今日、フッと気付いたこと | 新地球人の常識

新地球人の常識

今までの常識の延長線上に「明るい未来」はないみたいです。
今はまだ土の中にある新しい考え方(生き方)の「種」が,
もうすぐ「芽」を出して新しい常識になるでしょう。
こんな「種」や「芽」について語ります。

私はバスが好きで、用がなくても乗ることがあります。

今日も日課の散歩をしていて家から駅まで歩いたのですが、脚が疲れたので駅からはバスに乗って返ってくることにしました。

 

 

駅のロータリーには、信号がない横断歩道がいくつかありますが、歩行者や自転車に乗っている人は、公共交通のバスは必ず横断歩道の手前で一時停止すると思っているようで、横断歩道を渡る時に誰も一時停止をしません。

バスから見ていると横方面は無視して首を回すことすらしない人もいます。

多くの人は横断歩道に近づく車を横目で見ながら、近づく車がバスなら一切停止せずに横断歩道を渡っていきます。

 

歩行者や自転車に乗っている人の頭の中を想像してみると、横断歩道では歩行者優先だから、優先的に渡る権利(これは正義と同じ)は自分にある。

だから車は一時停止して当然だ。という思考だと思います。

相手(バスの運転手と乗客)を慮る(おもんばかる)のではなくて、当然のように自分の権利を主張するということでしょう。

 

フッと気付いたのですが、これってネットで他人を厳しく批判する人と同じだな~。

ある芸能人が不倫をした。不倫は悪いことだ。

自分は不倫をしていない。

この問題に関しては、私は正しい(正義)。だから正論で相手を非難しても、これは正しい行為だ。

 

相手の目の前で非難することは出来ないけど、ネットでは出来る。

 

 

この相手を批評する・批判する・非難することは、ヴェーダでいう二元性(二元論)の代表的な例です。

「自分と他者を区別する」これは目に見える世界しか理解しない人たちにとっては当たり前の行為です。

こういった当たり前の二元性が作ったのが現在の世界です。

たくさんの問題や課題がある今の世界です。

これらの問題や課題は、二元論では決して解決しないのではないでしょうか?

 

まったく関係ないように思えるけど、人を非難することと、自分の権利しか見えないことは同じことだと思います。

両方ともに、自分と他人、日本と外国、同じ会社の人と他社の人、同郷の人と他郷の人、なんでも区別します。

区別する癖が、時に攻撃的なエネルギーを作ったり、他人を無視する行為につながります。

 

皆さんは気にならないかもしれませんが、この宇宙では(目に見える宇宙は全体のほんの一部でしかありませんが)「考えること」と「発言すること」と「行為として行うこと」の3つは全て同じ影響力を持っています。

あなたがある人に対して、殺意を抱いたとしましょう。

もちろん殺人行為を行うことは犯罪で、一般的には「殺意を持つ=殺人を犯す」とはなりません。

しかしながら、「○○のやつを殺したい」と考えることや口に出すことは、行為としての殺人と同じエネルギー(ネガティブな)の量を持ちます。

このエネルギーは、(目に見える宇宙を含む)宇宙全体に放射されて、自分のカルマとしてあなたの本質(本体)のデータベース上に書き込みされます。

 

こうやって今生に作ったカルマは、前世までに作って今生に持ち越しされたものと合わせてあなたの今後の人生にマイナスの影響を及ぼし、場合によっては次回地球上に再生した時に持ち越しされます。

 

こうやって人は生まれた時点で違った境遇・環境に身をおくことになります。

人間は平等だと教わるけど、実際に生まれて育つ環境が人によって大きく異なり、幸せな人と不幸な人がいるのは事実だ。

もし神様がいるならなんでこんなに不平等に生まれてくるのだ、と言う人がいます。

原因のカルマについて、死んであちらに戻って気付く人、死んでもあちらに戻る前に無明な世界で孤独を味わって気付くまでに長い時間がかかる人、今生でカルマに気付き二元論を卒業して死んでから地球に再生しない人、魂の行き先は多種多様ですね。