こんにちは。Bibako こと藤ちゃんです。
藤ちゃんは、最近、ブログにも書いてるけど、若ちゃんにハマってますねん。
えっ?若ちゃんって誰やねん?って?知らんともったいないで!
大衆演劇界で、劇場への観客動員数上位を誇る劇団『都若丸劇団』の座長・都若丸さんや!❤️❤️🥰🥰😍😍😍
これは、劇場のインスタの公開写真。たぶん、使っても大丈夫なはず。一般公開の写真やからね…。
若ちゃんは大衆演劇界で、藤ちゃん的には、1番垢抜けていて、大衆演劇界というよりも、芸能界のサラブレッド的にお育ちになられたお方(かた)や!
また、藤ちゃん世代ならよく知る、東映の役者さん達や吉本や松竹の芸人さん達から、しっかりと、泣き笑いの芝居や殺陣なども学び、ホンマの意味で非の打ち所がないがような、エンターテナーやで!
こんなに褒めしておいて、奥がましいけど、実は、藤ちゃんの人生観や歩いてきた道が、若ちゃんの人生観や今まで舞台人(仕事)として歩まれてきた道が、同じ匂いがすると、肌で感じたんよ。
今回も、みなさんに、ちょっと刺さる衝撃?の藤ちゃんエッセイ?始まるよぉ〜。
もう、そろそろ、みなさん病みつき?😂😂知らんけど〜、では、今回もどうぞ!
偶然?それとも必然?の出会いと私の人生の流れと…川の流れのように
藤ちゃんの人生の中で、出会うべきして出会った『舞台芸能』
藤ちゃんは、幼い頃から、舞台芸能が好き❤️、てか、そんな環境の中で生まれ落ちていた…。
亡くなった祖母(母方)は京都出身で、歌舞伎と宝塚ファンでした。
そして、亡くなった藤ちゃんの母は、自身が宝塚歌劇の女優になりたかったと言う人。(結果的には、舞台女優にならなかった😅😂😂、いや、なれなかった😅😂)
それから、母の血を引く、姉は、なんと、母の影響もあって、宝塚の今でいう、元祖『推し活』の達人で、昔昔、大地真央さんが宝塚時代、ファンクラブ(親衛隊)の幹部さんたちの中では下っ端の幹部でしたが、一般ファンを仕切ってた側にいた人。
まだまだあるで、藤ちゃんの亡くなった父の職業が、民放のTV局(V局/全国ネット)のプロデューサーという職業で、会社役員(取締役)まで登り詰めた人。つまり、藤ちゃんは生まれた時から、スポーツ界や芸能界に関連する家の生まれでした。もちろん、父の職業柄。
それから、元祖『推し活』の達人の姉は、父のコネで、同じTV局勤務を経て、退職後はプロダクション勤務へ。すると、現役時代には、少し有名なタレントさんや今や大女優さんになった、元宝塚の俳優さん達、昔の宝塚スターさん達で、芸能界で活躍していらっしゃる方々も、個人的に知るという、舞台人にコネクションがある人。
現在は、医療従事者として働いていて、もう、定年でいよいよ、年金暮らしという人だけど、今も、時々、宝塚の観劇は行ってるんですよ。😂😂😂
それから、面白いのは、母方の家族、特に、亡くなった母の兄(叔父)が、生前は、めちゃくちゃ、芸達者。料理、華道、茶道、日舞、邦楽(三味線・長唄)どれに於いても、達人か?くらい極めていた人でした。
叔父は、実はジェンダーでした。でも、藤ちゃんは幼い頃から一緒にいたので、全然、何も感じることなく、優しい叔父が大好き❤️でした。
叔父は趣味が広く、日舞は個人的にも、舞台に立つ人でしたので、舞台の裏で、姉と私は、叔父のお手伝いをしていた事も…。
叔父は、まるで、大衆演劇の役者さんみたいに、化粧や着物の着付けは、叔父は自分でできるけど、その横でいろいろな叔父の舞台前の楽屋裏で、準備アシスタントを、姉と私はしていた経験もありますよぉ〜。😅😅
叔父の十八番は、女舞(女形)で、とても綺麗でした。若ちゃん顔負け?くらいに妖艶でしたよ。❤️❤️❤️
これが、藤ちゃん自慢の叔父さん❤️ジェンダーやったけど、お母さんよりも優しかったから、大好き💕やった。藤ちゃんが大人になってからは、ミナミの宗右衛門町(その筋の場所、東京で言う新宿2丁目的なところ)一緒に飲み行ったり、楽しくそこで、一緒に遊んでたんよ。❤️😍
一方で、藤ちゃんの母は、自分の夢を娘に託したかったのか?姉と私は、物心ついた時から、宝塚歌劇に連れて行かれて、楽屋にも入った事ありました。
当時の大スターさんと母は、自分のコネで、知り合いで、宝塚の観劇チケットは、その大スターさんの名前で取ってもらっていた人でした。
そんなこんなで、藤ちゃんと舞台は、なんか知らんけど、運命的に見えない糸で結ばれていたのか?🤔🤔
藤ちゃんは大人になると、自分の趣味として、若い頃から、宝塚、歌舞伎、吉本新喜劇、松竹の喜劇、ミュージカル、素人劇団のライブ、プロ歌手のコンサート、ライブハウスでのライブ…などなど、ほんとに好き❤️で、いろんな劇場へ足を運んでいました。
