1977年に撮影した写真が出て来ました。
(1)石狩湾を走る函館本線の特急「北海」(キハ82)
(2)糠平湖を走る士幌線の各駅停車(キハ12)
(3)上厚内川を渡る根室本線の各駅停車(キハ22)
(4)狩勝峠を下る根室本線の特急「おおぞら1号」(キハ82)



液体式ディーゼル動車の試作と発展

液体変速機が内燃動車に取り付けられたのは、戦前の昭和15年のことである。
当時スウェーデンのSRM社と技術提携した神戸製鋼(その後、振興造機から現在の神鋼造機) がDF1.15形液体変速機を試作し、GMF13形ガソリン機関に取り付ける研究が行なわれていた。研究が進んだ昭和15年10月には、キハ41038 とキハ41105に取り付けて姫新線の姫路一播磨新宮間で走行試験が行なわれた。
しかし、戦争が拡大したためにこれ以上の研究を進めることができず、中断されたまま戦後に引き継がれている。
昭和25年に、ディーゼル動車が本格的な営業運転に入るとすぐに2両以上の併結運転の要請が強くなり、電気式と並行して液体式の総括制御方式の研究が始められた。
幸いにも、戦前に試作されていたDF1.15形液体変速機が 鉄道技術研究所に保管されていたので、名古屋工場でキハ42503・42504の2両に取り付けて詳細に検討されたうえ、昭和27年12月に川越線で試験運転を行なった結果、非常に良好な成績をおさめることができた。
また、振興造機では試作品のシール方法、クラツの容量、サーボモータの構造を改良したTC-2形液体変速機の生産が可能になったので、DMH17B形160PS 機関と組み合わせて総括制御が可能な液体式ディーゼル動車キハ44500形 (キハ15) 4両を昭和28年3月に日本車輛で試作し、大宮機関区に配属して川越線で試用した。
この形式は量産形のキハ44000形と外観が酷似していて、 前面の形状は昭和25年に出現した第2次の湘南電車クハ86形の流れを汲んだ、2枚窓の半流線型をしている。
側面は、量産形のキハ44000形で採用された気動車独特の二段式側窓が用いられているので電車とはやや趣きが異なるが、側扉は横須賀形と同じく3つの扉を備えており、室内設備も極力、軽量化を図るためメラミンプラスチック化粧板の採用、軽合金の大幅採用、3mm厚さの窓ガラスの使用などが採り入れられた。
試作車の性能が優秀であったため評判がよく、昭和28年からはキハ44500形の試作経験をもとにしてキハ45000形 (キハ17) の量産が開始され、その後の液体式ディーゼル動車の基本が確立した。
キハ45000形の車体構造は、全国の各線区で使用できるよ うにとの配慮から運転台を半室とし、前後部とも貫通形とし たので編成の組み方が容易になり、後部には便所・洗面所が設けられている。
