こんにちは。Bibakoです。


はじめに断っておきますが…。私は変な宗教にのめり込んでる世間的に『怪しい人』ではありません!

タイトルからして、なんか変な宗教の勧誘記事と思わんといてやぁ…!



あれっ?なんで『チョイマック』やねん?


それわぁ〜


実は、最近、何事においても私の悩み事が、この『チョイマック』的に、なんか食べたいなぁ〜、でも、お腹空いてわけでもないねんけど…的に、私の悩みの答えのヒント、あっ!そこに『マクド』あるやんっ!って感じで、何らかの道筋が見つかるねん!しかも、タイムリーに…




*************


あー、なんか、スッキリしたわぁ…。

えっ?トイレから出たんとちゃんうで!




あのぉ…。私、ほんのちょっと前に、思うことあって、大好きなブログ執筆活動を自粛しようと思ってん。

それから、もちろん、『ブログ書きたいなぁ、寂しいなぁ…』と思ってんけど、

人間、我慢も大切!

って、ブログ読者に徹することにしてん。


そしたらぁ…




あー!この人!

って思った人は、きっと、アラフィフから上の年代かな?

この方、『昭和の占いブーム』の第一人者?占い師の『泉アツノさん』です。

この名台詞、私はテレビ大好き人間だったから、この方はテレビでよく拝見してましたぁ…


****************


話を戻して…

私は今、とりあえず読者に徹する事にしたので、何気に面白そうなブログ記事を探して読んでいました。

すると…

こんなん、見つけましたぁ〜!下差し下差し下差し


◼️フォロワーを買いたいですか?
|https://ameblo.jp/singapore-weekend/entry-12570123739.html

その中で、こんな記事の添付もありました。下差し下差し下差し下差し

◼️ブログに執着・依存している?
|https://ameblo.jp/singapore-weekend/entry-12534718934.html



この記事は、19年もブログを続けていらっしゃる、アメブロの人気ブロガーのMAYAさんの最近のブログからなんですが…。

これが、私の悩み事の応えにハマったのです!



私は、MAYAさんをフォローしているわけではなく、同じシンガポールに住んでいる日本人のローカル人気のブロガーさんなので、時々訪問しています。

私は、とりあえず、執筆活動を自粛していたので、暫くは、ブログの読者に徹底と思いました。

他にも数名、そんなローカル人気ブロガーさん達のブログを読んでいます。

この記事の中に、『ブログに執着・依存』的な内容の記事もありました。(上記に添付)




私は、それを見つけたとき、『えっ!』って感じで、ブログの内容がやけに、私的には、納得いくのでありました。


*************


あのぉ.…

ここから先は、ちょっと私のスピリチュアル系の話なので、それを信じる、信じないは読む方々の自由なんですが…


私は、子供の頃からあっち系の人です。つまり、ちょっと人よりは、あの世からのメッセージを受け取りやすい体質なのかも?しれません。

私は、最近は何か自分にトラブルかあったり、悩んだ時には、神様のお告げのように、それの解決に繋がるヒントが、生活の中で見つかるんです。

しかも、結構タイムリーに!

現在は、めちゃくちゃ『得』してる気分なんです。

でも、それに至るまでは、人がしなくてもいい『苦労』を買って出る的に、何一つも、自分の思った通りにはいきませんでした。

私的には、ずっとずっと遠回りの人生だったように、アラカンになった今、自分の生きて来た道を振り返ると、そのように思います。

簡単な身近な事では、私の『英語』もそうでしたから…。

私は、昔から英語が嫌いで、学生の頃は仕方なしにしていて、学校を卒業すると、必ず英語から解放されると信じていました。

でも、何故か、国際結婚で、シンガポールに住む事になり、言葉の関係から、私は、一生『英語』につきまとわれる人生になりました。





***************


私は子供の頃から、自然に霊を見る事が多くありました。
シンガポールに来てからも、今でも、時々あります。

でも、不思議な事に、私は霊体験で怖い思いをした事はありませんでした。

TVやユーチューブの動画での心霊写真や霊体験のお話は、私は好きでないので見ませんが、夫がこの系統の番組が好きでいつも見ています。

でも、私はなんの根拠も裏付けもありませんが、それらの番組は『直感的』な感覚で、『ヤラセか?本物か?』とわかる場合もあります。

ほとんどの場合、残念ながら『ヤラセ』的に思える事が多くあります。


私の夫は、変な人で『お化けを見たい、霊体験したい』人で、いつも、趣味的に、心霊番組を見ています。

私的には『ヤラセ』でも、夫が『本物』と信じてユーチューブで見ています。私的には、夫の夢を壊すといけないので、苦笑いしながら、夫をそっとしています。


****************


話がそれましたが…

私はとにかく、あっち系である事を念頭に、今からお話を読んで見てください。


注意書き

私、現在は夫の信仰の関係で、シンガポールでは教会の信者であります。

でも、これは、教会の中やこのブログを何気に読まれた方々で、日本人の方々でも、教会の信者さんはたくさんいらっしゃるので、この『無法者・アホたれ』のBibakoが言うことを、どうぞ、スルーしてください。