ただ、今みたいに、一つの劇団やひとりの役者だけに惹かれて、舞台芸能を観るという事は、全然していませんでした。
偶然ではなかった、私の人生の流れと若ちゃんとの出会い
ほんとに、今考えても、若ちゃんとの出会いは突然に…って感じでね。
3年前に、たまたま、一時帰国して短大の時の友人とランチして、お茶を飲んでいたとき、この後、大衆演劇観に行くんだけど、あんたも来る?ってお誘いを受けて、初めていったのが、『都若丸劇団』で、梅田の呉服座。
その時の印象は、ええ劇団やなぁ〜。楽しいな〜って感じで、特別な思いはなかったかも?
若ちゃんとのお見送りでのツーショットも撮らずに、横目で見て帰った。てか、その時は、京都からの移動だったので、急いで、その日は帰ったのでした。
そして、日をあらためて、ひとりで行ってみると、なかなか、楽しい😀😀😀 また、よくよく観ると、若ちゃんがドンピシャの男前❤️❤️❤️てか、藤ちゃんの好みやった。
初めで見たときは、普通に男前。お芝居も舞踊も上手くて、華がある座長さんやなって。更には、その男前の座長さんが、喜劇的に笑いを取るのもお上手で、漫才のボケとツッコミ的な笑いの間の取り方が絶妙!!
大衆演劇ってこんなにも笑えるんだ!って、昔、吉本を見てた時のことを思い出したりもした。
ただ、その年は、藤ちゃん自身の私生活で、自分の身辺が、いろんな現実に飲み込まれていて、とにかく、精神的なところでは、藤ちゃんが、かなりしんどい時期だった。
だから、自分の娯楽よりも、自分の身辺をちゃんと、綺麗にしないと…という感じで、ほんとのところは、自分の趣味を真剣に…という気持ちの余裕などなかったのよ。
ところが、次の年に一時帰国したとき、なんとなく、行きたくなって、チケット予約を先にした。
そして、本格的な推し活はそこから始まったんだけど、若ちゃんの観劇が、藤ちゃんには何よりの癒しになったんよ。救われたんよ。
藤ちゃんがその時に一時帰国した、一番の目的が、ある事で弁護士と会ったり、それに関する書類を、弁護士並みに、自分で作成しなければならなかったので、ホテルに缶詰め状態で、パソコンは持ってこなかったから、タブレットと携帯からの作業やったけど、昼も夜もかなり頭と動力を使い、疲れはてていたんよ。
でも、昼間や夜に、若ちゃんの観劇をする時だけは、そんな喧騒からは離れて、ほんとに、藤ちゃんにとっての心地よい時間が流れたの。
それって、自分の気持ちが落ち着く『場所』を求めていたのだと思うねん。つまり、心のオアシス的なところ、居場所…。
それが、今思うと、都若丸劇団やったんやな、藤ちゃんの場合は…。
若ちゃんとの出会いから、彼の生き様を舞台で見せてもらったら…。
とにかく、若ちゃんのお芝居や舞踊🪭の世界に入り込み、シンガポールに帰ると、普段の忙しい生活に戻り、それでも、若ちゃんに心のオアシスを求め続けて、YouTubeや若手の劇団員が発信してくれる、ライブ配信に夢中になった。
すると、いつのまにか、ライブ配信のチャットにも参加するようになり、スパチャを投げて、受け取ってもらう事に喜びを感じるようになったんよ。
こちらがこんな姿勢を出すと、それに劇団員の方々が応えてくれるようになった。これこそ、人間同士のコミケやと思ったんよ。そして、ついには、劇団員の方々にも、藤ちゃんの存在を覚えてもらえるようなった。
ただ、藤ちゃんの身辺の問題は、解決までには、まだまだどう動くか、わからない状態だった。そんな中でも、やっぱり、若ちゃんの存在が大きかった。
それは、実際には、離れていたけれど、若ちゃんの作品の数々を見たり、若ちゃんが書いた歌を聴いたりしていると、藤ちゃんの人生と重なるところや、心に感じる物があったんよねぇ〜。
若ちゃんの歌、『声が聞きたい』、『笑って』そして、『どれほど旅して』などを聴いたとき、歌詞が心に刺さって、藤ちゃんの思いと重なったのも、偶然ではなかったと感じたんよね。
とにかく、若ちゃんが歩いている道って、藤ちゃんが先に通った道なんだなぁ〜って、なんとなく、そんな気持ちになったんよ。
そうすると、若ちゃんが舞台で発した言葉は藤ちゃんの大きな心の支えとなってたんよ。
たかが推し活、されど推し活。
藤ちゃんの推し活は、ただ、推し活と言う言葉では言い切れない、心の『避難場所』って感じにも思えるねん。
そして、藤ちゃんの今までの偶然やタイミングがいくつか重なって、距離が少しずつ変わっていく流れになった。
まるで、街中を流れる、大きな川の支流を遡ると、元は、山から流れる一本の川であるような感じだろうか?