前期に製作されたものは客室の腰掛がすべて客車と同じよ うに横形になっていたが、混雑時の乗降には不便なので、後期製作のものからは、出入口部の腰掛は長手のものに変更された。
また、この基本型からは機関の排気管は客室の中央部両側に通して排気を屋根上にみちびき、客室への排気臭を減少させたり、戸閉作用が自動の戸閉機械を初めて使用したり、並型自動連結器とも連結ができる密着式小型自動連結器を採用するなどの、設計改良が行なわれた。
また、液体変速機は量産から、米国のTwin Disc 社と技術提携していた新潟コンバータのDF115形も国鉄標準型として採用されている。
その後、昭和28年から29年にかけて同系列に属する運転台なし便所なしの中間車キハ46000形 (キハ18)、ディーゼル動車としては初めての1・2等合造車キロハ47000形 (キロハ18)を製作し、またキハ45000形式から便洗面所設備をなくしたキハ45500形(キハ16)を製作して定員の増加を図った。
これらの車両は2両以上の編成を組んで走ることを前提に計画されていたが、実際の運用面では必ずしも全区間同じ編成両数で通す必要がなく、閑散線区に入ると途中から切り離して単車で運転したほうが経済的なケースも多いことから、昭和30年には両運転台、便洗面所つきのキハ48000形(キハ11 その一部には温気暖房器、デフロスタなどの寒冷地対策を施した北海道用として製作)、同じ形で便所のないキハ48100 形 (キハ10 本州用)、北海道の二重窓つきキハ48200形(キハ12 北海道用として作られたキハ48000[キハ11101~ ]でもなお暖房能力が不足であったため製作された)が出現している。
これまでのディーゼル動車は勾配の比較的少ない平坦線で 使用されていたが、使用範囲が拡大するにつれて勾配線区で使用されるようになると、DMH17 B形160PS 1台では勾配の均衡速度が低くなり、さらに強力なディーゼル動車が要望されるようになった。
当時は大出力の機関が開発されていなかったので、DMH 17B と液体変速機を2組搭載することが計画され、昭和29年にキハ44600形 (キハ50) 2両が試作された。
これによって25%の勾配の均衡速度は約25km/h から約40 km/hと、飛躍的に改善されることになった。
この車両は、床下に2組の機関と液体変速機を取り付ける ため、心皿間距離がキハ45000形より2m延びて連結面間距離が22mとなり、国鉄の旅客車の中では最長の車両となったが、車軸間の最大間隔が転轍器の保安装置に支障することがわかったため、2両のみの製作にとどまった。
キハ44600形は、のちに改造されてキハユニ17形となっている。
この試作車をベースにして、2台機関つきの量産車である キハ44700形 (キハ51) が昭和31年から製作されたが、心皿間距離を1m縮めて14.3mとしたため、連結面間距離も20.6 mとなった。