絶対に、耐えられないかも?しれませんので。
でも、信じなていただきたいのは、私は神様の存在は信じております。

また、イエス・キリスト様の存在も信じられます。

でも、私は、こんな考えを持っていますとここに告白しますので、教会の信者の方々は、私の『懺悔』と思ってお読みいただくか? 或いは、こんな風に考える事は不可能だと、受け入れ難い信者の方々は、ここからはお読みにならないでくださいね。


****************


さぁ…、ここからは真実の話です。


私が、この身をもって体験した事です。

私は、何気に小さな頃から、神様の存在は信じていたような気がします。

それに、物心ついた頃から、普通に霊体験をしており、それが、特別な事という意識もないくらい、特に、夢が現実がわからない、『夢』を見てそれが、夢の中に出てきた既に亡くなった方々からのメッセージだったりするんです。

つまり、私は、私が子供の頃から大好きだった母方のおばあちゃんや亡くなった母、亡くなった友人・知人・身内の夢をよくみては、その夢の内容は何年経っても、私がその話をすると、まるで、昨夜見た夢みたいに『鮮明』に思い出すんです。

それも、同じセリフ、同じ場所で内容はいつ私が話しても同じなんです。
でも、そこからのメッセージが私の人生の、道標になっている事もたくさんあるんです。でもこれは、私個人的な体験です。

夢の中の死者からのメッセージを、特に意識して覚えているわけではないんです。

でも、私が何か拍子にその話をすると、私は、録音してあったように同じ話の内容と、録画してあったように私の頭にある映像は同じなんです。

ただ、ここの部分は、誰に証明できない部分です。私の頭の中で起こっているこもなので、私にも説明はつきません。


*****************


私はシンガポールに来てから、2000年に夫と共に教会に行くようになりました。

夫は、もともと、夫を育ててくれたおばあちゃんは仏教徒でした。ですから、夫も2000年までは、普通に仏教徒でした。

でも、これは事実なのですが、私も夫も、イエス・キリスト様の声をきいている人達なんです。

イエス・キリスト様の声を聞く以前は、私はなんとなく、夫について教会に行っだけでした。


私がイエス・キリスト様の声を、初めて聞いたのは、2004年頃だったと思います。

夫が店を閉めたことで、暫くは貯金を切り崩しながら、生活していましたが、こんな事は長く続きません。半年もしないうちに、私達家族は、本当に貧困に近い生活を強いられるようになりました。

夫は、自営をしているので、ビジネスがうまくいっているときは『高額所得者』にもなれます。でもビジネスがダメになると『貧困生活者』にもなります。

これが自営です。

私はそれを承知で、夫と結婚したので、頭の中ではいつも『貧困』の覚悟もしていたつもりでした。

でも、実際にそうなると、『はたらけど、働けど…』という感じの生活が続き、私の心も余裕がなくなっていました。


私は、その時だけは、一生懸命にイエス・キリスト様に祈りました。

神様、私に力をください。私は一生懸命頑張っていますが、心が折れそうです。でも、私には、2人の幼い子供達もおり、このまま生活を諦めるわけにはいきません。私にもっと働ける力をください。

と、祈りました。

すると、どこからか声が聞こえました。なぜか、日本語でした。

あなたは、ひとりではありませんよ。あなたの隣の人があなたを助けてくれますよ。前を向いて進みなさい。

と、イエス・キリスト様が仰ったのでした。

私は、はっと、我にかえって、考えてみました。

私の隣の人?一体誰なんだろう?

と。

すると、私のすぐ隣には、夫が私と同じように、神様に祈りを捧げていました。

あっ、隣の人って、夫だったんだ!

と、わかりました。

当時、夫は昼間と夜間の2つも仕事を掛け持ちして、寝る時間もないくらい、毎日毎日、私家族を守ってくれるために身を粉にして働いていました。

それを、私は『自分だけが辛い!』って思っていたに違いありませんでした。

そう考えてみると、神様は、私ひとりが辛いわけでもなく、夫も私と同じ思いをしならがら、私のように弱音を吐かずに頑張ってくれている。

だから、私も夫と共に、このまま頑張ってると、きっと、良くなくんだ!って思えました。

それから、私の貧困に近い生活は、何も変わる事はありませんでした。

毎日、今までと同じことを繰り返し、相変わらず夫は2つの仕事、私は家事と育児、パートの仕事もと、夫婦で頑張って生活をしました。

でも、不思議な事に、私は辛いという考えがなくなりました。何も変わっていないのに、夫にありがとうって感謝を感じて、とりあえず、自分も頑張っていこうと、何もお金が増えたわけでもないのに、心の余裕すらも、感じられるようになりました。


