こんにちは。Bibakoです。

あのさ、こんな事を言うと日本人の親から『ブーイング』が起こりそうだけど…、まあ、私のブログはショボいブログなので、読む人も少ない。言いたい放題言っても、バチは当たらないと思う。


シンガポール人の子供達は、全体的に日本人の子供達より『親孝行』な子供が多い。



僕達、シンガポール🇸🇬の親孝行な子供達。




シンガポール人の子供達は、お金持ちも貧乏も、中国系もマレー系もインド系も、みんなみんな家族を大切する民族である。

また、血の繋がりを大切にするので、親兄弟だけでなく、親戚までも仲が良い家が多い。

今や、日本の家族はその形を変え、核家族化が進んだ事で、自分の家さえ良ければ、親兄弟であっても助けたりはしない、日本人エイリアン家族👽も多くなっている。



日本人家族なんで!いやぁ〜、僕も日本人エイリアン家族👽は好きではないですが…




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さあ、日本人の親の皆さん。どんな子育てなさってますか?

子供が幼児の頃から、親が子供の言いなりになって、子供と向き合いすぎて、大人になったら、手に負えなくなった…と、困っていらっしゃる親御さんたち、もしかしたら、そこにもいらっしゃるんじゃないですか?


シンガポール人の子育ては、日本人の親のように、子供に向き合ったりはしていない!と、私は思う。それぞれのご家庭で、親の良かれで子供を導いていると感じる。


私が受け持っているシンガポール人の日本語の生徒達、みんな口を揃えていう。

『うちのマミは、怖かった!』『子供の頃は、ケイン(竹製のムチ)でよく叩かれた!』『おばあちゃん(奶奶)は怖かった!』といい、『うちのダディは優しい』『うちのおじいちゃん(爷爷)は優しい』というチャイニーズ系の生徒が多い。

もちろん、お母さんやおばあちゃんが優しいお家もある。そんなお家は、反対に、お父さんやおじいちゃんが怖いという。

つまり、両親の両方から叱られる事は少ないようで、もし、両親とも子供を叱ると、必ず、おじいちゃんやおばあちゃんが助けてくれるという構造が一般的なようだ。

シンガポールは、土地や国が狭いので、核家族と言っても、本当に自宅の近所に実家があったり、兄弟や親戚の家があり、それぞれも家族ぐるみでみんなで、子育てしている感じである。

日本では見られなくなった、姿なのかも?しれないけど、家族全員や地域社会で子育てをしている感じのようにも思える。いまだに、他人の子供でもいけない事をしていたら、叱ってくれるご近所さんまでいる。それが、シンガポールの地元のコミニュティなのだ。


シンガポール人達は、家族の絆は、親子だけでなく、血の繋がりを大切にするように、同じ血が流れている意識が高く、別世帯になっても、兄弟(姉妹)や叔父や叔母、従兄弟などの親戚関係も仲がいい家族が主流である。

また、同じ宗教の信仰同士でも、大変、その付き合いの密度は濃いのかもしれない。シンガポール人国民は、みんな何らかの宗教を信仰している。
日本人のように『無宗教』という人の方が少ない。


シンガポール人の家族では、それぞれの家族の中でのトラブルは、日本同様あるが、一番違うと感じるのは『血の繋がり』が何よりも強いという感じが、シンガポール人家族である。

これは、人種に関係なく、チャイニーズ系もマレー系もインド系もみんなご家族や兄弟、親戚仲が良いし交流も深い。


その風習的なものが、子供達が親孝行であるにつながるのだと思う。



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今の日本の家族のあり方は、シンガポールから見ると、私でも、少し変だと思う。

まるで、親子の関係が『お金』で繋がっているような感じさえ思う。これは、うちの実家だけでないと思う。


私は、自分の日本の家族の悪口は言いたくないが、うちの家族は、うちの父が、定年後に投資詐欺的な話に騙されて、老後の資金を失くしてしまった。それまでは、比較的、うちの実家は裕福な家庭だったように思う。

