#62 A SUSTAINABLE ABNORMALITY 開発の本能 | 塗櫛のブログ

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そしてYJ連載中の「テラフォーマーズ」に夢中。
テラフォーマーズ感想についてはほぼ初見の勢いで書いてますので、
文章が荒ぶっています点をご了承の上お読みください。

単行本の!!
告知が出ましたね!!!
単行本23巻は7月18日と告知がありましたやったー!!
特典がありそうならまとめたい気持ち。



 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
※以下本誌ネタばれですのでご注意願います。
 
 
 
 
 
 
 
 
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・明かされる真の姿──。
ハンニバルの特性を、ベースとなる生物を知らなければ手の打ちようがなかったこと。
天異変態に必須である微生物そのものがベースになるなどとは想像もしなかったろう。
かといって知っていたら何らかの対策があったのかといえば、特性をコピーされないために単独での攻撃をするぐらいしか対処の方法はなく、だが独りで闘うにはあまりにも実力に差がありすぎる。
サムライソードが単身で対峙したとしても、その特性を使ったとしても恐らく勝つことは難しかっただろう。
だからこそ彼女は仲間を信じ、頼った。
その結果がハンニバルの天異変態を、恐らくはランキング上位だろう彼らの特性をコピーされるということになるのは皮肉が過ぎるというかどこまでもハンニバルという男はサムライソードにとっての障害に成りうる存在なのだなと。

・知れる
テルムス・アクウァーティクスという名詞、先週に引き続き書いている単語だが空で言えるようになる気がしない。
この生物についてはハンニバル自身が誰よりも雄弁に、そして文字通りその身を持って解説してくれているので特に調べることもないのだけれど、個人的にはハンニバルが「この生物がベースになるのであれば手術を受けていい」と判断したということ。
M.O.手術を受けることで、恐らくだけれど遺伝子を取り入れるということはその生物が持つ特性を本能で使いこなせるということとイコールなのだろう。
つまりはその生物が「どういうものであるか」を完全に理解することが出来る。
だが、火星に行く前の技術レベルでは他の遺伝子を取り込むという物であるが故に抗体反応含め複数の生物を取り込むことは出来ない。
風邪村のような特殊な条件と体質を除いては。
なにより手術の成功率そのものが約四割となれば、ニュートン一族とはいえ手術に踏み切ることに関しては躊躇いがあってもおかしくない。
とはいえあの一族の中になら好奇心だけで手術を受けて死んだ人間も居そうな気もするが。
ただ、本多博士の技術開発による天異変態、そして一般的には秘されてる技術とはいえ現状は成功率がほぼ100%となっている以上、人を超える何かになるために手術を受けることを是とする判断は当然あったのだろう。
ましてや彼の知的好奇心を望む形で満たしてくれる物に適性があるのだとわかればそれは。
あらゆる生物を知れる機会があるのだとすれば。
この生物だからこそ彼は手術を受けたのだろう。
その知識欲を満たすために。

・どうでもいい知識
人間とは全く体の構造が違うモンハナシャコという生物の場合、人間の様に腰の捻りを使って腕を振りぬくという技術を使うことなく、シンプルに筋肉の反動を使って攻撃をしている。
その構造を理解していれば、ボクシングの技術はなくともその生物の持つ破壊力を活かすことが出来る。
そしてハンニバルの身体能力というか、身体の動かし方を把握している人間であればボクシングという技術が無くてもプロボクサーと同等の闘いを、戦闘能力を維持することが出来る。
彼にとって『どうでもいい知識』だからこそ、どうでもいいと思われそうな知識であっても取りこぼしたくない。
ハンニバルが嫡男でありながら当主ではないというのはこの知識欲にあるのだろう。
恐らく彼の人生において優先されるものは好奇心であり、それを邪魔するものは例え一族の人間であっても許さないのだろうし、それは明らかに当主が務まるタイプの人間ではない。
だからこそ彼はこのポジションで自由に生きている。
それに伴う周りへの影響というか被害を無いものとして扱える程度の財力がある一族だからこそ出来る生き方ではあるが。
そもそも誰かの手元で大人しくしているようなタイプではないし、大人しくさせることが出来るタイプでもない。
結局のところ、その目に留まらぬように周りは生きていくしかないタイプの人間であり、それはもはや人間というより災害と同じようなものだろう。
それが倫理に反するものだと理解はしているが、罪悪感を抱くことはない。
なぜなら自分の知識欲は、そして得た知識を実践するということは他者の尊厳よりも優先されるものなのだから。
例えば、サムライソードの戦闘力を奪うためにその手を引きちぎることも、彼にとっては満たされた知識欲を実践しただけに過ぎない。