すると、そこから、2年ほどすると、不思議とだんだんこんな大変な生活の中にも、喜びや楽しさを感じる事もあり、貧困も悪くないなぁ…と、思いました。

すると、ある日、夫は、少ないお金からできるビジネスを考えて、自分の足でまた立ち上がり、自営を再開したんです。

すると、また、持ち前の商才でビジネスは、だんだん良くなり軌道にも乗るようになりました。

そして、現在のように、私も子供達も夫のバイタリティの大きさや働き者である事、身体が丈夫という、夫の恵みを、私達にも分け与えてくれて、夫のおかげで、また、普通の生活ができるようになりました。

それ以来、私は、イエス・キリスト様の存在も、神様の存在も、本当に信じられるようになりました。


***************


私の場合は、イエス・キリスト様や神様が、シンガポールでは、私を守ってくださっているように思います。

私は、時々、日々の大きな悩み事にぶつかることがあります。
そんなとき、私は教会に行って祈りを捧げます。

すると、何故か?私の悩み事の応えに近い内容のお話を、その日のミサで牧師様が信者さんたちにむけてお話なさるのです。

私は教会にいくと、不思議と自分の悩み事に応えくださって、

私は、それを、今まで何度も経験しています。

私は、去年まで、生活の中でも、仕事でもトラブルがある度にストレスをためていました。

そして、ブログに出会った事で、いろいろなストレスをブログで吐き出していました。

そうすると、去年はブログでもトラブルがあり、更に、私のストレスは増えてしまいました。

思いあぐねて、教会のミサに参加してみました。

すると、どうでしょう!またしても、その日のミサの話がタイムリーにも、私の救ってくれたんです。

そして、私は自分が忘れていた、聖書を読み返す事にしました。

私は、中国古典は、よく開くのですが『聖書』を開くことを怠っていました。

そして、また、聖書の解読を今年は日本語ではじめています。
以前は、夫と一緒だったので、ミサも英語で受けていました。

聖書の読解も英語でした。

ですから、私にとっては役不足的に、解釈を間違えてしまった箇所も、たくさんありました。


聖書は、日本語で読んでも、大変古い本ですので、内容がそのままの原文で読むと、実生活にはかけ離れた内容のように思えます。

でも、本当は人々の生活に直接結びついているものです。

聖書は、文章が古く難しいのと、物語的に当時の実在の人物の生活で示してくれてはおりますが、時代背景や人々の生活が今とは全然違うので、現代社会にそれをあてはめるのが、とても、難しいんです。

ですから、聖書を深く読み解く勉強を、教会の信者の方々は熱心になさっている方々が大変多いのです。

私は、今年、また、聖書を読み解く勉強をしています。
でも、それは、私にとっては聖書だけの勉強ではないんです。

私は聖書を通して、仏教的な考えと、同じだと感じる部分も多くあるんです。

でも、それは教会の信者さんたちの前では話してはならないことです。私は心の中でこんな事を考えているんです。


そこが、自分では教会の信者でありながら、他の宗教の事も受け入れている考えを持っているところが、自分で自分を『邪道』と、思う所以なのかもしれません。

もちろん、そんな話は教会でしたことはないので、教会の信者さんたちには、『邪道』と言われたことないですが。

*****************

私は日本の実家は両親とも仏教徒です。そのご先祖様もみんな同じよう宗派の仏教徒でした。誰ひとりとして、教会の信者はおりませんでした。

また、私は以前ブログでも紹介したように、中国の古典が好きで、『論語』『菜根譚』は、私の人生の聖書的な本なんです。

だから、何かトラブルが自分にある時、教会に行かないときは、こんな本が私の人生の師であるんです。

また、それが、思いつかないときは、死者の夢で、私に忘れていた『教訓』を思い出させてくれるのです。

教会の牧師様の話や聖書だけを、『人生の師』としているわけではないんです。

*************

とはいえ、私は、自分のブログの依存性断ち切る方法がわかったんです。

MAYAさんのブログをよんで、今後の執筆活動は、週に2回とか3回と決めて、その曜日も決めてしまえば、思いついたからと、その場で書こうとしなくてもいいのかもしれないと、思えるようになりました。

また、書く日をきめておけば、その他の日は、ネタ探しだけをしてメモっておけばいいですから。それを、もとに一気にのめり込んで書き上げても、今ように、家族に対しても、仕事上でも何も迷惑はかからない!って思えました。

*************

こんな簡単な答えも、わからないのが、悩み事があるときの私の精神状況なんだと思います。

でも、私の場合は、なんだか、全ての悩み事の答えは、神様が教えてくださるような気持ちになり、シンガポールでは、私はイエス・キリスト様が何故か、私を導いてくださるような感じで思えるのでした。




さぁ、また、大好きなブログの執筆活動始めるぞ!