でも、めちゃくちゃお金持ちというわけではない。そこそこ、お金持ちの家という、いわゆる、高額所得者の家庭だったかもしれない。ただ、うちの父は定年間近には、その所属部署の重役であったが、会社の社長でも役員でもなかった。

うちの父は、昔、メディア関係の仕事をしていた。それは、父の実家がそうだったからだと思う。祖父は、昔、朝日新聞社に勤めていた。父は、民放のV局と言われる、全国ネットのテレビ局に勤めていた。

日本では、当時は、メディア関係の仕事はそこそこ給料もよく、だから、うちは普通に裕福な家庭であったように思う。その中で、私や姉や妹、弟まで、何不自由なく育ててもらった。

でも、父の定年後は、退職金など全てを失くしてしまうような事になり、その後は、かろうじて、年金があるので、父や母が細々と生きていけるような感じに一転してしまった。

当時、父はもぬけの殻になっていて、事が一段落つくまでは、DVまがいで、キ◯ガイのように家で母に当たり散らして暴れたり、私達姉妹、弟もそれぞれ、見たくもない父の醜態と狂気に満ちた父の姿を見せられたしまった。

私達は、それぞれ、父の恐ろしい姿に心を痛めた。特に、弟は、まだ、大学生であったのでかなり、家では母を庇ってくれていたようだった。
弟は、母が大好きで父の事も大好きだったに違いない。でも、あんなに理性的で物静かな穏やかな父の姿から一転して、恐ろしい父の姿を見せられた事で、弟は父に対しての気持ちが穏やかではなくなった事は理解している。

姉妹、私は、それぞれ嫁に出ていたし、私はシンガポールに居たので、その時の壮絶な家庭の中での出来事は知らない。
でも、姉や妹は、私よりは辛い思いをそれぞれさせられたようだった。

私は私で姉妹や弟が知らないだけで、母から電話でお父さんが怖いと聞かされて、すぐにでも、日本に帰り母をシンガポールへ連れて来ようとも考えたが、母は父から離れる事はなかった。

それは夫婦の事なので、子供である私達にもわからない事もあると思う。
でも、実際には、私も姉妹、弟と同じくらい父の言動に翻弄されたし、悲しさや悔しさも、皆と同じくらい経験している。

そして、そんな父のせいで、うちの家族は、それを機にバラバラになった。

それからは、父が落ち着いた後も、私以外の兄弟(姉妹)は、家に寄り付かなくなった。それは、もちろんわかるが、私自身は、父を恨むことはできなかったし、父や母が、かわいそうだと言う気持ちの方が強かった。また、何も、両親にしてあげられない、できない自分も悲しかった。




なんてこったぁ〜!うちの姉妹、弟にとっては、親は金づるかよ?どいつもこいつも、アホたれども!って、本気で思った。



うちの家族は、親がお金を持っていると『パパ、ママ…』みんな孫まで連れて実家に寄って来る。父にお金があった時は、みんな普通に、実家に入り浸っていたのに、父がお金で失敗すると、『とばっちりは、まっぴらごめん!』とでも言う感じで、なるべく、実家には寄らないスタンスを、今でも私以外の兄弟(姉妹)は取り続けている。もうかなり前の話なのに....馬鹿だ!


ただ、救われるのは、母が亡くなってからは父が1人暮らしではあるが、父に何かあったときは、普段寄り付かなくなっている姉や弟は、嫌々ながらも父のお世話をしたりはしてくれている。

でも、2人とも私にとっては、日本人エイリアンと同じようにも思える。実の姉、弟という事もあって、そんな風に思うのは、私としては悲しさを感じる。


私は何を言っても、シンガポール🇸🇬に住んでいるので、いざという時には間に合わない。何もしてあげられない。だから、日本に帰国をして、できるだけその時は、父のお世話をしたり、普段は何もできないので、お金を少しだけ援助したり、今もしている。