・蝦蛄パンチ
このハンニバルの説明でならば、本来モンハナシャコの腕は伸びている状態が正常であり、それを無理やり折りたたんで何らかの形でその形に留めているということになるとは思うけれど、それがどういう構造なのかも説明して欲しかった感。
伸びてる状態を正とするなら曲げるときにどれぐらいの負荷がかかるのか、また曲げている状態を維持するためにどういう形で留めているのか、そのフックを外すための動作というか動きはどうなっているのかとか疑問は尽きない。
なので調べたら単純に言えば弓矢の構造と同じで弦を引いた状態を常とし、それを開放することで矢が放たれる=パンチを繰り出すというシンプルな構造ではある。
長節部分にある腹側棒という筋肉(?もしかしたら腱かもしれない)が弓の本体である弓幹にあたり、それを引き絞る力が指節そのもの、そして引き絞ったままの状態に留めておくために捕脚前節の中にある止め具構造というものがあるらしい。
「クチクラ内突起apodemeとは脊椎動物でいう腱であるが、一部肥厚・硬化している。ここが外骨格内側の隆起した部分とかみあうことで指の役割を果たす」という記載があるが、この場合の指は弦を引き絞った状態のまま留めておく状態そのものを指すようだ。
この留め具(腱)を意図的に外す、緩めることであの蝦蛄パンチが繰り出されるのだけれど、速ければ速いほど威力は増す。
蝦蛄パンチの速度が瞬きの1/100の速さということなので、その威力はもちろんのことジェットと同じようにキャビテーション現象も当然発生する。
というよりも実際にカニや貝の殻を割るのに有効的なのは打撃そのものの威力もさることながら、このキャビテーション現象の力も大いにあるとのこと。
そして常に全力でその力を使っていては当然自分へのダメージも蓄積されていくものなので、蝦蛄自身はパンチの速度をきちんと調整しているらしいということがわかって、あの小さい身体にスペック詰め込み過ぎでは……?

・再生
甲殻類のベースがあれば四肢をもがれたとしても再生という点においては可能だが、それは自分のベースとしてその特性を持っていることが前提ではあった。
今までは。
天異変態という他者の特性を一時的に自分のものとすることが出来る技術が確立された今であれば、自分のベースに再生能力が無かったとしても一時的にその特性を借り受けることが出来る。
この辺り、漫画として非常に使いどころが難しいのではないかとは思う。
腕や足がもげたぐらいでは死に直結することがない、という感覚は危機感を薄れさせる一面があることは間違いない。
ただ天異変態を発動させていること、そしてその特性が発動するには時間がかかるという制限があるという点ではそこまで安易に使えるものではないということと同義になるのかなと。
ただ、そうなるとエヴァの存在がますます重要というか難しい存在になるというか。
治癒能力という点においては味方として横にいて欲しいが、その特性が敵に奪われる可能性を考えると闘いの場に連れていくにはリスクが大きい。
そういう意味では制限を付けるのは当然だろうと思うけれども、本当に使いどころが難しそうだな。

・不味い
腕を引きちぎったあとのこの一瞬の表情、どう考えても「思い出している」している表情だと思う。
彼女の肉の、血の味を知っている。
この『不味い』は状況に対する物ではなく、純粋に味への感想だ。
人の味を彼は知っている。