準急用ディーゼル動車の活躍

昭和31年、上野一日光間に観光用ディーゼル動車を投入して2時間運転を行なうため、2台機関つきのキハ44800形(キハ55) が製作された。このキハ44800形は車体の幅が 2,800 mmに拡大された軽量構造の大型車で、側出入口部には出入台を新設、座席幅や間隔の拡大、軽合金製窓枠の使用、放送装置、扇風機の取り付け、室内照明の螢光燈化(昭和32年以降) などが行なわれ、とくに車体外部色は明るいクリーム色に赤帯を配したスマートな色彩とするなど、準急用にふさわしい近代化車両となった。
日光準急の成功に刺激されて全国各地で準急列車が計画され、室内設備の一部改良、照明設備の強化、乗り心地を改善するためにユレマクラにコイルバネを使用したDT22系台車 を採用した量産のキハ55 ・ キハ26・キロハ25形が完成して活 躍した。ちょうどこの時期、昭和32年4月1日に車両称号規程が改正されて ( )内の形式番号となった。

大型化・近代化への歩み

一般形はもともと地方線区用として発達したために、できるだけ軽い車両が要求され、車体も小型のものが使われていたが、キハ44800 は重量を増加させることなく大型化に成功したので、この経験を生かして昭和32年からは車体幅を2,800mmにひろげたキハ20形(両運転台) ・キハ25形 (片運転台)・ キハ21形(北海道用両運転台)が製作されて、旅客へのサー ビスは一段と向上した。これらの形式は大型化と同時に側出入口が車端から中央に移されて乗降が便利となり、その後の一般形の標準となった。
ディーゼル化が進んで客車列車が減少して行くと郵便荷物 ディーゼル動車が必要になり、はじめて郵便荷物合造車キハユニ25形(北海道用)が昭和33年に誕生した。
このようにいろいろの用途のディーゼル動車の製作を経験 したので、設計を標準化して量産態勢を固めるために、昭和33年にディーゼル動車の系列化を行なって、一般形・一般形 (北海道用)・準急形の3種に統一し、各用途に応じた車体構造、室内設備の改善が進められた。
すなわち、車体の側構や屋根、台枠などには軽量型鋼を採 用し、一般形の窓は軽合金の二段式窓、北海道用は小型の二重窓、準急用は1枚ガラスの大型窓が標準設計となった。
機関は、まず予燃焼室の噴口の形状を変更することによっ て出力を 170PS/1,500rpmにし、さらに噴射ポンプのプランジャ径を増大することによって 180PS/1,500rpmに出力を向上させ、形式もDMH17Cに変更になった。
台車枠の側梁は電車と同じ形のプレス構造とし、準急用と 同じくマクラバネを全面的に採用するなど、大きな設計変更がこのときに折り込まれている。
量産形式としてはキハユニ25形のほかに、同じく暖地向け の郵便荷物合造車キハユニ26形、勾配線閑散線区用の強力両運転台形のキハ52形、北海道用一般形としてキハ21をさらに耐寒用としたキハ22形、全車2等車のキロ25形の諸形式が製作されている。
昭和34年9月には外部塗色の変更が行なわれ、従来、窓回 り黄褐色、幕板・腰板部は青色であったのを、窓回りをクリーム色とし、幕板・腰板部分を朱色とする、いちだんと明るいものとなった。
また同じ月の22日には、キハ26形・キロ25形で編成した準急が急行に格上げされて、常磐線に初のディーゼル急行〈みやぎの〉として上野一仙台間におめみえし、一般車とは逆に窓回りを赤色に、幕板・腰板部をクリーム色とし上下に赤帯 を入れて他の準急と区別した。これによって急行用・準急用・一般用の3種類の塗分けができあがった。

試作ディーゼル動車の開発

昭和34年末にはディーゼル動車の保有両数も2,000 両に近くなり、当時すでに運転されていた電車や客車の編成特急につづいて、ディーゼル特急実現の機運があった。
昭和35年になると、ディーゼル特急列車への高速化にそな えて、大出力ディーゼル動車キハ60形 (2両)・キロ60形(1 両)が試作された。
DMH17形機関2台を上回る400PSの、過給機つき横形機 関、三段切換え逆転機内蔵、充排油方式の液体変速機、2軸駆動、車輪輪心にディスクを取り付けた方式の油圧ディスクブレーキ、機関冷却用送風機の静油圧駆動、アルカリ蓄電池,、外吊り側引戸、車体の防音、防振対策など、将来のディーゼル動車に必要と思われる試作要素が、数多く採り入れられていた。
しかし、大出力機関と組合せ使用する液体変速機や2軸駆動などの試作要素の検討に時日を要している間に、DMH17 系を取り付けた特急・急行用のディーゼル動車が発展したため、3両の試作車のままで終わってしまったが、試作研究の結果は、その後の大型ディーゼル機関や新系列ディーゼル動車開発に大きく貢献した。

貨物ディーゼル動車の試作

昭和35年、閑散線区の貨物輸送を合理化する目的でキワ90形貨物ディーゼル動車が試作された。
180PS のDMH17 C形機関1台を搭載した鋼製2軸有蓋貨 車で、みずからは約7tの貨物を搭載することができるほか ワム車を2~4両程度牽引できる小型ディーゼル機関車とし ても使用できる性能をもっていた。
南九州の妻線で使用されていたが,同線の貨物営業廃止にともなって休車となり、1両は廃車され、他の1両は装柱車 (ヤ390形)に改造されている。

