ここのところ、僕がかつてお世話になった方達が亡くなられる事が度重なり、お通夜、ご葬儀に参列する事が多い日々です。
母を亡くし、僕を応援してくれた先輩を亡くし、祖母を亡くし、お世話になり僕の人生を支えてくれたかつての上司を亡くし、友人を亡くし、恩師を亡くし、叔母を亡くし、取引先の僕の事をプライベートまで関わって気に入ってくれた方を亡くし....。


僕にとってかけがえの無い存在であった人の死に、僕は絶望的な気持ちになります。
あの時の、唯一無二の楽しい記憶や感動的な場面は故人と僕2人だけの記憶であったのに、もうこれであの時の体験は僕の「記憶」の中にしかない架空の存在になってしまったのか、と。
人というのは、生きてるから、死ぬんです。
死ぬというのは、特別な事ではなく、誰しもに一度必ずある事です。

人というのは必ず死ぬものなんだ。
だから、僕は葬儀の度に、頭に思い浮かべる言葉があります。
「けれど、僕が故人の最期を看取ってあげられて良かった。僕の精神の中で、故人の死を受け止める事が出来れば、それだけで済むのだから。故人自身はもう失う悲しみを感じなくて済むのだから。そして、人間は必ず死ぬのだから、僕が先に死ぬか故人が先に死ぬかのどちらかしか選択肢は最初からなかったのだ。だから、その2つしか無い選択肢のうち、僕が看取ってあげられる方の選択肢であって良かった、と。」

そして僕自身も、こうやって、絶望を乗り切る事ができると思います。

生きてる人、残された人々が、悲しみに打ちひしがれるだけの日々を過ごすのではなく、故人の死を感じる事によって、「生」の尊さを知り、残された者達が今感じる事ができる「生」をより楽しみ、堪能しなくてはならないのです。