no.1/4 序文 愛猫とのエピソード

家に帰ると、お風呂場の窓に必死によじ登り、網戸ごしに「おかえり〜おかえり〜」と、まるで日本語をしゃべる我が家の愛猫、あずきちゃんです。

すぐさまに、日中、1人でかわいそうだったねと、あずきちゃんに僕は飛びつき、イチャイチャするのが平日の僕の帰宅後の最初の行動です。

とはいえ、暑い夏には冷房が効いて快適な家の中で、キャットタワーに猫ベッドに人間用のベッドに、広い家の中で様々なお気に入りの場所と、食べ放題の高級猫フード、数カ所にある美味しい我が家の井戸水を入れた水飲み場、外で遊ぶ野良猫たちを見て、と我が家のあずきちゃんは、猫にとってこれ以上ないほどの贅沢な幸せ猫です。

あずきちゃんは、人の感情を読み取ることに、非常に長けていて、その才能は人間以上に的確で賢いものです。

時に僕が、悲しい気持ちに浸った時や、人に理解を求める時も、あずきちゃんは誰よりも早く、僕の気持ちを理解し、慰めてくれているなと感じる節々が多々あります。

それ故に、僕は自分の彼女よりも、また両親よりも、世界で一番このあずきちゃんの事を愛しています。あずきちゃんと結婚ができるのなら、あずきちゃんを嫁にしたいと思った事もあるくらい、愛おしく思っています。


no.2/4 序文 他の動物とのエピソード

そんな事から、ペットと出会い、触れ合い、親しみ、僕は猫だけではなく、動物愛護家になりました。

たとえば、今まで散々憎かったカラスも、彼らと目を合わせ、心を通わせると、不思議なことに、そのカラスは毎日、僕の家に木の実を届けてくれるようになりました。それ以来、我が家へイタズラもしなくなりました。

動物だけでなく、最近は、小さな虫にも、感情があって自己を認識できている自我を持っているとの研究報告があります。
ある人は、トンボを捕まえた後、その目を見ると、不思議なことにとても悲しんでいる目をしていた、あれは何だったんだろう、と言っていました。
これは不思議な事でも何でもなく、虫にも感情があり、その表情を人間が見てとれたという事の裏付けであると僕は感じます。


no.3/4 動物愛護について(少しグロテスクな内容を含みます。閲覧注意。気持ちに余裕があるときに是非読んで頂きたい現実を書きます。)

ここから、話は本題に入ります。
動物愛護についてです。

ぼくたちが普段、食肉を食べるとき、考えることは、美味しいなとか、うまく料理が出来たなとか、そういった事ばかりですが、

その過程において、飼い犬や飼い猫、さらには人間と全く同じ動物という存在である、豚や牛が殺されている事について僕らはあまり考えません。

牛の殺し方は、トラックで屠殺場へ運ばれたあと、自身が殺される事を察し、嫌がる牛は動こうとはせず、屠殺場係が、後ろ足を蹴りつけ、尻尾の骨を折り、痛めつけて言う事を聞かせます。
その後、身動きが取れないように、また座る事すら出来ないように全身を鎖でつながれ、殺される翌日まで食料も飲み水も与えられない中、冷水を長い時間かけられて体を洗われます。
その翌日、ハンマーで眉間を突き刺し、後ろ足を切断されたあと、逆さ向きに吊されて首を落とします。

書ききれませんが、豚の場合はもっと残酷です。

no4/4 アニマルフェアという考え方。

アニマルフェアとは、動物も人間と同じように、この地球に生まれた同じ1つの命であって、また哺乳類というくくりにおいては、むしろ我々人間との遺伝的差異は少ない(DNA構成はかなり人間と近似している事から、人間と違う思考回路や態様を感じるよりもむしろ、動物たちの思考回路や感情は人間にかなり近いものであると推察し、その事から人間と同じくくりにおいて彼らの権利保護や暮らしの環境整備にとり組もうとする価値観です。(大筋は定義のとおりですが、この文章についてはかなり私的論理構成を含んでいます)


このアニマルフェアという価値観に基づく概念や指針は、ヨーロッパ諸国と比較して日本ではまだまだ広がっておらず、日本の屠殺場での指針はまだまだ野蛮で遅れているものです。

僕らがラーメンを食べるとき、ハムトーストを食べるとき、それができるまでの経緯のためには、そのブタさんが、必死に抵抗をし、全力で泣き叫び、悲劇の強制他殺という死に、自らそれを悟りながら死んだ経緯を思い出さなくてはなりません。
ちなみに、ブタには、犬や猫と同等の意識的感情
や思考力があると言われています。
あなたは、今日食べるハムトーストのために、自分のペットを食料目的もしくは金銭目的に拷問的な殺害を行うことはできますか?
ペットが、殺される事を必死で拒み、逃げ、うろたえてもなお、ナイフで首を落とす事は逃れられない、そんな残酷すぎることをまさか、ハムトースト1枚やハンバーガー1個に想定していますか?

人間に当てはめれば、これは旧ドイツナチス連合軍による強制集団処刑殺害の歴史と何ら変わりのない事を、屠殺場では今もなお、ブタや牛たちが皆、悲鳴をあげながら、必死に抵抗しながら、悔しくも大量に殺されているのです。



消費者ひとりひとりの意識が世の中を変えると、僕は思います。
是非、このサイトに目を通されて下さい。