・共食いという行為
なぜサムライソードを買ったのか。
既に死んでいる姉までも買ったのか。
それは彼の知識欲があればこそ、倫理を理解していても欲が上回るからこそ。
そしてその欲を満たせるだけの力があるからこそ。
あくまでも個人的な考えでだけれど(以下に関しては本筋とは関係があるようで単に自分の見解なので別に読まなくてもいい話です)どの生物であっても同族を食べるということが無いのは倫理の問題というものではなく、本能的な嫌悪というか種としての生存本能によるものではないかと思う。
もちろん共食いする生物は存在する。
カマキリにある性的共食いや、蜘蛛にある生まれた子供が母親を食べる行為は共食いという言葉に当てはまるものだ。
ただ、カマキリの場合は生殖行為の後に母体の栄養になるという前提があり、蜘蛛の場合は産まれた子らに栄養を確実に行きわたらせる為のもの。
空腹を満たすために同種を食べるのではなく、次世代に繋がること、繋げることが確約されたからこその行為であり、単に空腹を満たすためであるとか娯楽としての食としては全く別のものとして扱うべきではないか。
人間でも共食いが皆無かといえばそうとは言えないが、それにはある種の尊敬や信仰、相手への愛着(人によっては歪んでいるという感覚を抱くことも当然あるとは思う)という本能の忌避を上回る儀式的な意味合いを含んだ上でのものとして扱われている気がする。
極論を言えば供養の一環のような立ち位置というか。
まあそれはあくまでも族内の物であり、族外にそれが向けられた場合は復讐という別の意味合いを持つ事にもなるだろう。
いずれにせよ共食いという文化についてはそれを本能のレベルで生物は忌避するものであり、そうでなければ種としての存続に関わってくるというのが個人の考えではある。
あとは単に人間の場合に限っては栄養価が高くない(1kg食べても1500kcalぐらいしかないらしい)とか可食部がそんなに多くないとか捌くのが大変だとか色々ありそうな気もする。
捌くということに関しても遺体に傷をつけることへの宗教的なタブー視もある気がするけれどこの辺りは東洋と西洋で違ったりするんだろうか。
日本の場合は遺体も仏として扱うというか(ホトケさん、という言い方もあるし)、死んでしまった場合は皆仏、という扱いが染みついている。
逆に西洋というかキリスト教の場合は魂により重点を置いていて、魂が天に召されたのであれば遺体は空っぽの器に過ぎないという考えがあるというか。
いや別に明確に出典がある話ではなく、あくまでも個人的な考えのレベルに過ぎない話ではあるけれど、その辺りの差異も含めて「遺体を食用として捌く」事へのハードルはもしかしたら多少の違いはあるかもしれない。
とはいえ進んでやりたがるということはないだろう。
そしてハンニバルはその種としての本能的な忌避を恐らく自覚しており、倫理に反するものだということも理解したうえで知識欲を優先させた。
だからこそ「不味い」ということを知っている。
『1回食えば十分』ということは『1回は食べた』ということに他ならない。
ハンニバルの名を関している辺りでなんとなく想像というか予想の選択肢としてはあったけれど、ここまで明確な答え合わせが出されるとは。
ただ個人的にこういうキャラは善悪とか好き嫌いを全てねじ伏せて納得をさせてくれるので純粋にキャラクターの造形としては完璧だなと。
「まあ……ハンニバルならそうだろうな」と非人道的な思考や行動であっても納得してしまう強さがあるというか、説得力のあるキャラというのは貴重だと思うのだけれど、ストーリー的には彼はそれなりのタイミングで退場するのだろうなという気持ちも……いやそうしないと恐らくこう、展開的にね……かといってハンニバルが仲間になりますとかの展開になったら多分なかなかに大きい声で「解釈違い!」って叫ぶと思う。

