① 導入
近年、日本社会に対して、単なる制度上の問題では説明しきれない違和感が蓄積しているように感じられます。
自転車走行に関する道路交通法の運用、政治や報道に対する不信、外国人渡航者による日本の健康保険制度の悪意的乱用、搾取的商法やそれを野放しにするような法整備、環境保護を謳いながら環境破壊を繰り返す行政や資本企業――これらは個別の問題として処理されがちですが、それだけでは全体像は見えてきません。
② 共通構造の抽出
これらを整理すると、「制度は整備されているが、運用は不透明である」という共通構造が浮かび上がります。
形式上は公平性や中立性が担保されている一方で、実際の適用においては裁量の幅が大きく、その結果として選別的な作用が生じ得る状態です。
本稿ではこの構造を「隠密主義」と定義します。
これは、ルールが存在しているにもかかわらず、その実態が外部から把握しにくく、内部的な判断によって現実が形成されていく統治形態です。
これに対して、「全体的一律主義」という対照的な原理が存在します。
こちらは、ルールの明確化と公開、そして全体への均一適用を志向し、合理性と対称性によって社会を構築しようとするものです。
③ 二つの統治原理
日本社会をこの二つの原理で捉えると、制度は一律主義的に設計されているにもかかわらず、運用は隠密主義的に行われているという「二層構造」が見えてきます。
この乖離こそが、多くの違和感の源となっていると考えられます。
さらに視野を広げると、この構造は日本固有のものではなく、世界的な統治原理の対立の一部として位置づけることが可能です。
例えば、中国共産党に代表される統治体系は、情報統制や内部的意思決定を重視する点において、隠密主義的な特徴を強く持つと捉えることができます。
また、歴史的に見られる韓国の李王朝体制も、階層性や選別性、旧華族的構図を内包した統治構造の一例として位置づけることができます。
また、新出雲族と呼ばれる勢力においてもこのような隠密主義的な思想が伺えます。
一方で、アメリカ右派、ロックフェラー財団のような組織に象徴される思想的潮流は、制度の整備や合理的枠組みの構築を通じて、全体的一律主義の方向性を推進してきた側面があると考えられます。
さらにイスラエルに関連する思想的枠組みにおいても、明確なルールと合理的判断を基盤とする構造が重視される傾向が見られます。
④日本の位置付け
このように整理すると、世界は単に国家単位で分断されているのではなく、
「隠密主義」と「全体的一律主義」という二つの統治原理が、複層的に重なりながらせめぎ合っている構造として捉えることができます。
特段、明治維新や戦後復興においてはこの隠密主義的な改革と全体的一律主義的な法整備の2つの統治原理が複層的に絡み合って仕上がったものと捉える事ができると思います。
日本は、形式的には一律主義の枠組みを採用しながら、実際の運用においては隠密主義的な要素を強く帯びているという、特異な位置にあるように見えます。
⑤国際的構造への接続、2つの対立的価値を把握するマクロ視点の重要性
この視点に立つと、個別の政策や事件は単なる偶発的なものではなく、どの統治原理がどの程度作用しているかの“表出”として理解されます。
世間においては、個別の出来事や主張に対し、批判や否定的な反応が生じることもあります。
しかしそれは、多くの場合、個別事象のレベルでの評価と、構造全体を俯瞰する視点との間にある認識の階層差に起因していると考えられます。
重要なのは、部分的な評価にとどまらず、全体構造や大きな派閥的対立において何が起きているかについて方向性を位置づける視点を持つことです。
統治原理という枠組みから社会を見たとき、初めて見えてくる連続性や一貫性が存在します。
日本社会の現状をどのように評価するかは容易ではありませんが、
少なくとも「形式と実態の乖離」、そしてそれが世界的な統治原理の中でどのように位置づけられるのかを考えることは、現代社会を理解する上で重要な手がかりになると考えられます。
⑥まとめ
このような2つの相反する勢力は現在の日本社会をカタチ作っていると私は考えています。
隠密主義的統治と全体主義的統治は世界構図としての覇権争いにおいても成立する構造であり、様々な情報や主張を要約して把握する上で重要な基礎になるものと感じています。
また、この考え方が思考フレームとしての発展性や、将来の様々な出来事に対して継続的な展開の可能性として読者様の視点の参考になりましたら幸いです。