【005 #B級F1ドライバー #F1jp 】エステバン・トゥエロ | B級F1ドライバー列伝

B級F1ドライバー列伝

F1界ではもうひと踏ん張りな活躍ぶりだったドライバーを
ゆるく紹介します

※以前、自分のほかのブログで

書いたものを加筆修正しました。

 

 F1では何だかよくわからないうちに

やってきて、去ってしまう

ドライバーがいます。

 その一人がエステバン・トゥエロ

 アルゼンチン出身のトゥエロは、

母国マネー(つまりスポンサー)を

持ち込んで、若干19歳で

F1デビューを果たします。

 1998年にミナルディチームから

デビューし、1年間通して走りました。

 予選最高位は17位、

決勝の最高位は8位。

 全16戦中、4戦完走。

 正直、見るべきものはなにも

ありません。

 強いて言えば、そのデビューした

年齢くらい。

 当時は歴代3番目くらいの

若いF1参戦でした。

 

 

 

 

 

 


 もしかして、母国GPでのピットインで

こんな失態(本人のせいじゃないけど)が

あったから、1年でF1を去ったのか・・・

たぶん違いますね。

 翌年の99年には、アルゼンチンGPが
なかったので、トゥエロからも

スポンサーが離れたと見るのが

短期間のF1参戦に終わった

理由の一つだと思います。

 実はF1に来る前の年に

日本のレース「フォーミュラーニッポン」

(現スーパーフォーミュラー)に出て、
6戦出走、1回入賞の1ポイントを

獲得しています。

 だから、日本から世界へ

羽ばたいていった人とも
言えるのではないでしょうか。

 F1界で長くやろうと思えば、

下位カテゴリーを飛び級したり、

一日でも早くチャンスを掴むことが
求められます。
 
 それでも一生F1に関われない人が

大勢います。

 トゥエロの場合、とりあえず1年間の

フル参戦が出来たわけですから、

良かったのではないでしょうか。

若いに越したことはないが、

何か光る部分がないと、
生き残れないのだと

感じさせてくれるドライバー
だったかなと思います。

 

F1界からの突如引退した後は

母国アルゼンチンのレースなどに

出場していました。

 

そして、2016年をもって

プロドライバーからも

引退を表明しました。

 

当時のチームメイト

中野信治選手は現在も

レーシングドライバーを

しています。

 

あらためてF1から離れても

その人生は長いのだと

感じますね。

 

好きなレーシングドライバーは

長くやれたわけですから、

幸せな人生ですよね。

 

中野選手のTwitterを

見ると、思わずトゥエロを

思い出すことから、

今回はエステバン・トゥエロを

取り上げてみました!