・何故
彼の行動原理で全てにおいて優先されるものが知識欲。
それはハンニバル・ニュートンというキャラクター性の芯を貫くものであり、常識よりも倫理よりも優先されるべきもの。
しかし逆に言うならその知識欲だけで人間を食べようと思うのだから感性が常人ではない......となりつつ結局は「ハンニバルだしな」で落ち着いてしまうのが。
この時点でもうサムライソードの特性を使いこなし、その握力……いや足の場合もこの言葉は適用されるのだろうか?というよりもツムギアリの特性の場合はそもそも握力と言っていいものか。
一応好奇心以外にもビジネス的な目的もありはしたようだけど、それが人体マーケットの開拓というなかなかに非人道的過ぎるものではあるけれど、いちおうM.O.手術という技術がある以上需要があるだろうというその読みは正しくはあると思う。
「実験台としての人間」の需要は間違いなく(非合法として)あるだろうし、その為には彼女たちのような身寄りのない、そして足取りを掴めないような地へ好奇心で足を運ぶような存在はうってつけだったのだろう。
全ては彼の中の知識欲と合理性に照らし合わせれば何一つ矛盾はなく、そこに他人の感情は介在しない。
恐ろしく身勝手すぎるもの言いであり、サムライソードを手元に置いていたのも別段彼女自身にたいしてハンニバルが何か特別視するような価値があったわけではない。
彼女が要因(の1つだと思っていた)「双子」という事実ですら、ハンニバルの中には価値として認められてはいなかった。
手放したのは価値が上がるのを待っていたからであり、そしてサムライソードの姉はまるで賞味期限が迫った冷蔵庫の中の食材を消費するのと同じ感覚で文字通り食材として扱われた。
女性としてのその身体に飽きたからなどではなく、単に今「売れば」より価値が上がるという数字の上でのタイミングに過ぎない。
文字通り彼女は投資の為の商品であり、それ以上でもそれ以下でもない。
商品は売るために存在するもので手放すことをまず前提とするわけで、そこに必要以上の情を抱いてしまえばそれは商売にはなり得ない。
例えば金というものに対して愛着や執着があったとしても、紙幣や硬貨の1枚にまで愛着があるわけではないというか。
いやこの例えは合ってるのか?

・初めて
強いからこそ己の力を自覚し、だからこそ好んでその力を振るうことはない。
女性は決して殴らない事を信条とし、ましてやその身で人を殺めるなど考えたことも無かっただろう。
だが、守るために強くなった男が、『初めてこの姿で人間を殴りたい』と思うほどにハンニバルという存在を許せない。
ハンニバル自身は彼の中の信念を持ってそうしてるわけだがあまりにもそれは相容れないものであり、慶次にすればその存在はテラフォーマー以下ともいえるもの。
テラフォーマーに関して言えば意思疎通することはできず、それは言葉が通じないというだけではなく倫理感が生物として違う故に相容れないのは当然であり、だからこそ互いを敵として認識し、嫌悪することは必然に近い。
だがハンニバルの存在は同じ人間という種であり、言葉も通じる。
なのに想いは何一つ通じず、伝わらず、理解はされない。
君はこういう顔もできるのかという気持ちと、その感情に至るのは当然だろうという気持ちと、なによりその感情に至ってくれて良かったという気持ちと。
ただ個人的に最後の一線を越えることを彼が是とするかどうかは気になるというか、個人的には越えて欲しくはないと思う。
かといって他の2人であれば手を汚しても良いのかと言われればそれもまた違う気がするし、けれど命を奪った対価を命で償わせるというのであればそれこそが対等だろうという気もするので難しいというか。
彼らの物語をどういう結末にするのか、楽しみではあるけれど誰かの人生に区切りがつくのか、それとも誰かの人生の転機となってしまうのか、それともあくまで通過点として彼らの何かが変わることはないままなのか、彼らの物語は続けることが出来るのか。
楽しみではあるけれど怖くもある。
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毎回早めに仕上げないと週一更新に間に合わないぞと思っているのに色々見るものがありすぎて結果このタイミングです学習と我慢をしなさい。

無理です!

 

今回は橘先生から単行本の告知があってうっきうきですね。

書影ももう出ているんですが本当ブログにTwitter(頑なに言い続けるインターネット老人会)の埋め込みできないの不便なんですけど何とかしてくれイーロン。

 

今回は蝦蛄パンチについて調べてきたんですけど、いや多分前にも調べた気はするんだけどもう5年以上前のことは覚えられてないので……あとやっぱり5年経っていると参照できる資料も違うので……。

でも本来伸びている状態のものを無理やり折りたたんで、留め具で止めている状態がデフォというのは多分5年前の私は知らなかったと思うんですよねえ。

あと蝦蛄が自身でパンチの速度を調整していることだとか。

さすがにそれは調べてたらどや顔で披露していると思う。

なのでまあ時間が経つのも悪いわけではないよなと感じてみたり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ところであのコックのケンてまだ生きてるんですかね?

個人的には生き残りそうな気がしてならないんですけど