1.(話題の提起)
現代社会と古い時代社会の違いとして人に起きたことは何か。
私はこれの最たるものとして人類の「認識の方法」に関することであると考えています。
具体的には、現代人は〜な問題を解決するために変えようとする、手を打とうとする、対策しようとする。
古典的な時代、人は事態を受け入れる事の方へより重きを置いていました。
2.(現代人に染み付いた思考癖)
都会ではとくに、死者の死因を分析して癌化を防げ、交通の利便性をあげろ、時間には1分たりとも遅れるな、1件のミスすらするな、とばかりに徹底的にそして理論的に、合理性を確保すべき社会を追及する為に人は身を削ります。
人は合理性というものが常に世界において存在しているものと錯覚を起こし、どんな問題事も筋を通すことが大事だ、悪者は必ず悪者だ、合理性のない意見や主張はすべて排除されるべきだというような感覚に支配されます。
結果、そこに生きる人にとって、合理性を押し付ける者も押し付けられる者も皆とりどりにこそ一様に、それらの決め事や理論は彼らの思考や精神を縛るための道具になってゆきます。
歩いている時に人がぶつかって来たともなればふざけるな気をつけて歩け、子供が騒げばうるさい静かにしろといった具合に、全てが問題として解決すべき事柄としてその人の脳内にインプットされる。
このようにして、合理性を追及した社会は人の性質そのものすら支配してしまうとても危険なものです。
人は合理性のあるバーチャル的に創造された社会へ浸かり込む事で、全ての時事や問題は変えることができるものであり、改変しなくてはならないと考えるようになります。
そして、何とかしなくてはならない、手を打たなくてはいけない、注意をしようなどと相手へ要求する行為はしばし相手の存在や自由を否定する事もあります。またこのような自由の否定や存在の否定にはもっともっと大きな世界的な情勢としてのプロパガンダや主義によっても人は合理性や「こうでなくてはならない」といったような合理主義に感化される危険を有しています。
第3項で語りたい事は、あえて変えようとしないという態度の価値観の重要性であり、これらは自分自身にとって心の余裕をもたらす価値です。
3.(受け入れるという古き人類社会において実践されていた価値基準)
受け入れることを習慣化する事は、人としての柔軟さや心の穏やかさを保ち、温厚にもしくは精神的に安定した状態であるために必要な心構えであります。
受けいれるとは精神力としても熟練を要求し、ある日突然そうしようと思って簡単にできるようなものではありません。ですが、思考のパターニングや価値の変容により少しずつ行うことができるようになるものと感じています。
隣人がうるさいとあれば重大な出来事に精神を費やしているのだなと考え(解決的思考では隣人に静かにしろと申し立てにゆく)
また、歩いている時に人が衝突してきたとあれば人混み故そういう事も中にはあるのだなと思い(解決的思考では衝突してきたのだから謝れと言ったり)
傘を盗まれたせいで帰りにずぶ濡れになってしまったとあれば悲しいけど仕方ない、そういう経験も人生の初体験となった(解決的思考では自分も盗まれたのだから他の誰かのビニール傘を勝手に拝借する、傘を置いた店へ事件として申し出る)
この受け入れる事を自身に備えることにより、
怒りや理不尽をぶつけて来た人に対しての接し方は柔和となり、物事を俯瞰的に捉える事ができるようになるための手段の1つでもあります。
過ぎた事を経験として捉え、負の連鎖を自分が断ち切り、相手への責任追及を止む事により自身の怒りのコントロールをする事で自身の健全な心身を育むものであると私は捉えます。
4.(人の死に関する捉え方への影響)
例えば、人は必ず死ぬ生き物です。
死ぬ事は悪であり非日常であり、その人にとって稀有な事件であるかのように認識されているように感じる事が私にはしばしあります。
ですがむしろ死ぬ事ができない人間というのはいません。
そのくらい死ぬ事はもはや人にとって日常であり当たり前のありふれた出来事ですが、現代社会は死ぬ事から目を背けて生きているように私には感じます。
古き社会や農村社会では、集団社会、村集落としての共同活動により、死を日常的に観察する事が多く、それが日常化したものとして存在していました(います)。
病名を診断される事なく老衰死として亡くなる方々が大半でした。
そのような社会で人は、自然という大きな存在に争う事はできないという事を悟り、自身の等身大の人としての小さな存在に謙虚な気持ちを育む体験にあふれた暮らしがありました。
人の死においても、古き社会においてはよりそれを受け入れやすい価値が人に備わっていたものと推察します。
5.(現代社会において頭の片隅におくべき1つの基準)
現代社会はとても便利で裕福なものとなりました。
蛇口をひねれば飲み水が出る、ワンタッチでお風呂を沸かせる、食事は様々なものを手に取るように選ぶことができる、家は暖かくもしくは涼しくて快適です。
そのような満たされた暮らしの一方、私たちが直面する数多くの合理性の追求の裏に、自然界に沢山存在するどうにもならない事柄を受け入れる価値基準を想起し、またこれによって内面の強さや心の平穏を得る事で他者に寛容でいられる事は、現代社会で忘れがちなしかし大切な価値かもしれません。
受け入れる心は、日常の中で小さな不満や理不尽に向き合うための柔軟さを育むものです。すべてを合理的に解決しようとする前に、一度立ち止まり、受け入れることで得られる心の平穏を大切にする姿勢が、私たちの豊かな人生を築く一助となるのではないでしょうか。
ことを受け入れる
受姿勢は、私たちが直面する多くの問題に対する柔軟さと強さを与えてくれます。心の平穏を保ちながら他者や状況に寛容でいられることは、現代社会で忘れがちな、しかし最も大切な価値かもしれません。