妹は、私には理解できないが、全く寄り付かない。とはいえ、妹は夫(義弟)の親の面倒は見なくてはいけないし、夫が家業を継いでいるので、私としては、どっちでもいい。寄りたくなければそれでいいとは思う。

しかしながら、自分の本当の親に対して、よくもこんな態度が取れるなぁ〜と、自分の実の妹ながら、彼女の中にも、日本人エイリアン👽性を感じる。


こんな感じの日本の実家の姉妹(弟も)を見ていると、本当に悲しいやら、情けないやら、私はシンガポール人の家族の中で暮らしていてよかったと思うのである。

それに、自分の子供達は、たぶん、うちの日本の実家のような親(私や夫)の扱いはしないだろうと言う自信はある。


うちの家だけでなく、日本人の大人達は、自分の親が裕福かそうでないかで、大人で家から独立している子供の実家への寄り付きも違うような気がする。


この文章は、前にも掲載した事があるが、この文章を読み返すたびに、今の日本の社会、家族関係を物語っているような気持ちがする。


この文章の中では『年寄りになればなるほど、お金を持っている事が家族から好かれる』的な話を盛り込んでいるところが、なんとなく、年寄りの哀愁が漂うのである。




日本人の親は親で、自分が大人になった子供や自分の孫にお金を使う事が、自分のステイタスであるかのように、普通に、孫の習い事の月謝や大学や私立学校への学費、大人になった子供が家を買う時や新車を買うときにも、お金を援助する親もいる。

もちろん、これは、親がしたいからしてるのであって、子供の方から要求しているものではないと思う。

だから、親から金銭的な援助してもらっても、子供(大人になった)からすると、親がくれると言うお金を断る理由はないと言う事で、有り難く頂戴しているに過ぎないと思う。

これに対して、他人の私がとやかく言うことではないが、私個人の意見としては『大人として情けない』。自分が親にお金を援助するならいいが、自分は親からお金を貰いっ放しで、それに対して、何とも思わない人ってどうかと思う。




では、もともと裕福でない家庭の子供が大人になるとどうだろう?




たぶん、上記とは真逆で、日本人でも子供が親を助けるのではないか?と思う。


例えば、自分が子供の頃から、自分の親は、自分から見てお金に困っているように見えて、その中でも、自分のことを一生懸命育ててくれたと言うところは理解できるのだと思う。だから、大人になって独立したら、親を助けるのは当たり前的にも思えるのかもしれない。

でも、人が裕福でもないご家庭で育つと、子供の頃は、そんな家が嫌だったと言う人もいるかも?しれない。しかしながら、自分も親から自立して、お金が稼げるようになると、親が言わなくても、親にお金の援助していたり、お世話を積極的にしていらっしゃる方々、たくさんいらっしゃると思う。素晴らしい事だと私は思う。

これが本当の意味での『感謝』と言う言葉の意味がわかっている人がする事だと思う。



つまり、日本人は裕福な家出身の方々ほど『親不孝』だと思うのである。



子供はいつまでも、親を金づる的に思っているので、親にお金がなくなると、『金の切れ目は縁の切れ目』的に、親を蔑み悪口までいうようになる。


更には、最近の社会問題でもあるが、中高年のニートや半ニートの方々。親の年金を充てにして、自分は働かないか、または、働いていても、アルバイト。大の大人が、五体満足な身体を持ちながら、働く事も出来ないのは変だと思う。

そんな人は、いつも、自分の仕事がない事を社会のせいにしている。仕事を探しているのに、雇ってくれないとか。




うちの夫は、自営で倒産的な事も経験している。その時、我が子達はまだ幼い、妻(私)は日本人で英語ができない、更には、高齢のおばあちゃんまで養っている。

そこで、夫がしてくれた事は、仕事を二つ掛け持ちしていた。それは、夫は高学歴者ではない。シンガポールは学歴社会で、高い給料を求めるには、学歴が高くないと無理なのだ。

