本人のお子さんが、海外の教育を受けてしまうと、学校では、教科学習以外に、その国の人と同じ社会状況を日本人のお子さんに与えてしまうという事になります。

すると、日本人のお子さん達は成長するに従い、日本人でありながら、アイデンティティクラシス、つまり、日本人としての居場所が感じられなくなってしまうという、現実もあるんです。


私は長年、そんな日本人のお子さん達をたくさんみました。

親の良かれで、海外の教育を受けて、一度も日本の教育に触れることなくお育ちになった大人の日本人の方々の苦悩として、日本人とのコミュニケーションに苦労なさっているのです。


海外で暮らしていても、海外で働いていても、海外だからこそ、自分には日本人として日本語スキルは求められており、日本人とのコミュニケーションも当然のこと、できると周囲に思われているのに、当自者のご本人は、日本人なのに思うようにはいかない…という、なんとも言えないお気持ちになられるようです。

これは、紛れもなく、親のエゴのまま、お子さんを導いてしまわれた親の責任であると、私は思うのです。



なんて、思われた保護者さん達、本当の話ですよ!これっ!


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もし、お子さんが日本人と外国人のハーフのお子さんなら、海外にお住まいなら、日本語は必要でないのかも?しれません。趣味的に本人の興味に任せても、問題ないのかもしれません。

ここも、逆バージョンとして、ハーフのお子さんの苦悩になる場合があるんです。

日本人の親が日本人と同じだけの国語力を、ハーフのお子さんに望むことで、だんだん、お子さんは日本語の読み書きが辛くなってくるんです。

ハーフのお子さんの日本語の読み書きは、日本人と同じ国語を与えてしまうと、ハーフのお子さんには多大な負担になるのです。

そこは、ハーフのお子さんには、国語ではなく、日本語をお与えになるほうが、日本語が身につきやすいと、私は日本語教師の立場からは思います。

但し、同じハーフでも、日本に住んでいたり、日本で生まれたハーフのお子さんなら、日本の教育をお受けなり、日本人と同じ国語を取られるのは、良い選択なのかも?しれません。


日本人の方々は、これをご存知ですか?下差し下差し下差し下差し


国語と日本語は別の教科だという事、どれくらいの日本人の方々がご存知でしょうか?


日本人のお子さん達には、日本語ではなく、国語のスキルが必須なんです。

日本語は外国人が学習する日本語です。語彙や漢字の量が、国語のそれとは全然違います。

シンガポールで、行われている『日本語クラス』も、保育園・幼稚園では、インター校やローカルの学校に就学している、日本人のお子さんを助けるものになり得ますが、小学校以上の学校での日本語のエンリッチメントクラス
は、日本人のお子さんの日本語学習には役不足です。

インター校で、日本人のお子さんは、それを取る意味がないとまでは言いませんが、それだけでは、はっきりいうと不十分です。

日本人のお子さんだけは、学校の日本語エンリッチメントクラスと、日系塾で国語を取ることで補われるのは、悪くないです。

例え、エンリッチメントクラスをお取りにならない日本人のお子さんでも、せめて、日系塾の国語教科をお子さんにお与えになってください。日本人のお子さんには、必要不可欠です。


ただし、日本人のお子さんには、それも、最適ではありません。

塾は教科の学力を伸ばすことが目的である場所でありますから、塾で国語の教科を取るだけでは、日本人は不十分なんです。

日本人学校にお通いの日本人のお子さんが、日系塾で学習しているのは、日本と同じで、受験目的で通われている方々がほとんどです。

このお子さんのほうが、インター校に通う日本人のお子さんよりも、国語のスキルは高いのはあたり前です。だから、わざわざ、塾では国語教科を取る必要がないのかも?しれません。

でも、インター校や現地校にお通いの日本人のお子さん達は、必ず、国語は学んでおかなければなりません。

そして、そんなお子さん方々は、学校では学べない、日本人としてのアイデンティティを培ったり、日本人同士のコミュニケーションを養ったりする能力は、塾では学ぶことはできません。

そこを補えるとすれば、学年相当の日本語の本をお子さんに与えながら、読書習慣をつけて、日系塾で国語を補うなら、補習校や継承校に通う必要はないのかも?しれません。


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国語は日本人の母国語です。

日本人である以上、住む場所に関係なく、外すことができない教科です。必ず学ばなければなりません。


シンガポールは、日本人のお子さんには、英語や他にも中国語、マレーシア語やタミール語(南インドの言葉)などもあります。

シンガポールは、日本人のお子さんが、英語以外にも、外国語を学ぶためには、大変良い学習環境であることは間違いありません。

しかしながら、日本人のお子さんには、国語の教育を外すのは間違いだと思います。

国語を外せるとすると、義務教育ではない、幼稚園や保育園の間だけだと、お考えいただきたく思います。


ですから、結論的には、日本人のお子さんが海外で学校をお選びになるとき、小学校から、インター校や現地校をお選びになるなら、国語の学習を補うために、補習校的な学校にお通いになるか?は、日本人ご家庭として必要な議論だと思っています。

もし、そんな環境にない国にお住まいなら、お子さんには必ず、学年相当の日本の本をお与えになり、国語の勉強としてなさってください。


海外を転々とする転勤族であるなら、お子さんは、行く国々での『国語』の学習は怠らないでいただきたく思います。

日本人のお子さんが、実際に教育を受ける期間は、幼稚園や保育園は含まず、小学校から高校までと考えて、6・3・3の12年間です。

その間、全く国語の学習に触れないのは、お子さんは日本人としては『致命的』になります。




例え、シンガポールのローカル学校であっても、子供が集団の中で、つまり、塾ではなく、学校で学ぶ意味は、シンガポール人としてのアイデンティティを養う目的は変わっていませんし、国民の育成に他なりません。

