こんにちは。Bibakoです。


私、この間、日本のTV番組を見ていた。ちょっとしたトルコの街歩き的な番組だったのだけど、その番組のテーマが『働く人』『仕事』であった。

仕事を真剣にする人って、仕事に対する情熱、やりがい、責任など、日本人だけでなく、外国人の人も、みんなちゃんと向きあってるんだなぁって思った。

だって、私は、ここに来てからは、エイリアンみたいな日本人と、南国気質🏝のシンガポール人のいい加減な仕事しか見てないような気持ちでいた。

その中で自分は、ずっと変わらずに、真面目な日本人気質丸出しで働いてきたけど、最近は『あたし、今日からマレー人!』というギャグが実は、私の本音だったりもする。

『あたし、今日からマレー人!』というのは、シンガポールのマレー人というのは、大抵の方々が、仕事に関しては、人の迷惑顧みず『マイペース』なのである。




シンガポール人、特にマレー人は、遅刻は日常茶飯事だし、欠勤も多い。

しかも、シンガポールの会社には、有給休暇のほかに、メディカルリーフ(MC)といって、お医者さんの診断書をつけて会社に提出すると、その日の病欠は有給扱いで、給料は支払われるシステムもある。

日本人気質の私は、MCというとやっぱり身体の調子が悪くない限り取ってはならない的に思う。また、ズルで仕事を休もうとは私は思わない。

でもぉ〜

シンガポール人って、MCも有給休暇と同じだと思って、わざと病気でなくてもお医者さんに行って、仮病で診断書を貰ってくるんだよ!

しかもお医者さんも、どこでもそれに協力してくれて、仮病とわかっていても、MCレター(診断証明書)は簡単に書いてくれる。

これは、マレー人に限らず、シンガポール人は誰でもする。

従業員の休みの規定については、日本だと、有給休暇年間XX日って規定あると思うけど、シンガポールは有給休暇XX日、メディカルリーフ(病欠有給)XX日って感じで分けられている。

これは、シンガポール人にかかると、全て有給休暇的に考えていて、みんな全部消化するのだ。

もっと凄いのがマレー人の方々で、こちらは、有給と病欠(有給)に加えて、個人レベルの勝手な休暇を取る。もちろん、これは無給にはなるけどね。


例えば、朝から土砂降りの雨の日には、親戚が病気だとか、死んだとか、そんな嘘とわかる理由で堂々と仕事を休む。職場に連絡があればいいが、無断で休む時もある。でも、次の日には、シャーシャーと、『ごめんごめん、昨日は忙しくて連絡できなかった!』と、また、訳のわからない言い訳をするのだ!

この事は、私の中では『呆れる』というより、最近は『あたし、今日からマレー人!』ってギャグに発展した。



また、『ハリラヤ』といって、マレー人にとって大切なお正月のような行事がある。年に2回ある。

その日はシンガポールの休暇にもなっているのだが、シンガポールのマレー人達は、『ハリラヤ』の休暇は、個人で勝手に長くするのだ。

ハリラヤの日の祝日を含めて、その前後の2、3日ずつを勝手に休んで、1週間以上の休暇にしてしまう事がよくある。

なんと、学校の先生でもそれにするのだ!びっくり‼️


ほかには、シンガポールのマレー人の学校の先生達は、たとえ、学校の大切な行事と重なっても、自分の家族(妻、夫、子供など)の誕生日とかには休み、両親や親戚の誕生日、なんかの家族の記念日なども、しっかり休みをとる。


同僚の私としては…



あっあたしがあんたの代わりにやるのぉー?この行事…。しかも突然!

準備できてねーよぉ〜!どうすんだよ!これっ!あたし、日本人だっつーの!




こんな事がシンガポールの学校現場職では当たり前のように展開されている。

たぶん、シンガポール人はみんなとは言わないが、仕事に関しては、いい加減な人が多いのかもしれない。


但し、うちの職場では、日本人でそれができるのは、エイリアン先生である。彼女の場合は、ギャグではなくガチで『あたしって、実はマレー人なんですぅ〜!』

さすが、彼女はグローバル人間!