だから、うちの夫は職種は選ばず、安い給料でも昼間も働き、夕方からは、セキュリティガードの仕事をして、毎日、朝の7時に帰宅して、次の仕事は朝少しゆっくりのところで働いていた。それでも10時には出勤しないといけない。
たった、3時間の睡眠時間で、2年間くらいはそんな生活を続けてくれた。

私は、そんな夫の姿をみて、自分もできる仕事を探して、パートで日本人相手の教師とシンガポール人相手の日本語教師の仕事を始めた。

それで、私達は2人で力を合わせて貧困時代を乗り越えて、また、夫は、自営業を開始した。現在は、それで生活している。真面目に生きて、真面目に働いていると、神様は『真面目に生きる人』を見捨てたりはしないのだ。

私にも、復活のチャンスをくださったのだ。

うちの夫は、いざとなったら、自分は寝ずにまでも、家族を守ってくれる人なのだ。本当に、いろいろな苦労はさせられたが、私は夫と一緒に人生を歩いていて良かったと思っている。また、これからも、こんな人だから、私の事も守ってくれると信じられる。


うちの子供達は、そんなお父さんを見て育っている。だから、うちの子供達は『親不孝』であるはずがないと、私は確信しているのである。



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日本人の大人で、親の年金使ってニートで暮らしている中高年の人や若い人でも、親の脛かじってニートしていても、いずれの方々も、親に対して悪気はなく、結婚して独立している大人が、親から金銭的な援助を当たり前のように受けている人でも、親がくれると言うので…という事で親に対して、こちらも悪気はないようだ。


でもね、これって『親不孝』じゃないんですかね?



自分がこんなだと、自分の子供が自分達(ご夫婦)に、大人になっても、お金を無心しても当たり前なんですかね?そんなに、お宅はお金持ちなんですかね?

自分達の老後の事もあるのに、結婚した子供、さらには孫の事まで、金銭的な援助をする親。
だったら、自分が自分の親からしてもらっているなら、自分の子供にもしてあげたらどうですか?本当にできますか?



そんな不安に駆られる事ないんですかね?自分が親不孝だから、子供も親孝行しない子供に育つ。『三つ子の魂百まで』ですよ、これって。



また、結婚もできないニートの人たちは、親がいつまでも元気な訳ではなく、いつか、自分よりも先に死んでしまうのに、自分で何とか生きていこうとしないのは、人間失格ってところじゃないですか?


こちらは、親不孝どころでなく、もっとレベルが悪いと思いませんか?




私は、シンガポール人の家族でよかった。うちの子供達は、今は社会人だ。
また、自宅暮らしではあるけれど、家にお金入れてないが、全て、自分でまかなってくれている。

例えば、家でご飯を食べるか食べないかも、私の都合でご飯無しだと、自分で外で食べてくれる。
娘も息子も、自分で料理するので、自分で家で食べるときは、自分で作って食べるときもあり、食材は自分で買って来て調理は自分でする。

たまには、私や夫の分まで作ってくれる。嬉しいやら、有り難い気持ちはする。

洗濯は、私は自分が毎日するので、もちろん、ついでに子供の分も洗っているが、息子は、洗濯洗剤や柔軟剤などは、時々、自分のお金で買ってくれて私にくれる。さらには、自分がオンラインスーパーで買い物する時には、電話をかけて来て、何か日用品で頼むものあるか?と、家の日用品や食料なども、足りなければ買ってくれる事もある。

そんな事をするようにと、私は息子や娘に教えたわけでもないし、要求したわけでもない。でも、特に、私の息子は私の事は本当によく助けてくれる。娘も、時々は、私にお金頂戴っていう時もあるけど、いつも言ってくれる事は、『私(娘)が、もう少し給料が取れるようなったら、大学にかかった学費は、マミに返すつもりだから。』と言ってくれる。

