私が大学3年(1975年)の時に乗ったカナディアン号が未だ走っているのを知って嬉しくなりました。当時はCPが(CNの線路を使って)運行していましたが、現在はVIAが(CNの線路を使って)運行しています。車両は当時と全く同じ車両をリニューアルして、側面の帯がレッドからブルーに変わっているだけです。

カナディアン号はバンクーバーからトロントまで5日掛けて走っていますが、私はロッキー山脈を縦断してコロンビア氷河とルイーズ湖を見るのが目的だったので、バンクーバーからジャスパーまでの1泊2日に乗車しました。列車はジャスパーからエドモントンへ行ってしまうので、私は車で州道93号線でルイーズ湖まで行き、そこから国道1号線でカルガリーへ行き、飛行機でトロントへ向かいました。勿論、トロントではナイアガラの滝を見ました。





バンクーバーを出ると列車は一度南西へ向かいフレーザー川を渡り、再び北東に向かって走ります。列車は河岸を直角に曲がってパタロ橋を渡り、再び直角に曲がって反対側の河岸を走るので、列車の前方を全部見る事が出来ます。編成は20両以上あり、橋を渡った車両は反対方向に走っているので壮観でした。




ジャスパーに着く前にロッキー山脈最高峰のロブソン山が見えます。また、そこら中に湖があり、カナダは森と湖の国である事を実感出来ます。


ジャスパーで食べたムース(ロッキーマウンテンヘラジカ)のステーキが美味しかったです。

Canadian Pacific Dome Buffet Coach

カナダ太平洋鉄道は、1954年と1955年にフィラデルフィアのバッド社から177台のステンレス鋼の客車を入手しました。18台の新車は、各方向の2つの大陸横断列車で構成され、Dominionとまったく新しいCanadianに割り当てられました。 このオーダーの客車には、18台のドームビュッフェコーチが含まれ、それぞれの合計座席数は73人でした。 それらは500から517まで番号が付けられ、それぞれが番号の上にスカイラインという名前を持っていました。 側面にはCPRワインレッドのレターボードがアクセントになっており、当時のビーバーヘラルドが車の端近くのウインドウ・ピア・パネルに適用されていました。  1974年7月、500号車と507号車がデラウェア・アンド・ハドソンのコロニーショップに移動し、黄色が栗色の帯に取って代わりました。  No.500はNo.36ブラフポイントになり、No.507はNo.35ウィルズボロポイントになりました。 彼らは、ニューヨーク州アムトラックが後援するアディロンダックに配属されました。  2台の車は約1年間デラウェア・アンド・ハドソンに留まり、その後カナダ太平洋鉄道に戻りました。



Sleeping Car & Dome Lounge