特急形ディーゼル動車の完成

昭和35年ごろには、東海道本線に〈こだま〉〈あさかぜ〉の特急列車がデラックスな車両で高速運転を行なっているのにくらべて、見劣りのする東北本線の〈はつかり〉を新編成に置き替えたいという要望があり、また全国の幹線・亜幹線に特急列車を新設したいという希望が高まっていた。
ディーゼル動車は他の旅客車に比して機関の騒音や振動と いう悪条件があるので、この問題は解決しなければ乗り心地のよい特急列車を作ることは困難である。しかしくあさかぜ〉〈こだま〉などの実績やキハ60形の試験結果から、振動・騒 音の防止に十分自信が持てるようになっていたので、横形機関の開発などまだ検討事項は残されていたものの、ディーゼ ル特急の誕生の機運はしだいに熟しつつあった。
たまたま、昭和35年10月に第2回のアジア鉄道首脳者懇談会(ARC)が東京で開かれることになったので、近代化の実情を紹介するほかに、ディーゼル動車の輸出が有望なアジアの鉄道関係者にわが国のディーゼル動車の優秀性を見てもらおうという話が持ちあがり、急拠、ディーゼル特急 が製作されて〈はつかり〉をディーゼル化することになった。 この車両は、長年わが国鉄が育て上げてきた経験のある技術を積み重ねて製作する方法を採ることになったので、180PS 機関を各車の床下に搭載する従来からの動力分散方式を踏襲し、車体構造、冷暖房設備およびその電源はキハ60形、〈あさかぜ〉 〈こだま〉の技術を参考に、集中式で進められた。
機関はDMH17Cをそのまま横形にしたDMH17H形機関を〈はつかり〉用として使用することになったが、機関の製作も含めて期間が10ヵ月という短時日であったため、国内の 旅客車メーカの総力をあげてこの計画に参画してもらうことになり、ディーゼル動車メーカーのほかに電車・客車のメーカーを加えた9社と国鉄が共同設計にあたり、各社の技術を生かすことにした。
編成は食堂車を含めた9両で、先頭車キハ81形(2両)・ 中間2等車キハ80形 (4両)・中間1等車キロ80形(2両)・ 食堂車キサシ80形 (1両)の4形式で形成し、編成定員1等 96名・2等368名、合計464名、最高速度100km/hで12月10 日から上野一青森間 (750km) の営業運転を開始した。
ところが新設計部分の十分な試用期間がとれないままに営 業運転に入ったので、運転開始直後は初期故障の続出に悩まされたが、その後、関係者の努力によって逐次改善され、安定していった。
ディーゼル特急〈はつかり〉の登場によって、非電化区間 の特急化は昭和36年10月の白紙ダイヤ改正で一拠に花を咲かせることになり、〈はつかり〉を改良したいわゆる第2次デ ィーゼル特急が新製された。第2次ディーゼル特急は、先頭車キハ82形 (2両)・中間2等車キハ80形 (2両)・中間1等 車キロ80形 (1両) ・ 食堂車キシ80形 (1両)の6両編成を基本編成とし、キハ82形は分割併合運転を考慮して貫通タイブとし、電源機関は床下に移された。また、食堂車も駆動機関つきとなり、ブレーキ性能向上のために全形式ディスクブレーキに変更されている。