ほかの職場でも、こんな事が出来る日本人は『日本人エイリアン達』だろうと思う。

だから、私は日本人気質の生真面目な自分が嫌になる時もある。シンガポールでは、損した気分になる。そして、ギャグとして『あたし、今日からマレー人!』って事をいうのである。







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TV番組の中のトルコ人男性の方々は、仕事に対する情熱が、昔の日本人を彷彿させるような方々が多いと感じた。日本人の職人気質って日本人だけだと思っていたら、大間違いであった。

みなさん、日本人の職人さん顔負けの仕事のプライドややりがい、責任感などがありありと感じられた。

でもそれは、たまたま、インタビューを受けた方々が話していたに過ぎないが、私はとても感動した。それは、私の仕事に対する考え方も同じだったからだ。




私は職場のエイリアン先生が嫌いであった。

それは、彼女からは、自分勝手な『仕事のプライド』しか感じられず、責任感もなければ、いい加減な手抜き作業的な仕事の雑さばかり、私から見ると目立った。

彼女の『仕事のプライド』がどこから来るのか?は、たぶん、彼女自身が自己評価が高い人だから、そこからの自身の仕事の自信であるだけだと思った。


私やTVで見たトルコ人の男性のような自身の『仕事のプライド』とエイリアン先生のそれとは、全く次元が違った。



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私が、トルコ人の男性の仕事に対する考えに感動したのは、その方々は口を揃えて…

『自分の身体が動く限りこの仕事を続けたい』
『自分の引き際は自分で決める』
『仕事を通しての自分への信頼が無くなるくらいなら、この仕事はやめた方がマシだ』
『好きだからずっと続けて来れた』

と、私と同世代の方々や私よりも年上の方々の話であった。これは、私の仕事に対する思いと同じであった。


そのことに関する別の話なんだか、前に話した事あるが、私は『阪神タイガース』のファンである。






このブログでも、私がフォローしている方で、タイガースの事をテーマに書いていらっしゃる方がいて、とてもその方のブログ本当に面白い。
私の心の叫びと同じような心の叫びを阪神タイガースに対して持っていらっしゃる。

タイガースファンというのは、私もそうなのだが、『できの悪い我が子ほど可愛い💕』という親心のようなファンが大変多いのだ。

このチームは、巨人などとは違い、チームの調子上がるとすぐ下がる、もうダメだと諦めていると快進撃という感じで、ファンを魅了するのが、阪神タイガースなのだ!

また、経営陣達のアホさ加減は、もう、何十年も前から?いや、阪神タイガースが創設された時から?という具合である。毎回、毎回、よーこんなクソが集まるなぁ…と、私は偉いそうには言えないが、野球の采配など『野球素人』の私でも思う事である。


その中で、私の中では、昔、阪神の投手だった『エモヤン』こと、江本孟紀元選手が『経営陣がアホやからやってられん!』と、現役当時、報道陣を前に言ってのけたのが印象に残っている。

まさしくその通りであり、阪神タイガースはいつも、良い選手を育てる事が苦手?なのか、選手をダメにしてしまう事も多い。

何故、こんな話を今しているのか?それは、最近の阪神タイガースの選手の引退問題や引退勧告など、本当に、選手の方々を尊敬していない経営陣達にムカつく!

阪神の選手だけでなく、プロ野球のスター選手達は、その方々の仕事の意識は、トルコの男性と同じく、『自分の進退問題は自分で』とか『自身の仕事の信頼を失うくらいなら、仕事を辞めた方がマシだ!』という気持ち、絶対にみんなあると思う。

そんな気持ちがある選手であるからこそ、球団に成績が残せる選手であり、そして、そんな気持ちの選手だからこそ『スター選手』にもなれるのだと思う。

それが、職種に関係なく『プロフェッショナルの仕事』なのだ!だから、自分が好きでする仕事を極めていくと、それに対する対価として収入は自ずと上がるのである。

今回、トルコ人男性の仕事への想いを書いていると、現在、窮地に立たされている阪神タイガースの選手を思い出したのだった。



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私はブログで教師だと公言しているが、実は、私は学校を卒業してから教師をした期間はかなり短く、そのあとは教師を辞めて一般企業に転職した。そのあと、教師の仕事を再開したのは、シンガポールに来てからだ。

だから実際には、私の教師生活はトータルで、25〜30年足らずである。ずっとずっとこの仕事一筋だったわけでもないのだ。ごめんなさい。

でも、私は、一般企業で働いた経験も、現在に於いて、教師という仕事に活かせる事ができ、モンスターペアレント的なやつも、逆にやり込めてきたので良かったと思う。


私は現在、教師という仕事に誇りを持っている。

また、現場の教員という立場が私は好きで、教頭や校長に憧れた事がない。主任くらいはまだ現場の教員感覚であるが、教頭や校長になると仕事な相手は子供でなく大人になってしまうからだ。

