私が幼稚園(昭和34~36年)の時、鶴見に住んでいたので、この時期になると獅子ヶ谷にあった上遠牡丹園へ連れて行かれました。当時は馬場7丁目行きのバスは走っておらず、綱島行きのバスに乗り獅子ヶ谷で降りて、畦道の様な道を10分位歩いた記憶があります。

しかし、昭和38年に閉園し、そこに咲いていた牡丹は大船フラワーセンターへ移植されました。現在でも宮川医院の隣に、関東大震災前に建てられた3階建の洋館が残っています。また、北寺尾渋沢公園には上遠牡丹園の立札が立っています。

牡丹園を開園した上遠喜三郎氏は建築家だった。しかも帝国ホテルなど近代日本の代表的建築物を設計したイギリス人建築家・コンドルに弟子入りし、日吉の慶応大学や早稲田大学大隈講堂などの建築に携わったとのこと。

現在でも上遠牡丹園に咲いていた牡丹が大船フラワーセンターで咲いています。

 

建築家上遠喜三郎二男の嫁、上遠たけ子さんが後を継ぎ、後に日本牡丹協会の理事長も勤めた。


昭和16年に横浜市土木局が発行した獅子ヶ谷の地図に牡丹園が載っています。獅子ヶ谷交差点から馬場7丁目に行くバス通りは未だ有りません。