急行ディーゼル動車の発展

寒冷地用の強力形がない北海道や、台車構造の関係でディーゼル動車の通過ができなかったアプト区間のある信越地区から、スピードアップのために急行列車のディーゼル動車化が強く要望されたので、特急で採用した横形機関DMH17Hを、搭載し、温水暖房方式の採用、急行用にふさわしい接客設備を有する一連の急行用ディーゼル動車が、昭和36年から誕生することになった。製作された形式は
北海道用_ 信越用_ 本州用_ 修学旅行用
キハ56      キハ57      キハ58      キハ588
キハ27                        キハ28      キハ288 
キロ26      キロ27      キロ28
の各形式で、北海道用・信越用・本州用の順に登場したが、 これらの急行形は本州用のものを基本設計とし、北海道用・ 信越用は地域の特殊事情を加味して若干の変更を加えている。
車体幅はこれまでの大型車よりさらに大きくなって2,900 mmとなり、側出入口の拡大、二重床構造、螢光燈照明、化粧室の新設、逆転機補助嚙合せ装置、車側表示燈、シールドビーム前燈の採用など、優等列車にふさわしい改良が行なわれ ている。信越本線はアプト区間を通過するため。ディスクブレーキ、空気バネのDT31台車が採用されている。
これよりのちは、全国各地の要望はもっぱら急行形に集中 されるようになった。
昭和36年度末には、北九州から関西地区への修学旅行用に 車内設備を一部変更した修学旅行用ディーゼル動車が製作された。シーズンオフには一般急行用としても使用できるようになっており、番号も800番台をつけて区分しているが、外部色は電車と同じく黄色と朱色の塗分けになっている。
その後、急行形は昭和37年に2台機関つきのキロ58形が中央東線に登場してキロ28形と置き換えられ、夏冬の多客期にも十分出力に余裕が出せるようになった。
急行形ディーゼル動車はその後も増備をかさねる一方で、各地で急行列車が増発されてその編成もしだいに長大化してきたので、ブレーキ装置、制御装置の長大編成化、戸じめの自動化が各形式に採用された。
昭和38年の夏にはキロ28形に冷房装置の取付けが始めて試行され、自動車用の機関を使用した小型ディーゼル発電装置を開発して、その後1等車全車に冷房装置の取付けが行われた。つづいて2等車にも冷房装置を取り付ける計画が進められ、昭和43年度から3両給電方式によるディーゼル発電装置をあらたに開発してキハ28形に取付けを開始した。
しかし、勾配線区に運用される急行列車は2台機関つきの キハ58形で編成されることが多く、一方、急行2等車の冷房を行なうためには3両に1両はキハ28形の電源車を必要とするので、機関出力を低下させずに冷房電源装置を設備できるキハ65形が昭和44年に誕生した。
駆動機関には新系列ディーゼル動車に採用されたDML30 HS系機関を搭載し、車体構造は出入口扉に折戸、窓にユニット窓を採用するなど一部改良されており、台車も新系列ディーゼル動車と同じ系列のDT39. TR28を使用している。

通勤形・近郊形ディーゼル動車の誕生

長距離の特急・急行に新形式を続々と誕生させた反面、都市周辺の通勤輸送にも力を入れることになり、昭和36年末、関西 本線の奈良一湊町間のラッシュ緩和のために、広幅出入口の長手腰掛式の通勤形を新しく製作することになった。最初は 便所つきのキハ35形を新製したが、ついで便所のないキハ36形、さらに昭和37年には両運転台のキハ30形が生まれている。
車両の構造は運転台が片側の貫通タイプで、片側に3個の 広幅出入口をもち、座席はすべて長手腰掛である・扇風機・ 螢光燈・車内放送用拡声器などが設備されていて、通勤形としては十二分の設備をもっている。ディーゼル動車としては 初めてのステンレス鋼板を外板に使用したキハ359も、この時期に10両製作され、千葉地区に配属されて活躍していた。
昭和41年になると都市近郊の通勤輸送と中距離輸送の両方 が兼用できる安価な車両を望む声が強くなり、一般形車体を基本とし、運転台に人間工学を採用した近郊形が製作された。製作された形式は
北海道用_ 本州用
キハ24        キハ23 キハ45
キハ46        キハ53
の5形式で、キハ53のみが2台機関つきである。キハ45形・ 46形は片運転台、その他はすべて両運転台で、本州用のキハ23・45・53形は出入口幅が1,300mmの両開戸、戸口両側は通勤時の混雑緩和のため長手腰掛となっている。
キハ45形には客室の一部を必要に応じアコーディオンドア で仕切り、簡易郵便荷物車として使用できる車両もあり、番号は601 号以降を付して区分している。
北海道用のキハ24・46形は酷寒地用のため出入口は客室両端に移して出入台方式とし、側窓も一段上昇窓になっている。