ですから、そこで日本人のお子さんが日本の教育を受けることなしに、最後まで済ませてしまう事については、私は疑問や違和感を覚えます。


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シンガポールでは、近年、シンガポール暮らしが、会社の命令であっても、ここに留まる年数が、10年以上の日本人は珍しくなりました。

PRは、5年更新ですが、不景気になると、更新できない日本人の方々も増えました。

反対に、変な噂が流れて、PR枠がコロナで帰国者が多くでたので、余っているから、今、申請するとすぐに許可される…というものです。

日本人コミュニティでは、こんな嘘の情報も流れているようです。

実際は、シンガポール政府からの厳しい審査があり、条件の緩和はされておりませんので、再戻しや拒否は今まで通りです。

シンガポールでは、今年、シンガポールが打ち出した新しい規定で、益々駐在員を置く企業側のコストが上がるので、日本人の駐在員にとっては、会社も『現地採用』で、日本語ができるシンガポール人を雇う方が、コストカット(経費削減)に繋がることは間違い無いと思います。

ですから、最近は、日系企業も、日本人を日本から赴任させるよりも、現地で日本語が堪能な外国人を雇うほうが、会社の経費削減にもつながるので、シンガポールでは、最近、急に日系企業で、日本語ができる外国人の採用や、PR持つ日本人の現地採用が増えたように感じます。

最近のシンガポールの傾向としては、日本企業でも、商社や銀行などにお勤めの方々には、あたり前のようにあったシンガポール赴任のチャンスは、英語が堪能な社員に限られてくるのかも?しれません。

でも、そのために、日本人は国語を外すわけにはいかないことは、ご理解なさったほうが良いと考えます。


近年は、会社からではなく、個人的に、派遣的に海外で働く日本人も、増えています。

これに伴い、英語は益々、日本人の焦点にあたってきたのかも?しれません。

でも、海外で働くなら、尚更、日本人は日本語が完璧でなければならないんです。

それは、海外では、英語ができる人はあたり前のようにいるんです。海外だからです。

その中では、日本人が英語ができることは、なにも特別なことではありません。


寧ろ、日本語が完璧にできることのほうが『スペシャル/特別』やねんで…。





それに、性格だって…

日本人は外国人からは『グレー』とかいわれて、Yes,No をはっきり言わないって言われるけどね、これは、悪くないねんで!


だってね、これが…


日本人



はっきり物を言うようになると、もはや日本人ではなくなるねん。


海外では、日本人らしいことが『日本人にもとめられている』事を、多くの日本人は忘れてるねんで!


これって、日本人のコンプレックスの裏返しやで!

あのね、日本人が『グレー』というのは、悪い意味ばかりで使われているのとちゃうねんで!


知ってた?


ホンマにあった事やけど…


外国人にも『心』はあるねん。みんな自己防衛のために、『自己主張』してるところあるけど、ほんまは、間違ってるってわかってることだって、いっぱいあって、それは、自分が一番知ってるねん。

それで、間違った意見持った外国人と、正しい意見を持った外国人同士の争いは、決着をみるのが遅れる場合があるねん。

ビジネスの場合は、決着をみる=結論やから、結論や判断が遅れると『損益』が出るときもいっばいあるねん!

そこで、日本人相手のほうが、うまく流れる場合があって、外国人が、自分の意見がもし間違っていたら、引っ込みが付きやすいねん。日本人は、ズバリそれは間違ってる!って指摘しないから。


外国人の文化は、日本人の文化と違うって、みんなわかってると思うねん。


日本人の悪いところは、自分の文化を大切にしてないところやねん!

なんでも、相手に合わせるのが良いというわけではないねん!

日本人には日本人の良さがあってそれが日本人の文化やねん!


はっきり物を言わないのは、言えないのとちゃうねんで!謙虚さを持ってるから、相手を尊重している場合が多いねんで!

それを、外国人は評価してくれてんねん!







それから、この『礼儀正しさ/Polite』も…。

人を尊重するっていうのは、人に対する『思いやり』の心やねんで!

これは、礼儀が普段から身についている人は、完璧にできるねん!


相手の事を考えて、自分は謙虚に振る舞う事は、日本人特有の『礼儀正しさ』であり、日本人ならではの日本人だけができるスキルなのです!


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日本の中では『日本語』ができるのはあたり前だから『英語』が必要性なんですよ。

でも、『英語』に関しては、日本の中では、基礎英語レベルでホントは充分だと私は思っています。

現行の日本の英語教育は、文科省自体が、日本語(母国語)の大切さを勘違いして、日本人は日本語ができるのが『あたり前』と言う頭で、『英語』のあり方を考えているところが間違ってると、私は感じます。

また、『愛国心』という言葉は、戦後75年もたっているのに『右翼団体』的な意味合いだと、教師が加入する『日教組』では、抜けきれてないようにも思いました。

愛国心はそんな意味合いで使っている国は、世界広しといえども、日本くらいかも?とも思います。

どこの国の人でも、自国のことは誇りに思っています。シンガポールで暮らすと、たくさんの国々の方々にお会いする機会があります。

その中で、日本人だけが自分の国に対して『誇り』をもっていない方々が目立つので、なんとも、悲しい気持ちになります。

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日本人のお子さん達は、海外志向の親の考えで、かなり、迷惑を被っているお子さんも多くなったのかも?しれません。

子供の人生は親の人生とは違うんです。

親が思った通りに子供は育たないのは、世の中の常のように思います。

ですから、基本的には、どうであっても、日本人のお子さんには、日本の教育、なかでも、国語の教育は大切に扱われる事が、お子さんの将来、人生を考える親としては、必要な事なのかも?しれないと、私は思いました。