さらには、2人とも、結婚資金については、私達を頼らないという。でも、これは、現在でも、シンガポール人の若者の間では常識であるらしい。

大学などの費用も、ほとんどの子供達は、親に返したり、親が大学に行かせる資金がない場合、奨学金を申請したり、ポリを卒業して働いてお金を貯めて大学に入学する若者もたくさんいる。

シンガポール人の若者は、大人になっても、親にお金の負担をかける事がいけない事だという認識があるらしい。日本人の若者や大人とは大違いだ。


例えば、うちの息子は、私の老後のお金を今から心配してくれている。
でも、私にはちゃんと夫もいる(息子の父)ので、老後のお金などは、夫と私でなんとかするので、息子に心配しなくていいと言っている。


でも、息子はいつも、マミは外国人だから僕が世話してあげないと…的に、私に話しをする事もある。

ちょっと前に、

『マミ、お前、ちゃんとフルで働けよ!なんでパートやねん!しかも、もっと給料高く取れるはずやろ、教師の経験やスキルも高いのに!』
と、いきなり息子から叱られた!


私は、もちろん、その気になればちゃんと給料の高いポジションで教師はできる。それなりの学校からも、昔、オファーはもらった事はある。
でも、その頃はまだ、子供が小学生だったので、メイドがいないと、フルタイムで働くわけにはいかなかった。

私は子供の世話や家事の方が、仕事よりも好きだ。だから、ずっとパートの教師であり、今も給料安くても、パートの教師の方が、自分の為にいいのである。


息子が私を叱ったわけは、私が今のままパート教師だと、年金も少ないし、何年かして私が働けなくなると、自分(息子)の負担になるので、働けるうちは、少しでも、俺を助けなさい!という意味だった。

でも、私は笑った!『だって、マミにはパパがいるじゃない!なんとかなるわよ!』って。

私は内心息子の気持ちが嬉しかった。また、娘は親との同居は嫌なようだったが、私達がお金に困ったら、『絶対に、マミを放って置く事はないからね』と、こちらも嬉しい事を言ってくれている。

息子は、将来的には、私と夫との同居を考えてくれているようだ。自分は、長男なので当たり前だと思っているようだった。



はぁ?ここは昭和初期の日本なのか?


でも、そんな事を考えているシンガポール人の息子や娘を、私は誇りに思っている。本当にならなくても、言うだけでも良い。本当に『ありがとう』って気持ちになる。

しかしながら、これは、うちの子供達だけでないのだ!




シンガポール人の子供達は、本当に親孝行な子供達が多い。これって、日本人の子供達とどこが違うのだろう?



それは、日本は、自分の子供に優しすぎる親や人に優しすぎるし、国民に構い過ぎる、優しい政府もあるからだと思う。

日本人エイリアン👽の発祥は、親が優しくしすぎだ結果である。子供に向かい合いすぎか?反対に、放任主義的に勝手にさせたか?さらには、親も同じような考え方なので、そんな人から躾を受けると、子供たちの常識や道徳は狂ってしまう。


つまり、日本人エイリアン達は、エイリアンを育てて大人にしてしまった、親の躾の悪さである。👽👽👽


これこそ、『蛙の子は蛙』なのである。『三つ子の魂百まで』とも言う。




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日本はとても国民に優しい。日本の中でのニートや引きこもり、社会人の自殺、会社でのハラスメントやイジメ、ブラック企業に至るまで、政府を挙げて、それの対策や防止に乗り出す。

日本人エイリアン達は、それを当たり前と捉えて、その上に胡座をかく。



シンガポールでは、それはあり得ない!大人が起こす問題は、大人である以上、自分が考えて対処するのは当たり前だ。それに、それができないなら、自分の責任で野垂死にしてください!という物なのだ。

だから、シンガポール人は、こう見えても、自立できている大人も多いし、親孝行な子供も多くなるのだ。

日本人は、シンガポール人のいいところは、見習ってもらいたいと私は思う。


Singaporean children are all helpful and to own parents appreciate.🇸🇬🇸🇬🇸🇬 シンガポール人の子供達は、みんな親に感謝し親孝行です。