藤ちゃんは、都若丸劇団の観客のどこにでもいる、ひとりに過ぎなかったが、そのうちに、その距離を超えて、劇団員の方々や若ちゃんにまでも、ひとりのファンとしての存在、海🌊を超えて、遠くから会いに来る『ちょっとレアであり、コアなファン』という位置・存在として、知ってもらえるようになった。
冷静に振り返ると、藤ちゃんと若ちゃんは、職業も年齢も違うし、生きてきた環境も全く違う。それでも、不思議と『生き方の方向性が似ている…』と、マジで感じる瞬間がある。
お互いに、ひとりの人間として、苦しい事、しんどい事があっても、それを抱えたまま、最後には『笑い』に変える…そんな若ちゃんの生き方に、自然と惹かれたのかも?しれなかった。これは、まるで自分!的に感じるから…。
出会いは偶然?必然?そして、今…
若ちゃんとの出会いは、確かに偶然だったのか?それとも、必然だったのか?それは、藤ちゃんにはわからない…。
ただ、一つ言えることは、その出会いがあったことで、藤ちゃんは何度も救われたという事実だ。
そして、今、その出会いを『特別な誰か』ではなく、自分の人生の流れの中で起きた『意味がある出来事』として、藤ちゃんには見えるのだ。
藤ちゃんは人生の終盤…。でも、この出会いは最後の藤ちゃんの心の隙間を埋めてくれた、癒しの空間であり、居場所であり、そして、心のオアシスになったと言う事の喜びを感じているんですよ。
人生100年…。(実際には80年)
人の人生、誰しもがまだ途中。でも、それぞれの人にある『意味がある出会い』というのは、人生の中では大切したい。
藤ちゃんにとって、あの時の若ちゃんとの出会いが、今の私を少し優しく支えてくれているのであった。
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さて、今回の藤ちゃんエッセイどうでしたか?最後までお付き合い、ありがとうございました。私は皆さんに感謝しています。
私の推しの若ちゃんってね、藤ちゃんにとっては、若い男性です。46歳と言う年齢は、若い人からみると、若くは無い年齢なのかも?です。
でも、60歳代を超える藤ちゃんにとって、若ちゃんは、まだまだ、やれるよって思える年齢です。
また、現在の若ちゃんは油が乗り切って、仕事では現役の集大成で、大きく羽ばたいた羽を広げている姿がみえます。そして、その姿は、無理に自分が舵をきるのではなく、自然に風を感じて、その風に乗って飛ぶ鷲🦅のイメージです。
藤ちゃんは今の年齢で鷲🦅になりました。俯瞰の視点を身につける事ができると、本当の自由を手にいれました。若ちゃんもきっと、同じ立ち位置にきてるなぁ〜って。
そして、若ちゃんだけでなく、同じように、鷲🦅になってる人も、必ず、藤ちゃんの周りにもいらっしゃると…。
藤ちゃんは、明日も元気に大空を、両手いっぱいの羽を広げて、風に乗って軽く、風を感じて気持ちよく飛んで、ゴールなど定めることなく、必要に応じて地上の舞い降りたいと思ってます。
では、今回はこの辺で。またの投稿をお楽しみに。