私は子供相手の仕事が1番好きであり、自分に合っていると感じる。それは、私は別の仕事をして、気がついた事でもあった。だから、もう少しで、この仕事は定年を迎えるが、もう、この職場とこの仕事が、自分の人生の中での最後の仕事であり、最後の職場であると考えている。




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トルコはムスリムの国でもあるので、女性の仕事に対する考え方と男性の仕事に対する考え方が違っていた。

女性の方々は、大抵の場合、仕事は結婚してから続けるのは難しいらしく、職人的に、手に職がある専門職的な仕事でないと、トルコのムスリムの世界では、女性が結婚してからも続けることが社会的にも難しいと、テレビに出ていた女性が語っていた。

また、その女性の仕事は『ベリーダンサー』だったけど、ムスリムの世界では女性が人前で肌を見せる事は好ましくないという。だから、結婚するとダンサーはやめなければならないそうだ。

また、一流企業でキャリア的な仕事をする女性や手に職がある女性は、トルコでは、結婚していない場合も多いらしい。

それも、やっぱり宗教上の理由で、女性は結婚したら、子供を育てて、家を守る的な風習は今でも守られている事が多いという。

現在は、トルコの中でもモダンな感じな若いカップルも存在するらしいが、女性の仕事が、社会的にも認められている職種が少ないらしい。また、トルコでも、ムスリムでない方々は、私達と同じく、女性の仕事の選択肢もその職種もたくさんあると言う。


トルコでは、ムスリムの女性は、例えば、教師や医師など聖職的な分野である場合、結婚しても続けてもいいという類の仕事らしい。職種によれば、ベリーダンサーなどは、結婚すると続けていく事があまり好ましくないとされる職種なようで、こんな感じの事も、ムスリムの世界では、規則が厳しい事がたくさんあるらしい。


シンガポール🇸🇬では、同じムスリムでも少し違うと感じる。シンガポールのムスリムの方々は、今は、モダン的な感じであり、若いカップルでも、女性が結婚しても働く事は辞めずに共稼ぎのカップルも多く存在する。


女性の中でも、男性と同じように、一生取り組むめる仕事を持てる人と、持てない人が存在する。

それは、全世界共通で『女性』本来の役割は、子孫を残す、つまり、種族保存のために人を産んで育てるいう、人としての大切な本来の役割があるからだと思う。

女性としては、私のように、一生を通じて全うしたい仕事に出会えるとは限らない。

でも、女性には女性として、女性しかできない仕事がある。それが、人を産み人を育てる事だ。でも、世の中には、人を産むというのは、相手がいる事であるし、身体も健康であるかどうかも自分ではわからない。女性が子供を産むという仕事は、運命的な事であるようにも思う。


しかしながら、人を育てる方は、女性誰にでもできる事である。

だから、一般的には、女性の適職と言われる仕事が、保育士や看護師、介護士など、人を助けたり育てたりする仕事なのだと私は思う。

最近は、日本でも『共稼ぎ』も増えているが、できれば、子育ては男性よりも女性に適職と言わざるを得ない。もちろん、女性だからと、向き不向きはあるが。

家事についても、本来なら、男性は原始人の時代から『外で狩りをする』それを家族に分ける。という役割がある。

つまり、本来なら、男性は外で働きお金を稼いで、それで家族全員を養うというのが、正しい姿であると私は思う。

だから、女性の社会進出に反対でなく、女性は外の仕事もリラックスしてしても悪くないという事だと思う。男性がしっかり働きお金を稼ぐ、女性は趣味程度の仕事でも、持ちたいと思えば持てばいいし、仕事に打ち込みたいと思えばすればいい。でも、忘れてはならないのは、女性の1番の仕事は、人を産み育てるなので、そこを怠ってはいけない。そこを怠らず、仕事にも打ち込める人は、世の中には少ないと思う。

それでも、女性達は社会進出をして、それに対して対価を得て、自立する人も多いのである。


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仕事というのは、自分が好きで打ち込んでいくと、それに対する世間からの評価は上がる。
それが自分の仕事に対する自信になり、仕事に対するプライドも生まれる。
そんな人には、もちろん、仕事に対する対価も増えるのである。

ただ、これは、私の個人的な意見だが、男性は仕事に打ち込んむと、良いことばかりあるように感じる。でも、女性は仕事に打ち込んでしまうと、女性本来の役割は、おろそかになるようにも思う。

女性が仕事に打ち込む事については、どこの世界でも、何かを犠牲にしなければ、できないのかもしれない。

そういう意味では、男女同権といっても、社会進出や仕事に関しては、女性は男性に比べる不公平な事も多くあるように思う。これについての解決は難しい問題だと私は思う。