新系列ディーゼル動車の転換

ディーゼル動車は標準が液体式に定まってからでも、機関の多少の出力向上と縦形から横形への変遷はあったが、その主体はDMH17系の機関で標準化されてきた。
このことは、ディーゼル動車の発展にとって非常に大きな 役割りを果たしてきた反面、180PS の機関出力では不足であって、くはつかり>の特急編成でも最高速度100km/hが限度であり、また冷暖房設備を設置するとなると勾配線区用の急行形も出力が低下して、運用面で支障を生じるという弊害が出てきた。また長大編成化にともなって2台機関つきの車両を多く使用すると、あまりにも使用機関台数が多すぎて保守面で人手を要しすぎる欠点があり、液体変速機の変直切換えには熟練を要するので、取扱いが適切でないとクラッチが故障する。できれば自動切換えが望ましい、などという要望も加わって新しい動力装置を開発する機運が生まれたが、1機関の出力を250~300PSとして全車を動力車とする案と、床下に搭載できる形状寸法のなかで最大出力と思われる500PS 程度の標準機関を使用してMT編成とする案との、選択を迫られることになった。
昭和37年からクラッチや過給つき機関、さらに中間冷却器つきの過給機関を試作し、昭和41年には300PS 機関搭載のキハ90形(1両)と500PS 機関搭載のキハ91形 (1両)を試作し、各種の性能テストを行なった。その後、500PS/1, 600rpm 機関を駆動機関の標準とすることに方針が決定し、量産先行試作のキハ91 (7両) とキサロ90形 (3両)を昭和42年に試作して中央西線に投入し、名古屋一長野間で試用を開始した。
これらの車両は動力装置をはじめ制御装置、空気ブレーキ装置、台車そのほか多くの部分に新しい設計要素が盛り込まれていたため、試用期間の不足とあいまって、初期故障が続発した。
前のくはつかり>の経験からみて、この初期故障もそのうちに安定するであろうと考えられたので、これらの試作車の経験をもとに改良を加えて、昭和43年10月の時刻改正から最高速度120km/hの181系特急形ディーゼル動車をくしなの>号として中央西線に登場させ、新系列ディーゼル動車の最初からの目標であった33%の福島一米沢間を自力で走行できる、奥羽本線経由の秋田特急くつばさ>を昭和45年2月からスタートさせた。その後、新幹線が新大阪から岡山まで延長されたさい、岡山からの接続輸送として伯備線に特急くやくも>、四国島内にも初めて<しおかぜ><南風>が新設され、181系特急形ディーゼル動車もその勢力をましたが、機関・変速機にまつわる初期故障は制御回路が複雑なることも加わってなかなかおさまらず、電化の急激な発展と相まって昭和46年を最後に、ディーゼル動車の量産は一時、中断状態におちいった。しかし、この間に関係者の努力が実を結び、機関や変速機 に発生した故障の技術的な解明と処置が次第に効果をあらわしてきたので、ようやく安定の目途がついてきた。
181系特急ディーゼル動車は、先頭車のキハ181形(2両) ・中間2等車キハ180形 (5両)・中間1等車キロ180形 (1 両) ・ 食堂車キサシ180形 (1両)の9両が基本編成であるが 四国地区では輸送力の関係でキサシ180形を連結せず、6~ 7両の編成で使用されている。



ディーゼル動車のメカニズム


ディーゼル動車とは、ディーゼル機関を搭載し、その動力で 自走できる車両であり、一般の乗用自動車と類似した面を持 っている。しかし、基本的に異なるのは、車両として編成で 走るために設けられた出力調整装置にある。
もっとも初期のディーゼル動車では、この出力調整装置は機械的機構によっていたために、編成運転が困難であった。
その後、編成運転の可能な電気式ディーゼル動車が製作されたが、ディーゼル機関に直結された発電機により電力を発生させて電動機を回転させ、車輪駆動を行なうものであり、製作費が高くなる欠点があった。一方、動力伝達装置に液体変速機(最近のいわゆるトルコン自動車にも取り入れられている) を使い、出力調整装置に編成運転の可能な総括制御方式が開発され、現在のディーゼル動車が作られているわけで、 現在は電気式のディーゼル動車はなく、すべて液体変速機を使ったものとなっている。
以下、ディーゼル動車の動力伝達機構と、制御機構について説明することにする。

●動力伝達装置
ディーゼル動車の動力伝達は図1のようになっている。機関で発生した回転力は変速機・推進軸・逆転機を経て車輪に伝えられる。これらを総称して動力伝達装置といってい るが、このうちで最も重要なものは変速機で,その性能によ ってディーゼル動車の性能がきまると言っても過言ではない。 自動車の場合、最近のトルコン車を除いて変速部分は機械式のギヤ変速であり、運転技術を要すること、および発車のさいのショックが問題であるが、ディーゼル動車には液体変速機が採用されており、運転をスムーズに行なえる。

この液体変速機は、図2のような構造であり、動力の伝達に油を媒体とし、同時に変速作用を自動的に行なうものであるが、車両の速度全般にわたって使用することは効率の面からできないので、ある車速以上では機関から直接、推進軸を駆動する構造になっている。
図3は液体変速機の特性と呼ばれるもので、一般的なものである。
車両の発車のさい、すなわち推進軸回転数が0であり、機関回転数の大小にかかわらず両者の比が0の場合に、推進軸の回転力を大きくし、発車のさいの起動抵抗に打ち勝って車両を速く加速することができる。逆に、車両の速度が上がってくると回転力は小さくてよいので、車両の走行特性とよくマッチしているといえる。
しかし、車速が上がってくる(推進軸回転数が上がる)と液体変速機の効率が悪くなる。このことは、効率の悪くなったぶんが熱となって液体変速機の油に伝えられ、具合の悪いこととなるので、直結動作を行なう。直結とは機関から直接推進軸を回転させることであり、直結動作を行なうことによって効率の低下を防いでいる。この直結動作は、一般のディ ーゼル動力の場合、車速が約45 km/h のときに行なわれ、手動で運転士が入れることになっているが、最近の新しいディーゼル動車では自動的に行なうものもある。
推進軸は以上の説明からわかるように、回転力を逆転機に 伝えるものである。しかし、機関と変速機は一体となり車体に吊り下げられているのに対して、逆転機は車軸に取りつけられており、車両の動揺その他によって両者の関係位置はつねに変化するものであるから、固定した軸では具合が悪い。
そこで、両者間の圧縮伸長の変化に対してはスプライン軸で解消し、上下左右の動きに対しては自在継手を用いている。
逆転機は逆転部分と減速部分から成り立っており、逆転部 分は前後進の選択を行なうものであるが、減速部では、推進軸の回転数を落として車軸の回転力を上げて動輪に伝えている。この減速比は、機関の最高回転数と最高車速の関係および発車のさいの車輪の回転力と車輪の粘着力(車両の重量と車輪とレールの摩擦係数によってきまる)とを考慮してきめられる。ふつうのディーゼル動車と特急用のディーゼル動車とでは、最高車速の関係で、特急用のディーゼル動力のほうが減速比は小さくなっている。


●機関出力調整装置
ディーゼル機関の出力は、燃料の噴射量によってきまる。自動車におけるアクセルの踏み具合と、まったく同じである。
車両を編成して数両を同時に運転する場合、各車の燃料噴 射量は同一でなければスムーズな運転は不可能である。また運転上の所要の車速を得るためには、出力の選択が必要であるが、自動車の場合のように、アクセルによる連続的な制御は非常に困難であるので、これを段階的に制御するノッチが設けられ、各ノッチにおいては全車両のディーゼル機関が同一燃料噴射量となるような構造となっている。指令は電気的に全車両へ伝達され、各機関の制御を行なうもので、全車両を1ヵ所の運転台で、一人で制御できるものである。蒸気機関車の重連運転の場合は、各機関車に運転士を必要としたものと異なっている。
この機構はすべてのディーゼル機関車およびディーゼル動 車に採用されていて、重連運転を容易にしている。これらは総括制御方式と呼ばれる。
ディーゼル動車の場合、ノッチ制御は図4のようになっている。
このようにディーゼル動車では、5ノッチ制御であるが、ディーゼル機関車の場合、より精度の高い運転が必要とされるものは14ノッチをとっており、このとき、電磁弁は4個が必要である。